56 / 61
フランツ15
しおりを挟む季節は冬だったが、私は濡れることも厭わず、すぐに冷たい川の中へと足を踏み入れた。
川底が濁らないよう用心深く歩を進め、震える手で徽章を拾い上げる。
すると徽章には華奢な鎖がついていて、途中で妙な千切れ方をしていた。
これは、上着と徽章を繋げる鎖だ。
──まさか
もし、ダミアン殿下がマルセルを手に掛けたのだとしたら、マルセルは最後の力で抵抗したのだろうか。
力を振り絞って、殿下からこの徽章を千切り取ったのだろうか。
『マルセル……っ、うぅ……!!』
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
たった三歳の子どもが、どんなに恐ろしかったことだろう。苦しくて、怖くて、何度も母親の名を呼んだはずだ。
『すまないマルセル……すまなかった……!!』
全部私のせいだ。
きっと私に似てしまったからこんな目にあったのだ。
もしもリゼルに似ていたら、あの日たくさんの人に祝われて、今も幸せに笑っていたかもしれないのに。
涙が溢れて止まらなかった。
温かい体温。
柔らかくてぷくぷくとした身体。
もう二度と触れることができないのだ。
リゼルの不幸もマルセルの不幸も、すべて私が原因なんだ。
日が暮れたあとも、ずっとその場で泣き続けた。
気付けば辺りは真っ暗で、いつの間にか雨が降り出していた。
身体が冷え切っていた私は、手の中の徽章をハンカチに包み、懐にしまった。
こんな酷い顔ではとても帰れない。
そう思い、近くの宿で一夜を明かすことにしたのだ。
朝。外には白い雪が舞っていた。
宿屋の主人が言うには、この地方に雪が降るのは十年ぶりのことだという。
真っ白な雪は、世界で一番愛しい女性を連想させた。
──ローエンシュタインの真珠……まるでリゼルのようだ
懐のハンカチに手をやると、シャラ……と鎖が音を立てた。
私はもうどうなってもいい。
これまでのことをすべてリゼルに話そう。
この徽章さえあれば、リゼルは信じてくれるかもしれない。
いや、例え信じてくれなくても、信じてくれるまで訴え続けよう。
そして、愛していると。
今度こそこの本心を君に伝えよう。
ローエンシュタインの城に着くと、私はリゼル付きの侍女に彼女に会わせてほしいと願った。
侍女は私の顔を見るなり渋い顔をして断ってきたが、マルセルの死に関する大事な話があると言ったら、取り次いでくれる気になったようだ。
しかし、部屋にいるはずのリゼルの姿はどこにもなかった。
マルセルを失った時に感じた嫌な予感が、再び頭をよぎる。
私は思いつく限りの場所を探して回った。
出入り口を守る者もリゼルの姿は見ていないと言う。
今日は朝から雪が降っている。
こんな雪の日に外に行くはずがないと、皆が屋内を探していた。
ふと私は、城の中で唯一探していない場所があることに気付いた。
それは城から繋がる城壁だ。
私は脇目も振らずに走った。
冷たい風が雪と共に吹き付ける。
白く霞む視界の先に、リゼルはいた。
『やめるんだリゼル!』
リゼルは、あと一歩踏み出せば落下するであろうぎりぎりの場所に、ひとり佇んでいた。
その顔に生気はない。
間違いない。飛び降りる気だ。
頼むからやめてくれ。
君のために、君のためだけに生きてきたんだ。
君さえいてくれればそれでいいと。
祈るような気持ちで声をかけた。
「リゼル!早くそこから下りて!こっちへ来るんだ!」
もっと気の利いた言葉がどうして言えないのか。
ドクドクとうるさく音を立てる心臓が邪魔をして、冷静に考えることができない。
──嫌だ。君を失いたくない
その想いだけが頭の中を支配していた。
『ごめんねフランツ……私……私は……あなたを不幸にしたかったわけじゃないの……』
──そんなの私だってそうだ。君を幸せにしたかった。一緒に幸せになりたかった
『安心して。私が死んだらすべてはあなたに引き継がれるよう手続きしてあるから』
──君の持ち物なんて興味がない。私は君さえいてくれれば何もいらない
『もうなにも遠慮せずに、私のものはすべてあなたの自由に使って……そして今度こそ幸せになって……ニーナ様と一緒に……』
『リゼル!待って!リゼル────!!』
──私を置いていかないでくれ──
手を伸ばしたその瞬間、リゼルの身体は宙を舞った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,566
1 / 2
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる