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2 神罰

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 ゆらりと漂うような感覚にフッと意識が浮上した。開いた目を何度か瞬きし、ゆっくりと起き上がって周りを見る。

「ここは……どこだ?」

 立ち上がった地面は真っ白だった。地面だけではない。前も後ろも見渡す限り真っ白で、上を向いても白一色の世界に立っている。

「なぜわたしはこのようなところに……」

 たしか自分の部屋で寝ていたはずだ。そこまで思い出し、己の最期の瞬間を思い出した。

「そうだ、わたしはグラディオナに胸を貫かれたのだ」

 そして絶命した。最後に感じた鮮烈な痛みと吐血らしきものを思い出し、間違いなく死んだのだと確信する。それなのに、どうしてこのような場所にいるのだろうか。

『目が覚めたか』

 不意に幼子おさなごのような声が聞こえてきた。誰かいるのかと周りを見回していると、目の前にぼうっとした黄金色の光が現れる。はじめはこぶし大ほどの大きさだった光は瞬く間に大きく膨れ上がり、一瞬にして破裂したかのように広がった。
 あまりの眩しさに、右手を顔の前にかざしながら目を閉じた。しばらくすると激しい光が急速に小さくなるのを感じ、そうっと瞼を開ける。

「……あなたは」

 目の前には五、六歳ほどの子どもが立っていた。見た目は幼子おさなごだが得体の知れない威厳のようなものを感じる。そのせいか「おまえ」ではなく、思わず「あなたは」と声をかけていた。

(金の髪に黄金の瞳……)

 幼子おさなごは、王家でも直系かつ神に名を与えられる者にしか現れない見た目をしていた。いま、わたし以外にこの姿を持つ者はいない。それなのにどういうことだと目を見張った。
 金の髪は肩の長さで切り揃えられ、わたしと同じ黄金の瞳を持っている。真っ白な服を着ているからか、顔以外が背景に溶け込んでいるかのように見えた。

『我は名を持たぬ。だが、人の世では神と呼ばれている』
「かみ……とは、わたしに名を与えてくださった、あの神ですか?」
『アウルマーラという名を与えたのは、十九年前であったか』

 幼子おさなごのような高い声に名を呼ばれた瞬間、背筋をゾクッとしたものが走り抜けた。それは間違いなく畏怖であり、自分が跪くべき存在だと体が震え出す。

(この方が、神……!)

 わたしは慌ててその場に両膝をつき、両手を胸に当てこうべを垂れた。これは王が神の像に向かって行う最上の敬意を表す姿で、自然と体が動いていた。

「死してなお神の御前に跪くことを許されるとは、光栄の極みで、」

 そこまで口にし、ハッと気がついた。
 たしか自分は心臓を貫かれたはずではなかったか。あのグラディオナが剣を突き刺す位置を間違えるとは考えにくい。であれば間違いなく心臓を貫かれたはずで、わたしは神の御許へたどり着くことなどできないはず。

『そちの魂を呼んだのは我だ』

 意外な言葉に思わず顔を上げてしまった。

「……なぜと、伺ってもよいのでしょうか」
『よい』

 幼子おさなごの姿をした神が目前まで近づき、わたしを見下ろしながら小さな唇がゆっくりと動く。

『そちは与えた名の役目を果たさずに死を迎えた』
「……はい」

 わたしは神の翼である“黄金の翼”の名を与えられた。名のとおり羽ばたき続け、国と民を繁栄に導かなければならなかった。
 それは命を賭して果たすべき役目だというのに、わたしは王になる前に命を失ってしまった。経緯はどうであれ、神から見れば役目を果たしていないことに間違いない。

『いかなる理由があろうとも、我が与えた名の役目を果たさず死ぬことは許されない』
「……承知しています」

 上げていた顔を再び下ろす。声色からは判断できないが、神がお怒りだろうことは容易に想像できた。
 神は絶対だ。役目を果たさず逸脱した者は命を奪われ、役目を果たすことなく死んだ者も許されない。だからこそ神に名を与えられた者は相応の力を持ち、人々から敬愛と絶対的な忠誠を得ることができた。
 しかし、もっとも尊き名を与えられたわたしは叔父の暴挙を止めることができなかった。それどころか王になることなく命を落としてしまった。死んだのちに神に罰を与えられてもおかしくない状況だ。

