悪魔の甘美な罠

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信じない

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 人間界に魔界の王子であるルーが来ているとスノー殿下や現聖女であるアリア様にバレ、滞在していた宿の部屋に踏み込まれた先で、アリア様の魔法で重傷を負ったルーを庇い続けていたせいで私は騎士に身体を刺された。薄れゆく意識の中、スノー殿下に捕まってルーの側に行けなかった。ルーの名前をずっと呼び続けている内意識は無くなり、ずっと真っ暗な世界を見ていた。途端に浮かぶ意識。瞼が異様に重い。ゆっくり、ゆっくり上げた先には見覚えのない天井が映った。ぼんやりとしていた視界が鮮明になると首を左右に動かして此処が何処か把握する。高級な調度品が置かれていて、壁紙や絨毯も高価な物だ。ふと、お腹に触れて痛みがないと気付く。起き上がれるかなと思い切って上体を起こしたら痛みは本当に無かった。刺された傷を跡形もなく、痛みさえ消せるのは聖女の力。アリア様が私の傷を癒したの?どうして……と考え込んでいると「目が覚めた?」と声がした。ハッとなって横を向いたらスノー殿下が部屋に入って来ていた。後ろに控える従者に「二人きりにしてくれ」と告げ、部屋には私達二人だけとなった。


「っ……」


 近くから椅子を持って来てベッド付近に座ったスノー殿下からなるべく距離を取るようにと端に寄った。スノー殿下の整ったお顔が険しくなろうと距離を取る。今の私達は敵同士だから、近い距離ではいられない。


「こうして君と話しをするのは随分と久しぶりだ」


 話しをする?スノー殿下とまともに話をしたことなんて一度もない。


「……勘違いでは?私は殿下とお話したことなんて殆どありません」


 顔を合わせても冷たくて、怖い声と顔で私を拒絶するだけだった。王太子の婚約者、聖女なのだからと無理矢理家族と引き離され王城に住まわされた私の唯一の心の拠り所はルーリッヒだけだった。本来なら、唯一の拠り所となる筈だった人は常に私を嫌い遠ざけた。


「そうだな……それも全てあの悪魔のせいだ」


 吐き捨てるように紡がれた言葉に苛立ちが湧く。何もかもをルーのせいにしないでほしい。


「ルーは悪くありません。私を嫌い、冷遇したのはスノー殿下自身です」
「あれは違う。ミリディアナ、よく聞くんだ。あの悪魔は、君を手に入れる為私に君を嫌う魔法を掛けて、私から君を遠ざけたんだ」
「ルーはそんなことしません!お城で一人ぼっちの私に声を掛けて、ずっと側にいてくれました。初めは聖女の能力に目覚めた私を殺す為に来たとは教えられました。でも、私を好きになったから一緒に魔界に来てほしいとルーは言ってくれたんです」
「君を孤立させ、君が頼るようあの悪魔は仕向けたんだ。あの悪魔は認めた、私が君を嫌うよう仕向けたと」
「ルーは絶対そんな事しません。ルーは、ルーリッヒは何処ですかっ」


 自分にとって都合が悪いことをルーリッヒのせいにして嘘ばかり言うスノー殿下の言葉は到底信じられない。早くルーの居場所を聞いて助けに行かないと。


「っ……ここまで言ってどうして信じない」
「!?」


 ぎりっと歯を噛み締めたスノー殿下の表情は険しさの上に苦しさを乗せた。私を嫌い、遠ざけた人がどうして苦しそうな顔をするの?一瞬、唖然となったのが駄目だった。急に動き出したスノー殿下に押し倒された。腰の辺りに跨られ、両手首をベッドに押し付けられ全く身動きが取れない。痛いくらい握られて「い、痛いっ」と悲鳴が漏れた。でも力は緩まない。


「ミリディアナ。私とあの悪魔、どちらを信じる」
「そ、そんなの、ルーに決まってますっ」
「私達を引き離す為に、私に魔法を掛けたあの男を信じるというのか?」
「何度だって言いますっ、私が信じるのはルーリッヒです!」


 手首を握る力がより強くなり、本気で骨を折られかねない痛みに目を閉じて耐える。折られたっていい、今此処で殺されたっていい。私はルーを信じる。ルーは酷い事はしない。
 急に手首の痛みが引いた。そっと目を開けたら――私の大好きな人がいた。


「ルー……」
「ミリーちゃん……」


 服が少し乱れ、なんなら汚れ付着していた。髪もちょっとボサボサ。私の上にいたスノー殿下をルーが退かしたくれたんだ。スノー殿下はベッドの下に転がされ、気を失っている。ゆっくりと上体を起こすとベッドに腰掛けたルーに抱き締められた。私もルーを抱き締めた。ルーの何処を見ても怪我がない。色々と聞きたい事は沢山あるのに、無事な姿を見て安心して涙が溢れて止まらない。言葉を紡ぎたいのに嗚咽しか出ない。そんな私を落ち着かせようとルーがポンポンと背中を撫でる。


「怖い思いをさせたねミリーちゃん。もう大丈夫だから」
「うんっ、うん……!」
「手首を見せて。ああ可哀想に」


 身体を離し、スノー殿下に掴まれていた手首を見たルーが痛ましげに顔を歪める。真っ赤な手形がくっきりと残っていて、触られると少し痛い。ルーの治癒魔法で痛みも跡もさっぱりと消えた。


