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二日酔い……のち、死に体
しおりを挟む私のことだって、いっそのこと突き放してしまえばよかったのだ。
それぞれに愛人を囲い、冷めた関係を続ける夫婦は貴族の中では珍しくない。
それなのに彼は、子を生し、義務を果たしたにもかかわらず、私を捨てたりはしなかった。
悪いのは私。人のものを欲しがって泣く子どものように、無邪気にあなたとニーナの仲に割って入った私なの。
「愛してるわフランツ……生まれて初めて愛した人があなたで、私は本当に幸せだった。だから、私のことなんて忘れて、幸せになって……」
最後にもう一度だけと、彼の首筋に鼻を寄せる。
愛おしい香りに鼻腔が満たされ、なんとも言えない幸福感が押し寄せる。
言いたいことも言えた。
──これで、なんの未練もなく逝ける
途切れそうな意識をなんとかつなぎ止め、最後にもう一度だけ呟いた。
「……あい……してる……」
視界が暗転する瞬間、あの時のように、泣き出しそうなフランツの顔が見えたような気がした。
***
幼い頃、母から聞いた。
人は死ぬと、たくさんの鳥たちがさえずり、美しい花々が咲き乱れる光の楽園にいくのだと。
そこには夜がなく、悲しみも苦しみも、痛みもない。
ただ喜びだけが存在するのだと。
「うっっっぷ……!」
小鳥のさえずりどころか自分の嘔吐く声で目が覚めた私は、眼前に広がる光景に瞠目し、豪快に吐いた。
「お、お嬢様!!大丈夫ですか!?」
天蓋からゆったりと広がる豪奢なレースをかき分け顔を出したのは、王都のローエンシュタイン公爵邸に勤めるメイドのエマだ。
だが最後に見た彼女よりも随分年齢が若い。
しかしおかしいのはエマの外見だけじゃなかった。
このベッド。そして部屋の装飾品も……
これは、私が結婚する前に使っていた部屋。
おかしいわ。だって私はフランツの腕の中で最期を迎えたはずなのに。
これがなんなのか確かめるために、バチン、と両手で頬を挟むように叩いてみる。
「おおおおお嬢様っ!!」
「痛いわ!!どうして!?」
どうやらこれは夢でもなく、走馬灯でもない。
──いったいどういうこと!?
「エマ!今日は何年の何月!?」
「どうしたんですお嬢様!?まずはそれをなんとかしませんと……!!」
「あ……」
***
起き抜けに吐き、その後吐瀉物にまみれながら自身の両頬を叩く主の姿は、エマにとって大変な衝撃だったらしい。
それは、王宮から侍医を呼ぶくらいに。
「二日酔いですな」
ええ、なんとなくそう思ってました。
王宮侍医ゲオルクは、にこにこしながら昨日叔父さまに処方していたのと同じ薬を差し出した。
「いやあ、だいぶお飲みになったそうじゃありませんか。なんでも最後は歩くこともできず、英雄に抱えられて宴の会場を出たとか」
「……お願いよゲオルク……嘘だと言って……」
「ほっほっほ。若いうちはこのくらい誰でも一度は経験することですよ」
領地で療養中の父親代わりを買って出てくれた伯父さまが、なにかあったらすぐ王宮まで急使を寄こすようにと、邸内の使用人に通達していたため、すぐさまゲオルクが呼ばれた。
診察を受けながら、昨夜の自分の行動を聞かされた私はまさに死に体だった。
それよりもなによりも、ようやく終わったと思っていた走馬灯二回目は、走馬灯ではなかったらしい。
どうやら私の人生は、終わるどころかフランツと出会った日まで巻き戻ってしまったようなのだ。
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