『そちには罰を与えねばならぬ』

 神の言葉に深く頭を下げ「いかような罰もお受けします」と答える。

『その前に、我が名を与えし者を殺した者たちにも罰を与えねばな』
「……! 神よ、それは」

 驚いて顔を上げると、かざしている神の右手が黄金のように輝き始めた。

『そちを殺し王座を手に入れた者には罰を、追随した愚か者どもには怒りを与えよう』

 幼子おさなごの声が静かに響いたあと、小さな右手を包んでいた光が何本もの線になり宙に弾け散った。そのまま光は四方八方に飛び、あっという間に消えてしまう。

『さて、次はそちへの罰だ』

 いまの光が何だったのか、どこへ飛んで行ったのか気にはなったが問うことはできなかった。次は己の番だと、ただじっと神を見つめ言葉を待つ。

『そちはこの先、何度も命をくり返すことになる』
「命を、くり返す」
『そうだ。いつの時代かいつの世界かに生まれ、命を落とした十九までの間に一人の者の命を奪わねばならぬ』
「命を……?」

 神が右の手のひらを上にし、ずいと目の前に差し出してきた。

『そちが奪うのは、この者の命だ』
「グラディオナ……!」

 手のひらに薄く輝く光の中に見えたのは、己の心臓を貫いた男の姿だった。相手が神だということを忘れ慌てて口を開く。

「グラディオナに罪はありません! いえ、神の怒りに触れる行いをしたことには違いありませんが、それも国を思ってのこと。国を守る剣の役目は果たしているはずです!」
『残念ながら、この者は半分しか役目を果たしておらぬ』
「半分、とは」

 神の手のひらに映るグラディオナが、くるりとわたしのほうを見た。いや、そう見えただけでグラディオナにわたしの姿が見えているはずがない。だが、命が尽きる最期の瞬間に見た碧眼を再び目にしたわたしの心は大いに乱れた。

『大勢の民が戦乱に巻き込まれぬよう、すべてのきっかけとなるそちの命をったという点では“国を守る”という役目を果たしたと言えよう』

 神の言葉に、叔父の暴挙が内乱にまで及ぼうとしていたことを初めて知った。そのような状況だったのに、自分には何も見えていなかったのだということに衝撃が走る。なんと愚かであったのかとグッと奥歯を噛み締めた。

『しかし、国そのものと我が決めたそちを守ることはできなかった。すなわち国を守るための“永遠の剣”たる“グラディオナ”は、役目の半分しか果たさなかったということだ』

 薄い光の中に浮かぶグラディオナの碧眼が優しく笑った。幼い頃からずっと見てきた微笑みに、ますます心が掻き乱されていく。

『よって、この者にも罰を下さねばならぬ。それは己が命を奪った者に命を奪われねばならないという罰だ』
「お待ちください!」
『この者もまた、そちに命を奪われるために命をくり返す』

 なんという残酷な罰かと腕が震えた。腕だけではない。足も頭も、跪いているはずの体のすべてが震えていた。

『我が与えし名の役目は絶対である。命をもって役目を果たし、たがえれば罰を与えられる』
「それは承知しております! しかし、グラディオナへの罰はあまりに残酷ではありませんか!」

 自分が神罰を下されることは受け入れられる。だが、国のために苦渋の決断をしたのであろうグラディオナにまで神罰を与えるのは、あまりに無慈悲ではないか。思わず神に向かってそのようなことを口走っていた。

『勘違いをしておらぬか?』
「勘違い、とは」
『慈悲とは人の世に存在するもの。神が創りしものではない。それがあるかないかは我の預かり知らぬことだ』

 神の小さな手のひらに現れていた薄い光が、すぅっと色を失っていく。そこに映し出されていたグラディオナの姿も薄くなり、真っ白な世界に消えていった。

『そちが十九になるまでにこの者の命を奪えぬときは、そちが命を落とすことになる』

 真っ白な中に幼子おさなごの姿が滲むように溶け込み始める。

『命を奪われし最期の瞬間、そちが口にした言葉によって与えし罰は決まった。命を奪った瞬間、かの者が口にした言葉によって与えし罰は決まった。そちがかの者の命を奪うまで、かの者がそちに命を奪われるまで、罰がゆるされることはない』

 真っ白な服と部屋の境界線が曖昧になり、黄金の髪がゆらりと揺れながら白い宙の中へと吸い込まれていく。

「神よ、お待ちください……! 神よ……!」

 無我夢中で叫んだ声は、真っ白な世界に虚しく響くだけだった。
 最後に真っ白な空間に残った黄金の瞳は、まるで王宮の奥に奉られた神の像の目のようにただ静かにわたしを見つめ、消えてしまった。
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