「ありがとう、ルー」
「ううん。俺がもっと早く来ていたら君を傷付けずに済んだのに」
「ルーは助けに来てくれたよ。ルーも怪我は?アリア様に重傷を……」
「大丈夫。人間界にいる叔父が人間の振りをして治療してくれたから」
「良かった」


 また、抱き締め合う。どちらが先かなんて分からない。視線が合ったら自然とそうなった。抱き合ったまま、会話が続いた。


「スノーとどんな話を?」
「ルーが私と殿下を引き離す為に、殿下が私を嫌う魔法を掛けたと言われた」
「君はそれを聞いてどう思う?」
「私を嫌っていたのはスノー殿下本人なのに、悪魔だからってそれをルーのせいにするのは酷い。ルーはそんな事しないもん」
「……ああ。俺はしないよ。第一、そんな事をして万が一君に知られたら俺が軽蔑されちゃう。俺はミリーちゃんとずっと一緒にいたいから、していないよ」
「私もルーがしてないって信じてる」


 悪魔は残忍で嘘吐きで狡猾な生き物だと聖女教育で習う。人間だってそう。自分の不利な部分を悪魔に押し付け、さも清廉潔白を装う。死体の損壊を激しくしたのはルーだけどあれは私も同意していた。その方が悪魔に殺されたとより映えるからって。


「ありがとうミリーちゃん。そんなミリーちゃんに王家とアクアローズ家について教えてあげる」
「え」


 身体を離したルーはアリア様から聞いた両家について語った。お父様もお母様も、初めは私を王城で住まわせるのは反対で、国王の説得を試みた。でも、聖女を側に置き自由に扱いたかった国王は両親の訴えを退け無理矢理私を王城に住まわせた。スノー殿下が私の肖像画を見て一目惚れしたのもあり、私を必ず大事に育てるからと両親を無理矢理納得させ、私は住まいを移された。


「嘘だわ。だって殿下は」
「スノーの証言がなくても国王ならどうとでも言える。国王は、君が実家を恋しがらないよう伯爵家に会う事もプレゼントを贈る事も禁じた。手紙もね」


 手紙は贈っても城の誰かが握り潰し、私の許へは来なかった。私が書いたお父様やお母様宛の手紙もそう。私は幸せに暮らしているという報せは、私の死を偽装した一年後まで続いたと言うから唖然となる。


「いくら王家だからってそんなの……」
「その頃、伯爵夫人は双子を身籠っていただろう? もしも、君の死を報せて夫人の身に何かが起きてはいけないからと伏せられていたんだ。無論、伯爵夫妻は幸せに暮らしていたと信じていた娘が一年も前に悪魔に殺されたと聞いて激怒したそうだ」
「……」


 行かないで……と私が伸ばした手を振り払って冷たいお父様を思い出す。あれは、私を家に帰らさない為の演技だったの?だとしても……もう手遅れ。


「両家の関係は最悪だ。伯爵家は、王国では珍しい生地の輸入を担っているらしいけど王家には一切――」
「ルー」


 私は話すルーの声を遮った。


「もういいよ。もういい」
「ミリーちゃん」
「私にとってお母様とお父様はあの時から他人になったの。私をお城に置いて行って、新しい家族を心待ちにする二人の娘ではなくなった」


 あの頃にこの事実を知っていたら、お父様とお母様に会いに行って。
 でも、それは無理だ。
 拒絶の意を強く示すとルーは「分かった。この話は終わりにして、一旦宿に戻ろうか」と提案した。


「戻って大丈夫なの?」
「叔父は準備が良くて。違う宿を用意してくれた。そっちに移ろう」
「うん」


 元の宿はスノー殿下達が店主に知らせてもう使えなくなっていそう。ルーの転移魔法で新しい宿に移った。

 最初に泊まっていた部屋と同じくらい豪華で内装も悪くない。


「ルーはアリア様と会っていたのよね?」


 王家と伯爵家の話をアリア様から聞いたと言っていたのだ、当然アリア様といた。魔王の息子であるルーの側に聖女であるアリア様がいても不思議じゃない。


「まあね。俺を操って他の悪魔の情報を引き出したかったみたいだけど諦めてもらったよ」


 人間界に住むルーの叔父様の力がなかったら、危なかったと言われるので会う機会があればお礼が言いたい。魔王陛下と見目は似ていて、でも雰囲気は叔父様の方が何倍も柔らかくて接しやすいのだとか。


「アリア様はどうなったの?」
「気絶してもらったよ。下手に始末しようとすると聖女の力が漏れて俺にとっては害になるから」
「ルーが無事で良かった」
「ありがとう。そうだ、お風呂に入ろう」


 勿論一緒にね?と囁かれただけで私の体は反応した。びくりと震えるも私は小さく頷いた。


「でも……お風呂で抱かれるのは嫌」
「どうして」
「逆上せちゃうから……」
「そうだったね。お風呂に入ってからミリーちゃんを抱こう」
「うん……」


 恥ずかしいけど、大事な事は言葉にしないと伝わらない。私の腰を抱いたルーにエスコートされながら浴室に向かったのだった。

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