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第三章

11 お出かけ準備

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 マージェリィはいつも研究に夢中になって夜更かししがちなせいか、朝が遅い。
 レヴィメウスを召喚して以来、毎日レヴィメウスの方が先に起きていて、コーヒーの良い香りに起こされる日々を過ごしていた。
 この家のベッドは大きなものがひとつ、狭いものがひとつあるものの、いきなり共寝するのは心臓に悪いので、もう少しレヴィメウスと一緒に過ごすことに慣れてから添い寝をお願いしようと考えている。
 背の高いレヴィメウスに狭い方のベッド――師匠が存命のときにマージェリィが使っていた方――で寝てもらうのは申し訳なく、せめてもの快適さを提供するためにお気に入りの大きなふかふか枕を渡したら『主の匂いがする』と喜ばれてしまい、恥ずかしくて取り返そうとしても返してもらえず結局そのまま使ってもらっている。



「おはよ、レヴィメウス」
「ああ、おはよう、主。朝食ができておるぞ」
「うん、ありがとう。すぐ行くね」

 美しい笑顔と美声で一日が始まるのは実に気分が良い。
 マージェリィはあくびをしながら洗面所に行くと、ぼんやりとしながら顔を洗い、ワンピース型の寝間着姿のまま居間に戻った。

 居間の入り口ではレヴィメウスが待ち構えていた。マージェリィの頭の先に手を伸ばし、跳ねている髪を弾く。

「寝ぐせを付けた主も実に愛いものよな」
「そう? そんなこと言われたの初めてだよ」

 なぜならこの家でずっと独り暮らしをしていて、朝起きてもひとりだったから――。
 ひとりきりになる前、赤子の頃から十年間は師匠とふたりで暮らしていたが、魔法の技術を学ぶのに毎日夢中だったし、師匠もまた研究に没頭しがちだったせいで、こういったちょっとした日常会話を交わした覚えがなかった――師匠との思い出は、当然と言えば当然かもしれないが魔法の講義や訓練など、魔術絡みのことがほとんどだった。

 新しい日常が始まったことを改めて実感すれば、胸の辺りがくすぐったくなる。

「どうした? 主。嬉しそうな顔をして」
「あなたに可愛いって言ってもらえたのが嬉しいの」
「そうか。我も主の愛らしい一面を発見できて幸せだ」
「わはあ……ありがとう」

 素直に喜びを示せばそれ以上に喜びを返される。

(恋人同士って、こういうやり取りをするものなのかな)

 愛読している恋愛小説では、想いが通じ合ったあと共に過ごす日常は書かれてはいなかった。
 フィクションの中ですら拝めなかった場面に自分が今まさに置かれていることを実感し、ますますマージェリィは心が弾んでしまったのだった。



「いただきまーす」
「召し上がれ」

 普段はひとりの空間に響かせる言葉にすぐさま返事が返ってくる。
 またひとつ幸せを見つけたマージェリィはにこにことしながらレヴィメウスの作ってくれた朝食を食べ始めた。目玉焼きとカリカリに焼いたベーコン、焼き色の付いたソーセージとマッシュルーム。甘みの増した焼きトマト、そして白いんげん豆のトマトソース煮込み。
 魔法の保管庫に入れてある食料は一年間は鮮度が保たれるため様々な種類の食材を用意してあるのだが、それらをこうしてひとつの料理として完成させてくれたレヴィメウスの器用さには感心させられっぱなしだった。温かな料理に心まで温めてもらえた気がして、感動に涙すら浮かんでくる。

「レヴィメウスはお菓子だけじゃなくてお料理も上手だね」
「主のためならば何だってするぞ。悪魔らしからぬと言われようともな」
「ありがとう、レヴィメウス。とっても嬉しい」

 美味しい料理を作ってくれて、寝起きの姿でさえ褒めてくれて。 

(こんなの、好きにならないわけないじゃない)

 レヴィメウスは主人に好きになってもらうために努力すると言っていたが、既にその淫魔の願いは叶っているとマージェリィはつくづく思ったのだった。


 レヴィメウスの作ってくれた朝食を食べながら、本日の予定を披露する。

「今日は大きい街に行こうと思ってるんだ。古書店巡りをしようと思って」
「ほう。では喜んでお供しよう」
「ホント? 嬉しい! ありがとう、レヴィメウス」

 悪魔は人の多い場所へ行くのは嫌がるかなと思いきや同行してくれると即答され、嬉しくなったマージェリィは喜びを噛み締めながら料理を口に運んだ。

 思えば誰かと連れ立って街へ赴くなど、師匠が生きていたとき以来だった。デートというわけではないとはいえレヴィメウスと共に街へと出掛けられることとなり、マージェリィは目の前で食事を進める美しい悪魔の顔を遠慮なく眺めつつ朝食を楽しんだのだった。


