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第9章 心と体を磨くバカンス、そして
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翌日の午後、エステを受けた。
あれだけ激しく抱かれたのだから、キスマークを散らされていたらどうしようかと思っていたけれど。
そんなことはなく、恥ずかしい思いをすることなく、玲伊さんお墨付きのエステティシャン、原さんの手技に身をゆだねて、心の底からリラックスすることができた。
「わたし、何人もの方の施術をしておりますけれど、加藤さん、本当に肌がお綺麗。シミもとても少ないですね」
「そう言っていただけると嬉しいです」
たぶん、学生時代、運動部とは無縁で、その後もほとんど日に当たらない生活をしているから、それが功を奏しているのかもしれない。
そして二日目の夜。
その日は別棟のフレンチレストランで夕食を取った。
もちろん、料理もワインも格別で、美食を心ゆくまで堪能することができた。
「少し外に出てみようか」
「うん」
ホテルの庭の照明は、ところどころに置かれている篝火だけでとても暗かった。
でもそのおかげで、文字通り、星が降ってきそうな夜空を眺めることができる。
「プラネタリウムみたい」
わたしは首が痛くなるほど、上を向いた。
満天の星なんて、生まれてはじめてだったから。
「優紀」
ずっと夜空を眺めているわたしを、彼が呼んだ。
こころなし、いつもより緊張を帯びた声音で。
どこにいるのかと辺りを見回すと、玲伊さんは少し離れた篝火のそばに立っていた。
星に気を取られていたわたしは、てっきりそばにいると思っていたので、驚いて駆け寄った。
「どうしたの? 玲伊さん」
火に照らされた横顔も、やっぱり少し緊張気味だ。
「何か話があるの?」
「ああ」
彼はわたしを見て、ひとつ息を吸った。
琥珀色の目が、ぱちぱちと勢いよく燃える篝火の炎を映している。
「一生、優紀のそばにいたいと思ってる。結婚してくれないか、俺と」
その言葉とともに差し出された赤い小箱。
彼が蓋を開けると、そこには、ダイヤのリングがやはり炎を受けてきらめいていた。
その瞬間、息が止まったかと思った。
同棲を始めるとき「結婚前提で」とは言われていたけれど、社交辞令のようなものかなと受け止めていた。
だからこんなにも早くプロポーズされるなんて、本当に思っていなかった。
そして、驚きが収まると、喜びの感情が怒涛のように襲ってきた。
「優紀、返事は?」
「……苦しい」
「えっ?」
意外すぎたのだろうか。玲伊さんが戸惑った声を出す。
わたしは慌てて言い添えた。
「嬉しすぎて、苦しい」
玲伊さんはぷっと吹き出した。
「なんだよ、それ」
そのとき、わたしの頭のなかには、これまでのさまざまな記憶が駆け巡っていた。
小1で出会った、大好きな玲伊にいちゃん。
会えなくなったときはどれほど悲しかったか。
今でもその感情はありありと思い出すことができる。
そして、兄から玲伊さんが大企業家の息子だと聞いたとき、さらに落ち込んだ。
それからはひたすら、彼を忘れようと努力し続けた。
でも、再会してしまった。
絶対に叶うことのない望みを抱いてのたうち回る日を過ごしていた。
その彼にプロポーズされたのだ。
一言では片づけられない、さまざまな感情が渦巻いて、知らない間に涙が零れおちていた。
わたしが玲伊さんの〝しろうさぎ〟になれるなんて奇跡以外の何物でもないから。
「嬉し涙だよな、それ」
わたしは頷き、そして彼の胸に飛び込んだ。
玲伊さんは、しゃくりあげ続けるわたしの髪を、優しく撫でてくれていた。
「落ち着いた?」
「うん」
彼はわたしの左手を取って、薬指に指輪をはめてくれた。
篝火に照らされたそれは、戸惑ってしまうほど、豪華で。
「ここに着いたときから、いつ言おうか、実はひそかにドキドキしてたんだよ」
わたしは鼻をすすりながら、答えた。
「どうして? わたしが断るはずないって知ってるのに」
「そんなこと、言ってみないとわからないじゃないか。お付き合いはいいけど、結婚は嫌、って言われることだってあるだろう」
「そんなはず、ないのに」
玲伊さんは照れたように、髪を掻き上げて言った。
「前にも言ったよね。男は本気の相手を前にすると、ものすごく臆病になるんだって」
でも、いつも余裕があって、わたしを手のひらで転がしてるような玲伊さんにも、そんなところがあるとは、まだ信じられない。
「でも、もうわたし、玲伊さんと離れられないよ。それは玲伊さんもわかっているものだと思ってたけど」
「言葉にしないと本当に伝わったことにはならないよ」
「うん、そうだね……」
彼はわたしの肩に腕を回して、建物の方に歩みだした。
そして、わたしの髪に口づけを落として、言った。
「これからもそうだよ。なんでも言い合える夫婦になろう」
「うん」
玲伊さんの言葉の意味はきちんと伝わっていたけれど、わたしはそれよりも〝夫婦〟という言葉に敏感に反応して、にやけ顔になってしまった。
暗くてよかった。
