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4章 嫉妬と独占欲

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 その気配に椿は動揺を隠せず、動きを止めた。

「エレーヌ様……。どうかなされましたか?」

 腕を組み、皆の前で見せていた優雅な微笑みとは異なるどこか挑戦的な笑みを口元に浮かべてエレーヌは椿を見すえていた。

「あなた、椿だったわね。……あなた、和真とは血がつながっていないのですってね。確かにご家族の誰とも似てないわ」

 椿はその言い方に何か嫌なものを感じ取った。

 けれどそれには何も答えず、あえて無言で最後のケーキ皿をトレイに乗せる。これを皆の元に運んでしまえば、エレーヌと二人きりのこの空間から逃れられる。ただその一心で。

「そんなに逃げ出そうとしなくても、私食べたりしないわよ。……ねぇ、ちょっと話をしない?」

 エレーヌはそう言うと、少し離れたところで心配そうに見守っていた使用人を呼び寄せ、ケーキを皆の元に運ぶよう指示した。

 どうやらここから逃げ出すのは無理そうだと、心配そうな顔をしてこちらを見ていた使用人に大丈夫というように微笑んで見せる。
 エレーヌが大事な客人である以上、機嫌を損ねるわけにはいかない。

 椿は小さくため息を吐き出し呼吸を整えた。

「何のお話でしょうか。お話なら向こうで席に着いてからでも……」

 一体何の話をするつもりかは分からないが、楽しい話でないことは確かだろうと思われた。
 
 向こうからは、ゴダルドの賞賛する言葉が漏れ聞こえてくる。どうやらケーキは喜んでもらえたらしい、と椿は胸をなで下ろした。

「庭に出ましょうか。ここでは話しづらいわ」

 エレーヌはまるで自分の屋敷かのように、さっさと外に歩いて行ってしまう。その後ろ姿をこっそりため息を吐き出しながら、ついていく。

 日のすっかり落ちた庭でエレーヌと向かい合い、椿はその琥珀のような透き通った目に射すくめられる気がして、ごくりと息をのんだ。居心地の悪さに椿はふっと視線を逸らし、先月までは盛りだった今はもう葉の生い茂る薔薇を見つめた。

「私ね、和真のこと気に入っているの。ぜひ結婚したいと思っているわ。賛成してくださる? お姉様」

 突然の告白に、椿は目を見張った。

「私、欲しいものはなんでも手に入れたいの。それが美術品でも、人でも。だって、ぼやぼやしていたらすぐに誰かに取られてしまうもの。欲しいなら手を伸ばした者の勝ちだわ。和真に初めて出会った時、あの人ちっとも私に興味を示さないしゴダルドの娘だと知ってもすごくつれなくて。でも……」

 エレーヌは一瞬言葉を切り、空に浮かぶ月を見上げた。その横顔はぞっとするほど艶やかな美しさをたたえていて、椿は思わず息をのんだ。
 そのわずかに細められた目元には微かな笑みが浮かんでいて、それは当矢のことを話す時の美琴の表情とよく似ている気がした。

「でもだからこそ、興味を持ったの。この人を手に入れたいって。どうしても、私の方へ振り向かせたいって――。そろそろ私も結婚相手を決めてもいい頃合いだわ。なら、私は和真がいいわ。だから、和真をもらっても構わないかしら?」

 果たしてなんと返答すればいいのか、椿には分からない。けれど――。

「なぜそんなことを私にお聞きに?……それに、和真はものではありません。美術品はしかるべき対価に払えば手に入れられるかもしれませんが、人の気持ちはそうやすやすと手に入れられるものではありませんから」

 椿は意を決してそう告げた。
 一瞬エレーヌの目が大きくおもしろそうに見開かれ、そして口元に笑みが浮かんだ。

「あら、でもある意味私と結婚すれば、遠山家は今後セルゲンの作品を一番最初に手掛けられるのよ? ある意味対価と言えるのではない? 和真はセルゲンの作品が喉から手が出るほど欲しいみたいだし。私がその便宜を図ってあげてもいいのよ?」

 商売のことは、椿には良く分からない。けれど、そんな脅しめいたやり方で人生の幸せを決めるなんて間違っている。それに、なんとしても和真には幸せな結婚をして欲しいのだ。いくら希少な美術品のためでも、そんなものと天秤にかけて欲しくはない。

 椿は凛とした声で、エレーヌに告げた。

「それが和真自身の望みでないのなら、私は認めません。私は和真に幸せになって欲しいのです。血のつながりなどなくても、和真は私の大切な弟ですから。もちろん和真があなたを好きで伴侶に迎えたいというのなら、別ですけど……」

 エレーヌのこめかみがぴくりと動いたのが見え、椿は両手を強く握り合わせた。

「へぇ……。ならもし和真が私を愛してくれるのなら、あなたは祝福してくださるのね? 和真と私の結婚を」

 椿の脳裏に、エレーヌに優しく微笑みかける和真の顔が浮かんだ。そこに、以前美琴と当矢の仲を取り持つために和真が仕掛けたあの甘い挑発も、なぜかちらちらと浮かぶのはなぜだろう。

 胸がチリリ、とうずいた気がした。

「それは……もちろん」

 そう言いながら、椿は焼け付くような感情を感じて困惑した。

 この気持ちは一体なんだろうか。嫌悪感のような苛立ちのような、この激しい気持ちは。
 これまでも和真の縁談をあれほど後押ししてきたではないか。少しでも和真との仲がうまくいくように、あれこれと世話を焼いて――。

 なのに、なぜエレーヌが相手では嫌だと思ってしまうのだろう。
 和真の隣に立つのが、なぜエレーヌでは嫌だと思うのだろう。

 触れて欲しくない。近づいてほしくない。
 そして和真も、エレーヌにあんなふうに優しく微笑みかけて欲しくない。たとえ仕事のための外向きの顔でも。

 和真は私の――。

 ふっと頭にありえない思いが浮かんで、椿は首を振った。

「……あなた、和真を愛しているの? だってあなた、私に嫉妬してるみたい。そういう目をしてるわ。もしかして、和真はあなたにとって弟以上の特別な存在なのではなくて? 本当は私に取られたくないのではなくて? 私に、というより他の誰にも、かしら」

 エレーヌの挑発的な笑みが、椿を真っ直ぐに捕らえた。

 それはまるで、肉食獣が弱り始めた獲物を捕食するタイミングをはかっているようなそんなぞくりとする怖さをはらんでいて、椿は何も言い返せず立ち尽くした。



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