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第百十九話 あら、お姉様ではありませんか?

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物陰から二人の様子を確認したゾフィーは上手くいったと微笑んだ。
後はアルバート様次第…。
ゾフィーはそっと祈るように手を組んだ。

「さて、と…。これから、どうしよう?」

一人になったゾフィーは辺りを見回し、呟いた。
とりあえず、そこら辺を歩いてみようかな。
そう思い、ゾフィーは人混みの中を歩いていた。
が、思った以上に人が多くて、ゾフィーは暑苦しさを感じた。
早々に人混みを抜けて、静かな場所で休もうと思い、ベンチに座った。

「フウ…。」

ゾフィーはそっと仮面を外し、汗を拭った。
ここなら、そんなに人もいないし、仮面を外しても問題ないだろう。そう思っていたゾフィーだったが…、

「あら、お姉様ではありませんか?」

ゾフィーはぎくり、と肩を強張らせた。
愛らしく、高い声…。
ゆっくりと顔を上げればそこには、淡い色合いの赤と白を基調にしたドレスに仮面をつけた可憐な少女が立っていた。
その隣には連れと思わしき男性の姿があった。
ゾフィーはすぐに誰だか気付いた。
仮面をつけていても分かる。

「ソニア…。」

ゾフィーの妹、ソニアだった。

「こんな所でお会いするなんて…、思わなかったわ。ねえ、ヒューゴ?」

「…ソニア。こんな女、相手にするな。」

ゾフィーはビクッとした。ソニアの弾んだ声に答える男の声は嫌悪の色を隠そうともしない。
きっと、仮面で隠れたその表情は自分を睨みつけている事だろう。

―ああ。駄目だ。やっぱり、私は変わっていない。

リエルと出会って少しは自分も変われるのではないかと思った。
リエルが認めてくれたから前よりも自分に自信が持てた気ではいた。
でも、違った。ゾフィーはあの頃から何も変わっていない。
ゾフィーは仮面を被るのも忘れてキュッと唇を噛んだ。

「お姉様、そんなドレス持っていらしたの?
知らなかったわ。…とっても素敵なドレスね。」

うっとりと呟かれた声にゾフィーはまずい、と思った。
これは、リエルが自分の為に仕立ててくれたドレスだ。所々に花の刺繍が施された萌黄色のドレスはフォルネーゼ家が仕立てただけあり、上品で値の張るドレスだと一目で分かる。
ソニアが気に入ったのはすぐに分かった。

「どうせ、その金も商会で稼いだ意地汚い金だろう。自分の豪遊に使ったりしないで妹のソニアの為に使ってあげればいいものを。」

「止めて。ヒューゴ。私はいいのよ。」

「君は優しいな。そこの姉とは大違いだ。」

表面上は姉を庇う妹とそれに感心する男。
ゾフィーはギュッとスカートの裾を握り締める。
確かにゾフィーは自分に必要最低限のドレスを仕立てたりはしている。
でも、それは母や妹にもしている事だ。
だって、あまりにもみすぼらしいドレスだと社交界では笑い者にされ、爪弾きにされるから。
けれど、それ以外の金はほとんど借金の返済と生活費に充てていた。
豪遊と呼ばれる程の無駄遣いをしたつもりはない。
だが、それを言った所で信じてもらえないことは今までの経験でよく分かっている。
だから、ゾフィーは言い返さなかった。

「そういえば…、お姉様はお一人なの?
誰かと一緒に来ていたのではないの?」

「私は…、」

妹はゾフィーが一人でいることに目敏く気付いた。

「こんな金儲けしか頭にない女が祭りに行く相手がいる訳ないだろう。
社交界でも嫌われ者。碌な縁談もないし、家族からも疎まれている女だぞ。」

「ヒューゴったら!
幾ら何でもそんな言い方はお姉様が可哀想だわ!
それに、あなたとヒューゴは義理とはいえ、もうすぐ家族になるんだから。」

「君の事は好きだけど、僕はこいつだけは無理だ。
全く…。こんな女と結婚させられずにすんで良かったよ。」

ゾフィーはピクリ、と微かに唇を震わせた。
そう。元々、目の前の男性…、ヒューゴはゾフィーの婚約者だったのだ。
だが、彼は姉よりも妹のソニアを選んだ。
ヒューゴに見えない角度でクスッとソニアは笑った。それはゾフィーを馬鹿にした笑みで優越感に満ちた表情だった。

