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一章 〜浄化の聖女×消滅の魔女〜
永劫の苦痛×終わりなき幸福
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「こ、こは……」
アゼルハイム一上質と謳われるベッドで目を覚ましたのは、つい先程まで人の形を崩していた少女。
「おはよ、目が覚めた? 今はまだ深夜だけど」
そして脇でその少女を一晩中介抱していた、もう一人の少女、アルル。
「――!? っッ!」
無が待ち受けている筈だった少女にとっては余りにも唐突過ぎる出来事。
驚愕の様相を浮かべ、未だ安定しない声帯を震わせながらベッドから飛び起きる。
「あははっ、そんなびっくりする事ないじゃん。別に取って食べたりしないよ?」
「……ぁ、ぃ……ひ……ひかり、が」
口をパクパクと開閉しながら、どうにかこうにか発声方法を思い出そうと空気を漏らす少女。
「うん? なに?」
「……ひかり、が、目に、入って、手も、脚も、顔も、肌も、声も」
少女の、閉ざされた筈の心の闇が洗い流されていく。
「そりゃあ、あたしが付きっ切りで面倒見てあげたんだから治ってなきゃ困るよ。はぁ、ここまで損傷が激しい人間を治したのは久々で疲れちゃった」
張り詰めていた神経を解くかのように、ガックリと肩を下ろすアルル。
「あなたが……私を? そう、ですか。ありがとう、ございます」
瞳に溜まった涙を拭い、ぺこりと頭を下げる少女。
「どうしてあんなヤバい状態になってたのかは、まだ聞かない。それより今は、ゆっくり休む方が先」
素直にその言葉を聞き入れ横たわった少女の腹部から、空腹のサインが鳴る。
「す、すみません」
顔を赤くした少女が申し訳なさそうな表情を、掛け布団で覆い隠す。
「お腹減った? ここまで乗り掛かった船なんだから遠慮しなくていいって。丁度さっき纏まった収入もあったことだし」
「いえ、本当に、大丈夫ですから」
再び響く空腹のサイン。
遂に我慢しきれなくなったアルルが吹き出す。
「もー、強情なんだから。食欲があるに越した事は無いよ? バグロス! ご飯作るの手伝って!」
――承知致しました。
ドアの外から聞こえた了承の声に席を立ち、ドアノブに手を掛けるアルル。
「あなた、名前は? あたしはアルルメイヤ、サリエル。アルルって呼んで」
「私、は……私の、名前は、フィーレ。フィーレです。アルルさま」
「フィーレ、そう。良い響きで気に入った。これからよろしくね、フィーレ」
アルルはそこら中に散乱する、空の魔力ポーション瓶を跳ね除けながら台所へと向かう。
一足先に夕食の準備を始めていたバグロスはその足音に手を止め――
「お嬢様、あの娘の様態は如何で御座いましょうか」
無表情に不安を浮かべながらフィーレの安否を問う。
「取り敢えず一命は取り留めたかな。ぱっと見は元気そうにしてるよ。精神状態も、今は安定してる」
「左様、で御座いますか」
安堵の溜息がバグロスの口から漏れ出す。
「ま、こっからはあの娘次第かな?」
既に食材の下ごしらえを終えていたバグロスにアルルは礼を述べた後、自らも台所に立ち手を動かす。
「……どこか、私めがお嬢様に救われた日を彷彿とさせます」
切ないような、尊ぶような。
バグロスの目が微かに細まる。
「確かに、そんな感じもするかも」
「やはり、お嬢様は慈悲深きお方でいらっしゃる」
僅かに崩れた無表情の隙間から微笑みが零れる。
「やめて、ただの偶然に気まぐれが重なっただけなんだから」
「お嬢様の偶然、気まぐれで一体何人の民衆が救われた事か。私めもその内の一人です」
「はいはい! この話は終わり終わり! それより、夕食遅くなっちゃってごめんね、じいや」
本日の夕食はカレー。
各所要所から取り寄せられた特産スパイスがふんだんに使用された、極めて希少、極めて高価なメニューである。
城のディナーにすらほとんど出て来る事はない。
各地を奔走しているアルルだからこそ実現可能なシロモノである。
「恐縮で御座います。お嬢様の御心のままに」
「あっ、ちょっと待って。肉は形が残らないようにするか、出来ればエキスだけを抽出してもらってもいい?」