さすがに、こんな締まりのない顔見せたら、また笑われてしまいそうだ。
翌日の午後、エステを受けた。
あれだけ激しく抱かれたのだから、キスマークを散らされていたらどうしようかと思っていたけれど。
そんなことはなく、恥ずかしい思いをすることなく、玲伊さんお墨付きのエステティシャン、原さんの手技に身をゆだねて、心の底からリラックスすることができた。
「わたし、何人もの方の施術をしておりますけれど、加藤さん、本当に肌がお綺麗。シミもとても少ないですね」
「そう言っていただけると嬉しいです」
たぶん、学生時代、運動部とは無縁で、その後もほとんど日に当たらない生活をしているから、それが功を奏しているのかもしれない。
そして二日目の夜。
その日は別棟のフレンチレストランで夕食を取った。
もちろん、料理もワインも格別で、美食を心ゆくまで堪能することができた。
「少し外に出てみようか」
「うん」
ホテルの庭の照明は、ところどころに置かれている篝火だけでとても暗かった。
でもそのおかげで、文字通り、星が降ってきそうな夜空を眺めることができる。
「プラネタリウムみたい」
わたしは首が痛くなるほど、上を向いた。
満天の星なんて、生まれてはじめてだったから。
「優紀」
ずっと夜空を眺めているわたしを、彼が呼んだ。
こころなし、いつもより緊張を帯びた声音で。
どこにいるのかと辺りを見回すと、玲伊さんは少し離れた篝火のそばに立っていた。
星に気を取られていたわたしは、てっきりそばにいると思っていたので、驚いて駆け寄った。
「どうしたの? 玲伊さん」
火に照らされた横顔も、やっぱり少し緊張気味だ。
「何か話があるの?」
「ああ」
彼はわたしを見て、ひとつ息を吸った。
琥珀色の目が、ぱちぱちと勢いよく燃える篝火の炎を映している。
「一生、優紀のそばにいたいと思ってる。結婚してくれないか、俺と」
その言葉とともに差し出された赤い小箱。
彼が蓋を開けると、そこには、ダイヤのリングがやはり炎を受けてきらめいていた。
その瞬間、息が止まったかと思った。
同棲を始めるとき「結婚前提で」とは言われていたけれど、社交辞令のようなものかなと受け止めていた。
だからこんなにも早くプロポーズされるなんて、本当に思っていなかった。
そして、驚きが収まると、喜びの感情が怒涛のように襲ってきた。
「優紀、返事は?」
「……苦しい」
「えっ?」
意外すぎたのだろうか。玲伊さんが戸惑った声を出す。
わたしは慌てて言い添えた。
「嬉しすぎて、苦しい」
玲伊さんはぷっと吹き出した。
「なんだよ、それ」
そのとき、わたしの頭のなかには、これまでのさまざまな記憶が駆け巡っていた。
小1で出会った、大好きな玲伊にいちゃん。
会えなくなったときはどれほど悲しかったか。
今でもその感情はありありと思い出すことができる。
そして、兄から玲伊さんが大企業家の息子だと聞いたとき、さらに落ち込んだ。
それからはひたすら、彼を忘れようと努力し続けた。
でも、再会してしまった。
絶対に叶うことのない望みを抱いてのたうち回る日を過ごしていた。
その彼にプロポーズされたのだ。
一言では片づけられない、さまざまな感情が渦巻いて、知らない間に涙が零れおちていた。
わたしが玲伊さんの〝しろうさぎ〟になれるなんて奇跡以外の何物でもないから。
「嬉し涙だよな、それ」
わたしは頷き、そして彼の胸に飛び込んだ。
玲伊さんは、しゃくりあげ続けるわたしの髪を、優しく撫でてくれていた。
「落ち着いた?」
「うん」
彼はわたしの左手を取って、薬指に指輪をはめてくれた。
篝火に照らされたそれは、戸惑ってしまうほど、豪華で。
「ここに着いたときから、いつ言おうか、実はひそかにドキドキしてたんだよ」
わたしは鼻をすすりながら、答えた。
「どうして? わたしが断るはずないって知ってるのに」
「そんなこと、言ってみないとわからないじゃないか。お付き合いはいいけど、結婚は嫌、って言われることだってあるだろう」
「そんなはず、ないのに」
玲伊さんは照れたように、髪を掻き上げて言った。
「前にも言ったよね。男は本気の相手を前にすると、ものすごく臆病になるんだって」
でも、いつも余裕があって、わたしを手のひらで転がしてるような玲伊さんにも、そんなところがあるとは、まだ信じられない。
「でも、もうわたし、玲伊さんと離れられないよ。それは玲伊さんもわかっているものだと思ってたけど」
「言葉にしないと本当に伝わったことにはならないよ」
「うん、そうだね……」
彼はわたしの肩に腕を回して、建物の方に歩みだした。
そして、わたしの髪に口づけを落として、言った。
「これからもそうだよ。なんでも言い合える夫婦になろう」
「うん」
玲伊さんの言葉の意味はきちんと伝わっていたけれど、わたしはそれよりも〝夫婦〟という言葉に敏感に反応して、にやけ顔になってしまった。
暗くてよかった。
さすがに、こんな締まりのない顔見せたら、また笑われてしまいそうだ。
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