この子は昔から、そうだった。
妹という理由だけでゾフィーからドレスにぬいぐるみに装飾品…、果ては男までも奪っていく。
両親も妹を溺愛していて、自分を邪険に扱う。
皆が皆、妹に心奪われる。
可愛げのない自分よりも愛想が良くて甘え上手な妹に目が向く。

…当たり前だ。だって、妹は可愛い。
ふんわりした栗色の髪に大きな瞳、白い肌はお人形さんのようだ。
小さくて、ふわふわして如何にも女の子といった印象を与える。
ゾフィーではこうは見られない。
髪の色が派手であるため、きつい印象を与えることはあってもこんな柔らかく、ふわふわしたオーラは出せない。
どうして、姉妹なのにこんなにも違うんだろう。
ソニアを前にすると、ゾフィーは自分の中の劣等感が刺激され、そんな自分が嫌になる。
ゾフィーはその場から逃げ出したくなった。

「ああ。ここにいたの?探したよ。」

不意に後ろからかけられ、そっと肩に手を回される。突然の事にゾフィーはその手を振り払えず、バッと顔を上げた。
そこには、一人の紳士が立っていた。
獅子の仮面を被った華やかなオーラと色気を纏った男…。

―ティエンディール侯爵?

ゾフィーは聞き覚えのある声に目の前の男がゼリウスだと気づいた。
どうして、ここに…?と思っている間にゼリウスは妹に目を向けた。

「知り合い?」

「初めまして!私、妹のソニアって言います。」

ゼリウスを前にすると、ソニアはにこにこと笑顔を浮かべて、可愛らしい仕草で自己紹介をした。

「ああ。そういえば、ゾフィーには妹と弟がいるらしいね。そうか。じゃあ、君がゾフィーの…?」

「はい!妹です。」

「…あんた、ゾフィーの何なんだ?
まさか、そいつの男とか?ハッ!やっぱりな!金だけじゃなくて、男にまでがめついな!下品な赤毛女らしい…、ッ!?」

「…ヒューゴ・ド・ヴィアンディスだね?
お目にかかれて光栄だ。」

ヒューゴはゾフィーを罵倒するが途中で声が出せなくなった。
ゼリウスが急にヒューゴの手を掴んだからだ。

「は、はあ?い、痛てえ!お、おい!何すんだ!?」

一見、友好的に握手をしているようだがギリギリ、と今にも骨が折れそうな程に嫌な音がしている。
ヒューゴは悲鳴を上げ、ゼリウスの手から逃れようとしているが身長も体格も負けているヒューゴが振り払える訳もない。彼は涙目になっていた。

「ああ。すまない。わたしとしたら、つい手に力が入ってしまって…、そんなに痛かったかな?」

「き、貴様!平民の分際で…!」

揶揄するようなゼリウスの言葉に激怒したヒューゴはガッとゼリウスの胸蔵を掴むがゼリウスはその手を逆手にとると、そのまま軽々とヒューゴの身体を地面に叩きつけた。

「ヘブッ!?」

ヒューゴは地面に顔をのめり込む勢いで倒れた。
あまりにも間抜けな醜態にゾフィーは思わず吹き出しそうになったが慌てて口元に手をやった。

「きゃああああ!?ヒューゴ!?」

ソニアが大袈裟に叫ぶがゼリウスはフウ、と溜息を吐くと襟元を緩めた。
その際に、ゼリウスの懐から何かが落ちた。

「え…?これって…、」

「ああ。申し訳ない。私としたら…、つい…、」

地面に落ちた護身用の短剣には空駆ける鷲と太陽をモチーフにしたティエンディール家の紋章が入っていた。
ソニアはあまり物覚えがいい子ではないがさすがに五大貴族の紋章くらいは覚えていたのだろう。
驚愕した表情でゼリウスを見上げた。
ゼリウスが短剣を拾い上げる。
ソニアはキラリ、と目を輝かせた。
ゾフィーは嫌な予感がした。