「承知致しました。配慮に及ばず申し訳御座いません」
主と食卓を共にする。
当然、バグロスの執事人生でそんな経験は一度足りとも存在しなかったが、これもアルルという特殊な少女に適応していった結果なのだろう。
料理器具の片付けを終えたアルルは再び寝室へと向かう。
「フィーレ、お待たせ。ご飯用意出来たよ。大丈夫? 一人で立てる?」
腰を上げ、外を眺めていたらしいフィーレに声を掛け、手を差し伸ばす。
「あっ、は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
アルルの手を借りて尚、ふらふらと覚束無いその脚。
「うーん、まだまだ万全とは行かなさそうか」
それを見兼ねたアルルが追加で肩を差し出す。
「ほんとうに何から何まで……申し訳ありません」
「ま、最低限の面倒ぐらいは暫く見てあげるから。その後どうするかは自分で決めること、いい?」
思案するような表情を浮かべるフィーレであったが、すぐさま顔を俯かせると――
「……私には、帰る場所も、大切な人も、物も、何一つ残ってないんです。ですから……」
消え入りそうな暗い声色で、そう告白する。
「……そっか。なら、これから作ってけば良いんじゃない?」
「ええと、それは、どういう?」
「ほら、ここがフィーレの椅子。んでそこに立ってるのがあたしの執事のバグロス。もとい、今回の件の後片付け役」
アルルはフィーレがバグロスを怖がってしまうのでは無いかと少しばかり危惧していたが、どうやら杞憂に終わったらしいと胸をなでおろす。
「始めまして。私はフィーレと申します。バグロス様にもご迷惑をお掛けしてしまったようで、申し訳ありません」
アルルの肩無しに辛うじてバランスを取りながら、ペコりと頭を下げるフィーレ。
「いえいえ、慣れておりますので。それよりもどうか、無理せずお座り下さい」
バグロスはなるべく柔らかい物腰で接する事を意識しつつ、アルルに続きフィーレに席を進める。
そうしてようやくフィーレは席に付く事を決意。
「ありがとうございます。……ええと」
座ったはいいものの、"いつもの食事"が無い事に戸惑いを覚えるフィーレ。
「はい、これがフィーレの分。遠慮せずに食べて」
フィーレは机に取り分けられたカレーをまじまじと見つめ――
「こんな豪華なお料理、私なんかが頂いてしまってもよろしいのでしょうか」
顔色を伺うようにアルルの顔を覗き込む。
消化器官、及び機能の方は特に入念に治癒を重ねた為、病み上がり、そしてカレーのような香り立つ重い食事であっても食欲をそそらせる事に無事成功したようだ。
「こんなんで良かったらいくらでも作ってあげるけど? ほら、ご飯冷めちゃうから」
アルルは柔らかい微笑みを浮かべながらスプーンを手に、フィーレの手の内に握らせる。
「はい……いただきます」
そのままカレーを掬い、恐る恐る口に運ぶフィーレ。
「どう? 口に合いそう?」
フィーレの目が感動に見開かれると、口の動きがみるみる内に加速していく。
「美味しい……とても、美味しい、です……」
肩を揺らし啜り泣くフィーレに、アルルとバグロスは軽く微笑み合う。
「足りなかったらおかわりもあるから、好きなだけ食べなさい。その後ゆっくり寝直して、明日……というか今日は、歩きのリハビリかな」
「すみません、いま感じている幸せを自覚し始めたら、なぜか、なみだが、とまらなくて」
それが、アルルが見たフィーレの始めての笑顔だった。
「あんなトコであんな状況に置かれてたら無理もない、か。ま、あたしが繋いであげた続きの人生、楽しい事も少しくらいはあるんじゃない?」
この日こそ――
「楽しい事、ですか? ……すみません、私は生まれた時からずっと、苦しみから逃げる事しか、考えた事が無かったので」
フィーレという名を持つ少女の、終わりなき苦しみが断ち切られた日。
「なら、あたしがいくらでも教えてあげる。だからさ、ちゃんと歩けるように頑張ろ? いい?」
その先に待つのは、終わりなき幸せ。
「……どうして、アルル様はそこまで」
ならばいっそ、その幸せに溺れてしまっても。
「ほら、落ち着いたらさっさと食べちゃいなさい。カレー、ほんとに冷めちゃうよ?」
