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その一年のエピソード

段ボールいっぱいの、たぶん、愛

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「義理とはいえ、秘書だからそれなりのもの、っと」

バレンタイン前の、OLで混雑するチョコレート売り場で物色しながら、実里は隣で物珍しそうに眺めている千速に尋ねた。

「なに。こういうとこ、初めてってわけじゃないでしょ」
「義理チョコは一度も渡したことがない」
「はい?」

人混みの中、ぐるり、と千速に向き直った。
何か、OLとして有り得ないこと言ってませんでしたか。

「本命もないけど。あ、父と兄には母と一緒に用意しているけど、母が主導権を」
「あ、そ」

実里は脱力して、再びチョコレートの物色に戻った。

「千速は、どんなのにするの?」
「うーん。ここじゃ見当たらないかな」

高級専門店でご購入ってことですかね?
悔しいぞ。
本命のチョコレートは、今年も購入すること叶わず(だって、いないんだもーん)。
唸りながら、実里は桜井用のチョコレートを購入した。

「じゃ、それを買いに付き合うよ」
「そう?」

バレンタイン特設売り場を脱出して、千速は食品売り場のお菓子コーナーまで来ると、箱に入り紙で個包装されたチョコレートを物色し始めた。

「?」

実里が見守る中、千速は何種類かを手にし、ちょっと悩みながら選んでいる。
義理チョコは渡したことがないし、渡さないんじゃ?

「抹茶チョコだって。美味しいのかな、これ」
「ねぇ」

千速が、実里に振り向いた。

「これ、美味しい?」
「まぁまぁかな。……じゃなくて、それは営業部の人たちに?」
「ううん。瑞穂の」

実里の目が驚愕に見開かれた。
あの・・瑞穂に、この・・チョコレート!?

「ほんの少しの高級なチョコレートより、普段、机の引き出しに入れておいて食べてもらえるようなものがいいの。今年は直接渡せるわけじゃないし」
「……そうか」

色んな種類を入れて、どれが美味しかったか聞いてみようかなー、と呟きながら、千速はチョコレートをカゴに入れ始めた。
箱を開けた瞬間の、瑞穂の呆れた顔が目に浮かんで、口元に笑みが浮かぶ。

そんな千速を眺めながら、実里は思う。
沢山の高級チョコレートが届く中で、こんなありふれたチョコレートは、逆に目立つことだろう。
それに、大量だし。
カゴに放り込まれる量を見て、実里はクスリと笑う。
しかし、千速にそんな計算があるわけではなくて。
単純に瑞穂を喜ばせたくて、純粋に瑞穂の側に置いて欲しくて、この百数十円のチョコレートを 真剣に吟味するのだ。

……なんて可愛いヤツ。

実里は、千速のウエストにムギュッと抱きついた。

「千速っ! 男に生まれ変わったら、私、千速と付き合うっ」
「……そんなに、このチョコレート好き?」
「……」

そんなに美味しかったっけー? と首を傾げる千速に抱きついたまま、実里はクスクス笑い出した。
敵わないわー。


 * * *


そういえば、特別な贈り物って初めてよね。

箱の底にプレゼントの万年筆を入れながら、千速は思った。
瑞穂の立場では、書類に直筆のサインと印が必要なことも多いだろう。
そう思って選んだのだ。
その上から、大量のチョコレートを箱に詰める。

気付くかしら?
うーん。ペンシルチョコレートも混ぜてみたら面白かったかも。
……。
やらないけど。

メッセージカードをちょっと躊躇った後で、やっぱり底の方――万年筆の上――に置いた。
蓋をして、ガムテープで止めて、ふと手が止まる。
初めてのバレンタインに、段ボール箱で、しかも宅配便使って送りつけるとか……あり?

――ありっ!!!

肩をすくめて、宛名を書き、コンビニに持ち込んだ。



 * * *



父の入院中から、瑞穂は実家住まいだ。
バレンタイン当日、帰宅してみると、

「お届けものがあるのよ~」

出迎えた母が、そわそわしながら、瑞穂を居間に引っ張っていった。
瑞穂宛の、それなりの量の届け物が居間に積み上げられている。

「適当に処分しておいて」

と言おうとして、可愛らしい袋や美しい包みに混じって置かれた、普通のダンボール箱に目が留まった。

……これは、違うんじゃないのか?

「あら。さすが我が息子、お目が高い」

母がにんまり笑いながら、その箱をよいしょ、と瑞穂に手渡した。
差出人を確認すると――千速だ。

抱えて、そのまま自室に向かおうとする瑞穂に、

「ここで開けるんじゃないの?」

何だか面白そうな匂いがするのにー、と残念そうに母が呟く。

「残りはよろしく」

しかし、瑞穂は軽くスルーした。
取り敢えず部屋に持ち込み、箱を開けてみる。
中に大量に詰め込まれていたのは、最後の日に、千速がスーパーで買っていたものと似たようなチョコレート。
一瞬呆気にとられたものの、こみ上げるものを抑えきれず、部屋でひとり、瑞穂は笑い出した。

お前、仮にもバレンタインだろう。
同期・・の俺には寄こしたことのないチョコレートだが、これを、この量ってどいういうことだ。
しかも、ブラックやミルクチョコレートならまだしも、抹茶やストロベリーとか、俺に食えというのか?

ククク、と笑いながら、箱の中身を確認する。

――いやぁ、あのような美しいお嬢さんがおられるとは……――

そうだ、その・・美しいお嬢さんは、実はこんなユーモアも備えている。
ユーモアと……

見つけ出したメッセージカードを開く。



  『 常備薬をどうぞ。
    側に置いて。 

                千速 』



ユーモアと、洞察力だ。

――大丈夫だ。一番のヤマはもう乗り切った、心配しないでも。

箱の底には、細長い包みが、チョコレートで隠されるように入っている。
包装紙を開けると、美しいドイツ製の万年筆が出てきた。

スマートフォンを取り出し、

『受け取った。ありがとう』

いつものように、瑞穂はメールを送る。

『どれが美味しかったか、そのうち教えて』

千速からの返信に、チョコレートのように甘い言葉は、もちろんない。
それでも、寄り添おうとしてくれる気持ちを、瑞穂は感じるのだ。


 * * *


「『受け取った。ありがとう』だけど?」
「ええ~っ!もっとビビットな反応は無かったの?」

実里が、千速に事の顛末を聞いている。
やっぱり段ボール箱で送るとか只者じゃない、と密かに思いつつ。

「抹茶はイマイチだったって。ブラックがいい、って言ってた」
「……食べたんだ、抹茶」



 * * *



一ヵ月後のホワイトデーに、千速は封筒を受け取った。



  『 こっちだったら付き合ってやれる。
    約束の、前払いだ。

                     瑞穂 』


入っていたのは、水族館のチケットが二枚だった。
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