 朝食をすっかり平らげ、レヴィメウスと一緒に食器洗いをしてから姿見の前に移動する。

「さて。変装しますかね」
「我が召喚されたときに主が話しておったが、主のその姿から老婆になるのか? 想像もつかぬな」
「そう? じゃあ行きますよ~。えいっ」
 
 くるくるっとステッキを回し、その先端で自分の顎先を軽く二回つつく。
 魔法の煙が体の中心からぼわんと噴き出し――その煙が晴れると、姿見の中に腰の曲がった老婆が出現した。
 変身した主人の隣でレヴィメウスが目を丸くしている。腰が曲がっているせいで顔が遠く感じる。

「……どうじゃろうか」
「おお? 声まで変わるのか! 全く素晴らしいな、主の魔法は」
「褒めたってなんも出やせぬよ」

 顎に手を当てたレヴィメウスが興味深げに目を輝かせながら、しきりに頷く。

「ちなみにその口調も自然と変わってしまうものなのか?」
「ううん、しゃべり方は姿に合わせてるよ」
「!?」

 いつも通りの話し方で返事した途端に鏡の中でレヴィメウスがぎょっとする。
 次の瞬間。

「ふはははは! 老婆の声で普段の主の口調だと違和感が凄まじいな!」

 と腹を抱えて爆笑した。

「そうじゃろ? だから本を読んで、老人の口調を学んだのじゃよ」
「なるほど。擬態するにもそのような努力が必要なのだな」
「街の人に警戒されては買い物ひとつすらろくにできなくなるからのう……とはいえ」

 マージェリィはこの姿をしたときの記憶を思い出すと、溜め息をついた。
 老婆の姿のままなので、口調もそのままに語り続ける。

「無害な老婆であれば警戒こそされなんだが、こうもみすぼらしいとどうにも軽んじられてのう。よそ者の老人は、暇を持て余した町人には格好の餌食にされがちなのじゃ。かといって小綺麗にすれば金をせしめてやろうと狙われるしのう」
「なるほど。人間の醜さを味わわされてしまうわけだな」
「魔女のままじゃ怖がられるし、老婆でも邪険にされるし。街へ出るのは実はそんなに好きじゃないんだよね……。生きていくためにも魔法の研究のためにも買い物は必要だから行くけどさ」

 長年蓄積された鬱憤を聞いてもらえたとあって、つい普段の口調に戻って話し続けてしまう。
 レヴィメウスは真剣な顔付きで主人の話に耳を傾けた後、ふと視線を外すと考え込む面持ちに変わった。
 再びマージェリィを見て、笑顔に変わる。

「主よ。われあるじを護るから、今日は老婆の変装はせずに街へと繰り出してみないか?」
「えっ!」

 思ってもみない申し出に、マージェリィは素早くステッキで宙にバツ印を描いて元の姿に戻った。

「ホントにいいの? ありがとうレヴィメウス!」

 優しい淫魔にぎゅっと抱きついて胸に頬ずりする。

「私ね、老婆じゃない格好で街に出るのが夢だったの」
「そうか。主の夢を叶える手伝いができて我も喜ばしい限りだ」
「ふふっ」

 レヴィメウスも抱き締め返してくれて、髪に幾度かキスして何度も頭を撫でてくれる。腕から力を抜いて厚い胸板から顔を起こすと、そこには満面の笑みが待ち構えていた。自分のことのように喜んでくれるレヴィメウスに、マージェリィは心をくすぐられて思わず笑い声をこぼしてしまった。

 抱擁を解き、一歩下がって改めて姿見に向き直り、浮かれた気分のままにステッキを振る。
 魔法の煙が晴れると、今度は年相応の衣服を纏った姿が写し出された。地味な色合いの短いケープ、その中は白いブラウス。下はショートパンツにロングブーツ、その内側にロングソックス。長い髪はポニーテール。
 いつかしてみたいと思っていた格好になれて、マージェリィは鏡の中の自分を見てうきうきと頷いた。
 その隣でレヴィメウスがマージェリィの全身を見渡して感激した表情になる。

「おお、似合うな主よ。してこの格好は?」
「冒険者の薬師の格好なの! これから行く街はいろんなところから冒険者が集まってきてるから、これなら目立たないかなと思って」
「なるほど」
「レヴィメウスも変装しよ? さすがにそのままだときっと注目を集めちゃうから」
「ふむ。ではまず角を隠さねばならぬよな」
「帽子被る?」
いな。消す程度のことは自分で出来る」

 レヴィメウスが鏡の中の自分を見ながら角を触る。
 大きな手のひらが表面の凹凸をなぞっていき、淡い光を帯びたあと、ふっと跡形もなく消え去った。

「わあ……悪魔って角を出したり消したりできるんだね」
「ああ、そうなのだ。だが悪魔の象徴であるからと消したくないと主張する者もおれば、怠惰でこの技術すら身に付けぬまま人間界へ参ってしまう者もおる」
「悪魔さんにもいろんな人が居るんだね」
「そうだな。さあ、主よ。変装魔法を頼む」
「あ、うん! では行きますよ~えいっ」