この人の側で、その優しさに、その幸せに、溺れてしまっても――
――――――
アゼルハイム一上質と謳われるベッドで目を覚ましたのは、つい先程まで人の形を崩していた少女。
「おはよ、目が覚めた? 今はまだ深夜だけど」
そして脇でその少女を一晩中介抱していた、もう一人の少女、アルル。
「――!? っッ!」
無が待ち受けている筈だった少女にとっては余りにも唐突過ぎる出来事。
驚愕の様相を浮かべ、未だ安定しない声帯を震わせながらベッドから飛び起きる。
「あははっ、そんなびっくりする事ないじゃん。別に取って食べたりしないよ?」
「……ぁ、ぃ……ひ……ひかり、が」
口をパクパクと開閉しながら、どうにかこうにか発声方法を思い出そうと空気を漏らす少女。
「うん? なに?」
「……ひかり、が、目に、入って、手も、脚も、顔も、肌も、声も」
少女の、閉ざされた筈の心の闇が洗い流されていく。
「そりゃあ、あたしが付きっ切りで面倒見てあげたんだから治ってなきゃ困るよ。はぁ、ここまで損傷が激しい人間を治したのは久々で疲れちゃった」
張り詰めていた神経を解くかのように、ガックリと肩を下ろすアルル。
「あなたが……私を? そう、ですか。ありがとう、ございます」
瞳に溜まった涙を拭い、ぺこりと頭を下げる少女。
「どうしてあんなヤバい状態になってたのかは、まだ聞かない。それより今は、ゆっくり休む方が先」
素直にその言葉を聞き入れ横たわった少女の腹部から、空腹のサインが鳴る。
「す、すみません」
顔を赤くした少女が申し訳なさそうな表情を、掛け布団で覆い隠す。
「お腹減った? ここまで乗り掛かった船なんだから遠慮しなくていいって。丁度さっき纏まった収入もあったことだし」
「いえ、本当に、大丈夫ですから」
再び響く空腹のサイン。
遂に我慢しきれなくなったアルルが吹き出す。
「もー、強情なんだから。食欲があるに越した事は無いよ? バグロス! ご飯作るの手伝って!」
――承知致しました。
ドアの外から聞こえた了承の声に席を立ち、ドアノブに手を掛けるアルル。
「あなた、名前は? あたしはアルルメイヤ、サリエル。アルルって呼んで」
「私、は……私の、名前は、フィーレ。フィーレです。アルルさま」
「フィーレ、そう。良い響きで気に入った。これからよろしくね、フィーレ」
アルルはそこら中に散乱する、空の魔力ポーション瓶を跳ね除けながら台所へと向かう。
一足先に夕食の準備を始めていたバグロスはその足音に手を止め――
「お嬢様、あの娘の様態は如何で御座いましょうか」
無表情に不安を浮かべながらフィーレの安否を問う。
「取り敢えず一命は取り留めたかな。ぱっと見は元気そうにしてるよ。精神状態も、今は安定してる」
「左様、で御座いますか」
安堵の溜息がバグロスの口から漏れ出す。
「ま、こっからはあの娘次第かな?」
既に食材の下ごしらえを終えていたバグロスにアルルは礼を述べた後、自らも台所に立ち手を動かす。
「……どこか、私めがお嬢様に救われた日を彷彿とさせます」
切ないような、尊ぶような。
バグロスの目が微かに細まる。
「確かに、そんな感じもするかも」
「やはり、お嬢様は慈悲深きお方でいらっしゃる」
僅かに崩れた無表情の隙間から微笑みが零れる。
「やめて、ただの偶然に気まぐれが重なっただけなんだから」
「お嬢様の偶然、気まぐれで一体何人の民衆が救われた事か。私めもその内の一人です」
「はいはい! この話は終わり終わり! それより、夕食遅くなっちゃってごめんね、じいや」
本日の夕食はカレー。
各所要所から取り寄せられた特産スパイスがふんだんに使用された、極めて希少、極めて高価なメニューである。
城のディナーにすらほとんど出て来る事はない。
各地を奔走しているアルルだからこそ実現可能なシロモノである。
「恐縮で御座います。お嬢様の御心のままに」
「あっ、ちょっと待って。肉は形が残らないようにするか、出来ればエキスだけを抽出してもらってもいい?」
「承知致しました。配慮に及ばず申し訳御座いません」
主と食卓を共にする。
当然、バグロスの執事人生でそんな経験は一度足りとも存在しなかったが、これもアルルという特殊な少女に適応していった結果なのだろう。