「もしかして、あなたはティエンディール侯爵様!?嘘!嬉しい!こんな所でお目にかかれるなんて!」

きゃあきゃあと騒ぎ立てる妹は気絶した婚約者を見向きもしない。
さっきまで婚約者を心配していた癖に何という変わり身の早さ。
まあ…、ソニアらしいが。
ゾフィーはヒューゴに同情する。
最も、ゾフィーとてヒューゴにいい感情は抱いていないので助ける気は全くないが。

「わたし、ティエンディール侯爵にずっと会ってみたかったんです!実は、ずっと憧れてて…、」

「…。」

確かその台詞はアルバート様にも言っていた筈だ。
侍女から聞いたので見た訳ではないが。
というか、気絶しているとはいえ婚約者がいるのにあんなにあからさまに媚を売るなど何を考えているのだ。
ゾフィーは溜息を吐いた。
思わずそんな妹を止めるために声を掛けようとするが…、

「そう。僕も君に会えて嬉しいよ。
…おかげで君という人間を知ることができた。」

ゾフィーは違和感を抱いた。
何だが彼の様子がおかしい。
いつも表面上は女に優しくして甘い顔をする彼じゃない。声も冷ややかでその纏う空気も張り詰めている。なのに、ソニアはそんなあ、と言ってまんざらでもなさそうに頬を染めている。

「素敵なドレスだね。それに…、その首飾りも髪飾りも。」

「ありがとうございます!」

何故だろう。さっきより、空気が冷たくなった気がする。ゾフィーは今度はさっきとは違う理由で逃げ出したくなった。

「でも、気のせいだったかな?
それは、俺がゾフィーにあげた贈り物と同じものに見えるんだけど。」

ゾフィーとソニアは同時に息を呑んだ。

「妹の君がどうして、それを着ているのかな?」

「あ…、え…、」

ゼリウスの口元が微笑んでいる。
なのに、空気は吹雪のように冷ややかだ。
彼が怒っているのだと肌を感じた。

―ま、まさか…!ソニアが…!?

おかしいと思っていた。あの時、リエルの事で話をしに行った時、彼から身に覚えのない贈り物について話され、違和感を抱いた。
そもそも、自分はゼリウスからそんな物を貰った覚えがないのだ。
だが、あの時はどうでもよかったし、きっと他の女性への贈り物と勘違いしているんだろうと思い、そのまま聞き流していた。
だが…、もし、ゼリウスが本当に贈り物をしていたとすれば…、それがゾフィーの手に渡っていないということは…、妹がゾフィーに届けられた贈り物を全て自分の物にしていたのだろう。
姉の物は自分の物だと思っている女王様気質の妹なら、やりかねない。
だが、まさか自分に黙ってそんな事をしていると想像できただろうか。

―な、何てことをしてくれたの!

ゾフィーは顔が真っ青になった。これは、ゼリウスが怒っても仕方ない。

「じ、実は…、お姉様が好みじゃないからいらないって言って捨てようとしていたんです。
でも、そんなのあまりにも失礼だからってわたしがこっそり…、」

「はあ!?」

ゾフィーは思わず声を上げた。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
何を言い出すんだ。この子は。そもそも、私は今、贈り物の存在を知ったばかりだというのに。
都合が悪くなると、すぐに姉の自分に罪を被せようとする所があるのは知っているがまさか、こんな時にでもそれを発揮するとは思わなかった。
思わず反論しようとするゾフィーだったが…、それより先にゼリウスが口を開いた。
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