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5章 過去との再会

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「ばっかだなぁ。お前」

 ため息交じりに吐き出されたその声に、椿は肩をびくりと震わせた。

「あの日のことはさ。ただの間違いで、誰が悪いとか申し訳ないとかじゃないだろ。ましてお前のせいなんかじゃない。遠山の両親だってお前に会って気に入ったから、家族にしたいと思ったから迎えてくれたんじゃないのかよ。俺は院長からそう聞いたぞ」
「それは……」

 遠山の両親が、自分を望んで気に入って迎えたのだという話は確かに聞いた。両親からも、院長からも。もちろんそれを疑うわけではないけれど、でもそのために大和を迎える話が一度は流れかけたのだ。両親は大和も一緒に迎えようと申し出てはくれたけれど、その時にはもう農家への縁組の話が持ち上がってしまっていたから。

 それを思うと、やはり自分があの日間違えて遠山の屋敷へ行かなければ運命は変わっていたかもしれないと思えてならない。自分さえ行かなければ、というその罪悪感が、どうしても消えない。
 
「それにお前、あの時まだ三才だろ。そんなうまく立ち回るなんて無理に決まってるじゃんか。なぁ。……お前、今幸せじゃないのか? あの屋敷に迎えられて、幸せじゃないのか?」

 椿はぶんぶんと首を振った。

 そんなことはあるはずがない。幸せじゃないなんて思ったことは、ただの一度もないのだから。いつだって泣きたくなるくらいにあたたかくて、嬉しくて大好きな場所なのだ。これ以上の幸せはきっとどこを探してもないと、そう思うくらいに。

「幸せよ! すごく、すごく幸せ。こんなに幸せをいただいたら罰が当たるって思うくらいに……。私にはもったいないくらいの幸せなの。だから、申し訳ないって……」

 思いのあまり、声が大きくなる。幸せ過ぎるほど幸せだから、罪悪感を感じて苦しいのだから。こんなにたくさんの幸せを奪ったのかもしれないと思うから、あやまらなければと思うのだ。

 けれど大和はそれを聞いて、どうしてか嬉しそうに微笑んだのだった。

「なら良かったじゃねえか。お前がそんなに幸せって思えるってことは、きっとはじめからそういう運命だったんだよ。きっとお前だけじゃなく、遠山の人たちもさ。お前があの屋敷にもらわれたから、皆幸せになったんじゃないのか? きっと必然だったんだよ。それが、縁ってもんだろ」

 大和がつかつかと歩み寄り、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭をなでた。
 その力強さに驚いて目をみはれば、大和はしょうがないな、と呆れたような顔で笑った。

「俺はあの日、お前が遠山の屋敷に行ったのは運命だと思ってる。そして俺が、今の両親に引き合わされたのも」

 大和はそう言うと、少し照れたように笑った。

「その証拠を見せてやる。ついてこい、椿」

 大和はそう言うと椿の腕をつかみ、その熊のような大きな身体を揺らしてぐいぐいと引っ張っていく。


 
 連れていかれたのは、大和が孤児院を訪ねてきた時に持ってきた大量の荷物の前だった。
 
「これ、ここの皆にと思って持ってきたんだ。開けてみろよ」

 椿は言われるままに麻袋の口ひもをとくと、ゴロゴロと勢いよくジャガイモが転がり出た。
 
「わっ! これ、ジャガイモに人参? こんなに大きなカボチャも! 全部野菜? これ、もしかして……」

 麻袋と木箱の中には、まだ土のついた採れたての野菜たちだった。根菜から葉物まで、ありとあらゆる種類の野菜がこれでもかというほどぎっしりと詰まっていた。
 
 ふわりといい土の匂いがして、椿は思わず歓声を上げる。

「俺さ、いつか立派な作物が作れるようになったら、ここにいっぱい届けてやろうって決めてたんだ。ここにいる奴らは、皆いつだって腹ペコだからな。腹いっぱい食わせてやりたくてさ」

 大和の顔が、自慢げに輝く。

 よく見れば、大和の手はごつごつとたくましくまめやけがの痕だらけだった。大和はこの手で、くる日もくる日も田畑を耕して、晴れの日も雨の日も懸命に野菜を作ってきたのだろう。
 そう思うと、目の前にある野菜がまるで宝石のように思えてくる。

「見たことのない野菜がいくつもあるけど、これは?」
「ああ、色々品種改良もしてるんだ。それは荒地でも育つ野菜でさ、ちょっとコツはいるけど日持ちもするし腹にもたまるしうまいんだ」

 大和はそういうと、その野菜を手に取りその出来に満足そうにうなずく。

「この国はさ、農業に良い気候に恵まれてるけど、土壌が固くてまだまだ荒地も多いだろ。もし荒地でも育つ野菜があれば土地を有効活用できるし、働き口も提供できる。俺はさ、ここにいる子どもたちみたいな存在をさ、一人でも減らしたいんだよ」

 孤児院を出て農家に跡取りとして迎えられたあと、大和は両親に実の息子同然に大切にしてもらったらしい。けれど、農家の暮らしは決して楽ではなかったらしい。

 この国では、農業で満足な生計を立てることはなかなかに難しい。気候は決して悪くはないのだが、土壌が固く鍬や鋤を使って耕してもなかなかやわらかくならないせいだった。牛や馬に耕作機をひかせれば、ある程度の広さの農地を一気に耕すこともできるが、そんな資金を持った農家は多くない。
 そのため、貧しさから子どもを手放す農家も多い。

「汗水たらして野菜を作っても作っても、やっぱり家族で耕すだけじゃ限界があってさ。このまま農業を続けても、苦しいばっかじゃないかって。……でもある時さ。広い農地を数軒の農家が協力して共同経営すれば、もっと効率よく野菜をたくさん作れるじゃんって、思いついたんだよな」
「共同、経営……?」

 聞き慣れない言葉に椿がけげんそうな顔を浮かべると、大和が分かりやすく説明してくれた。

 つまりは広大な農地を開拓するには馬や牛、高価な耕作機を手に入れなければならない。でも一農家の収入では到底手が出ない。けれど何軒かの農家が共同でお金を出し合い、初期投資としてそれらを購入する。そして広い農地で作業を分担化することによって、これまで挑戦できなかった珍しい野菜や手間がかかるけれど良いお金になる作物も作ることができる。と、そういうことらしかった。

「おかげでさ、こんな新しい野菜もたくさん作れるようになったってわけよ。俺は野菜しか作れないけどさ、誰かに上手いと思ってもらえるもんを作って、さらにいい働き口も増やせたらいいなって思ってさ。今じゃ、農業が初めての人にも農地を一部貸してさ、農業を教えてやったりもしてるんだ」

 大和は、少し照れ臭そうに鼻の下をぐいっと擦って笑った。

「俺はここに助けられて今こうして生きてるからさ。せめてここにいる子らがさ、ちゃんと働けて空腹で困らない程度には暮らせる手伝いがしたいんだ。つまりこれは、俺の恩返し、だな」

 大和の語るその理想に、椿は胸が熱くなるのを感じた。



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