料理器具の片付けを終えたアルルは再び寝室へと向かう。
「フィーレ、お待たせ。ご飯用意出来たよ。大丈夫? 一人で立てる?」
腰を上げ、外を眺めていたらしいフィーレに声を掛け、手を差し伸ばす。
「あっ、は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
アルルの手を借りて尚、ふらふらと覚束無いその脚。
「うーん、まだまだ万全とは行かなさそうか」
それを見兼ねたアルルが追加で肩を差し出す。
「ほんとうに何から何まで……申し訳ありません」
「ま、最低限の面倒ぐらいは暫く見てあげるから。その後どうするかは自分で決めること、いい?」
思案するような表情を浮かべるフィーレであったが、すぐさま顔を俯かせると――
「……私には、帰る場所も、大切な人も、物も、何一つ残ってないんです。ですから……」
消え入りそうな暗い声色で、そう告白する。
「……そっか。なら、これから作ってけば良いんじゃない?」
「ええと、それは、どういう?」
「ほら、ここがフィーレの椅子。んでそこに立ってるのがあたしの執事のバグロス。もとい、今回の件の後片付け役」
アルルはフィーレがバグロスを怖がってしまうのでは無いかと少しばかり危惧していたが、どうやら杞憂に終わったらしいと胸をなでおろす。
「始めまして。私はフィーレと申します。バグロス様にもご迷惑をお掛けしてしまったようで、申し訳ありません」
アルルの肩無しに辛うじてバランスを取りながら、ペコりと頭を下げるフィーレ。
「いえいえ、慣れておりますので。それよりもどうか、無理せずお座り下さい」
バグロスはなるべく柔らかい物腰で接する事を意識しつつ、アルルに続きフィーレに席を進める。
そうしてようやくフィーレは席に付く事を決意。
「ありがとうございます。……ええと」
座ったはいいものの、"いつもの食事"が無い事に戸惑いを覚えるフィーレ。
「はい、これがフィーレの分。遠慮せずに食べて」
フィーレは机に取り分けられたカレーをまじまじと見つめ――
「こんな豪華なお料理、私なんかが頂いてしまってもよろしいのでしょうか」
顔色を伺うようにアルルの顔を覗き込む。
消化器官、及び機能の方は特に入念に治癒を重ねた為、病み上がり、そしてカレーのような香り立つ重い食事であっても食欲をそそらせる事に無事成功したようだ。
「こんなんで良かったらいくらでも作ってあげるけど? ほら、ご飯冷めちゃうから」
アルルは柔らかい微笑みを浮かべながらスプーンを手に、フィーレの手の内に握らせる。
「はい……いただきます」
そのままカレーを掬い、恐る恐る口に運ぶフィーレ。
「どう? 口に合いそう?」
フィーレの目が感動に見開かれると、口の動きがみるみる内に加速していく。
「美味しい……とても、美味しい、です……」
肩を揺らし啜り泣くフィーレに、アルルとバグロスは軽く微笑み合う。
「足りなかったらおかわりもあるから、好きなだけ食べなさい。その後ゆっくり寝直して、明日……というか今日は、歩きのリハビリかな」
「すみません、いま感じている幸せを自覚し始めたら、なぜか、なみだが、とまらなくて」
それが、アルルが見たフィーレの始めての笑顔だった。
「あんなトコであんな状況に置かれてたら無理もない、か。ま、あたしが繋いであげた続きの人生、楽しい事も少しくらいはあるんじゃない?」
この日こそ――
「楽しい事、ですか? ……すみません、私は生まれた時からずっと、苦しみから逃げる事しか、考えた事が無かったので」
フィーレという名を持つ少女の、終わりなき苦しみが断ち切られた日。
「なら、あたしがいくらでも教えてあげる。だからさ、ちゃんと歩けるように頑張ろ? いい?」
その先に待つのは、終わりなき幸せ。
「……どうして、アルル様はそこまで」
ならばいっそ、その幸せに溺れてしまっても。
「ほら、落ち着いたらさっさと食べちゃいなさい。カレー、ほんとに冷めちゃうよ?」
この人の側で、その優しさに、その幸せに、溺れてしまっても――
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