 ステッキをくるくると回し、今度はレヴィメウスに向かって軽く二回振る。
 逞しい体の中心から魔法の煙が勢いよく噴き出す。
 次の瞬間、レヴィメウスもまた冒険者の姿に変わっていた。
 片方の肩には革製の肩当て、同素材の胸当て、半袖の上着とハイネックの長袖のシャツを重ね着していて、腰には二重のベルト、生成り色のズボン、膝下丈のブーツ。

「似合うー! 素敵素敵!」

 背の高いレヴィメウスに完璧に似合う変装をさせられて、そのあまりの格好よさにマージェリィは今にも抱きつきたい気持ちでその場で小さく跳び跳ね拍手した。
 その横で、レヴィメウスが姿見で自分の変装を確認しつつ主人を見て口の端を吊り上げた。

「これは主の好きな物語『お姫様と勇者様』シリーズに出てくる勇者の冒険の序盤に着ている装束だな」
「え!? よくわかったね!」

 きっと似合うだろうと思って特に断りもなく変身させたところにずばり言い当てられてしまい、つい声が大きくなってしまう。マージェリィのお気に入りのその官能小説は姫と勇者という高貴なふたりがいざ想いを通じ合わせて肌を重ねる際の、勇者が姫を激しく貪る描写が人気の物語だった。

「いつの間にその本も読んでたの? 料理本ばかり読んでるかと思った」
「料理本はあらかた読み終えたのでな。今は主が繰り返し読んでいると思われる本を選んで読み進めているところだ」
「わはあ……。読んだ跡が付いてる本ってことだよね? なんかちょっと恥ずかしいかも」
「主のことならなんでも知りたいのだ。どうか許して欲しい」
「うん、いいよ。恥ずかしいけど嬉しいもの」

 自分に興味を持ってもらえることがこんなに幸せだなんて――その気持ちを抱き締めるように胸に手を当てていると、ふとレヴィメウスが不思議そうな表情に変わった。

「ときに、主は姫の変装でなくてよいのか? お忍びデートで姫が町娘の格好をするシーンがあったろう」
「ええ? まああのシーンのお姫様は可愛い服を着てるけど。私がお姫様なのは変だよ。似合わないし」
「そうだろうか? きっと似合うと思うのだが」
「私がご主人さまだからってそんな持ち上げ方しなくてもいいって」
「我はそのような小手先の機嫌取りはせぬ。本気で似合うと思うておるからそう主張しておるのだ」

 レヴィメウスが向きになった顔をして畳み掛けてくる。
 真剣な眼差しに胸が高鳴る。しかしマージェリィは首を振って冷静さを取り戻すと、迫りくるレヴィメウスを宥めるべく笑みを浮かべてみせた。

「レヴィメウスのその勇者の姿だけならよくある冒険者の装備だから怪しまれないけど、私がお忍びデートのお姫様の格好をしたら物語の姫の真似してるって気付かれちゃうと思うんだ。あの物語って性描写を抜いた一般向け版もあって、とっても有名な作品だから。だから今日は、冒険者のこの格好で行かせて?」
「ふむ。ならばいつかわれあるじと肌を合わせる際に、姫のドレスを纏ってもらおうか。物語の中の勇者のごとく、興奮に任せて美しいドレスを乱暴に剥いて抱き尽くしてやろう」
「びゃっ」

 とんでもない提案をされて肩が跳ねる。憧れのシーンとはいえ実際に自分がその状況に置かれるなど想像したことがなかった。この淫魔なら、きっとそんな無茶のように思える願いすら真摯に叶えようとしてくれるのだろう――。

「い、いきなりコスチュームプレイ?はハードルが高すぎるから、まずは普通に抱いて欲しいかも……」
「ふ。承ったぞ、主よ。物語の再現は、主が我との性交に飽いたらにしておくとするか」
「うう。飽きるなんて、そんなことあるのかな……」
「刺激に慣れゆくのは自然の摂理よ。とはいえ我は淫魔であるから、主を溺れさせる手法などごまんと持ち合わせておるがな」
「そ、そうなんだ……お手柔らかにお願いね?」


(レヴィメウスとのセックスに私が慣れちゃうくらい、たくさんたくさんしたあとの私ってどんな風になっちゃうのかな……)

 確かにレヴィメウスの言うとおり、いつかは行為に慣れる日も来るのだろう。そのときにはきっと自他ともに認める大人の女性というものになれるのかも知れない。

(レヴィメウスを自分から誘惑できちゃうくらい、色っぽくなれるかな)

 今の自分にはまったく備わっていない、色気というものを獲得するにはまずはレヴィメウスとの共通の目標を乗り越えていかなければならない。

(レヴィメウスをどきどきさせられるほど色っぽくなるために、いっぱい頑張らないと)

 とにかくまずは最高性能の潤滑剤を完成させられれば様々な願いが叶っていくはず――。
 マージェリィは気合いを入れ直すと、意気揚々と家から飛び出したのだった。
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