噂好きのローレッタ

水谷繭

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第一部

2.冷たい婚約者

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「またあの女に会わなければならないのか……」

 自室で一人ため息を吐いた。

 考えているのは婚約者であるリディア・クロフォードのことだ。彼女のことを思い浮かべるだけで何とも憂鬱な気分になる。

 リディアは、代々我が国の魔法防衛省でトップに立ち続けて来た名門クロフォード公爵家の令嬢だ。

 彼女の家と婚姻を結ぶことは、王家にとっても計り知れない利益を生む。だから私にこの婚約を拒否する権限などない。

 しかし、そうは言っても彼女は受け付けないのだ。

 見た目はそれなりに美しい。金色の長い髪に草原を思わせるような明るい緑色の目。その長い睫毛に縁どられた大きな目を、いつも期待に輝かせてこちらを見ている。

 しかし私には彼女を好ましいとは思えない。

 たとえば、学園で身分の低い生徒をマナーがなっていないと嘲笑ったり。
 たとえば、些細なミスをした使用人をこれでもかと責めて冷遇したり。

 子供の頃以来、必要なときを除いては極力リディアと関わらないようにしているので、実際に目にしたことはそう多くない。

 しかし、彼女に関するそのような噂は頻繁に入ってきた。

 聞く度に心の中に軽蔑が募っていく。実際、彼女は私の前でこそ礼儀正しくしているが、裏でそういう風に人に接しているのだろうと思わせる様子はあるのだ。


 極めつけは、先日特待生として入学してきた男爵家の令嬢に裏で取り巻きたちと嫌がらせしているらしいと聞いてしまったこと。

 男爵令嬢のフィオナは、いつも明るく前向きな子だ。小動物のように愛らしい顔と、柔らかそうな肩までのピンク色の髪が印象的な少女。

 入学初日、校舎内で迷っている彼女を教室まで案内したことから話をするようになり、それ以来交流が続いている。

 交流といっても大したことではない。ただ、すれ違いざまに声をかけたり、時折入学後困っていることはないか相談に乗ったりしただけのことだ。

 しかし、リディアにはそれが気に入らないらしい。

 リディアはフィオナを人気のない教室に呼び出して、王子に近づくなんて身の程知らずだとか、そもそも成り上がりの男爵の娘ごときがこの学園にいるなんて汚らわしいだとか、散々暴言を吐いたそうだ。

 それ以外にも、制服を隠したり、取り巻きに歩いているところを突き飛ばさせたりと、随分なことをやってくれたらしい。

 この件に関しては噂で聞いたのではない。元気のないフィオナにどうしたのかと尋ね、直接聞きだしたのだ。

 初め言いづらそうにしていたフィオナは、躊躇いがちに口を開くと、堰を切ったように今までのことを話し始めた。

 目に涙を溜めて語るフィオナを見ていると胸が痛くなった。私と関わったばかりにそんな目に遭わせてしまったなんて。

 同時にリディアに苛立ちを覚えた。

 抵抗できない身分の者相手に、なんてひどい真似をする女なのか。彼女には人の血が通っていないに違いない。

 そういうわけで私はリディアになど会いたくないのだが、それでも強制的に用意されるお茶会では彼女と顔を突き合わせなければならなかった。

 次のお茶会は三日後。何とか我慢して数時間をやり過ごすしかない。

 いつものように腕にしがみついてきたり、髪を触ってきたりと、必要以上に近づいてこなければいいのだが。


「アデルバート様、少しよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 扉の外から執事の声が聞こえた。返事をすると、執事は遠慮がちに白い封筒を差し出す。

「これは……」

 受け取って宛名を見ると、そこにはリディア・クロフォードと記されていた。眉を潜めながらそれを眺める。

「先ほどクロフォード家のメイドが来て、王子に必ず渡すよう頼んでいきました」

「リディアが手紙とは。一体何の用件だろう」

 どうせくだらないことが書いてあるのだろうと思いながら封を切る。

 そこには、話があるので今夜会えないか。場所は王宮所有の庭園で、と書かれている。面倒な頼みに眉間のしわが深くなる。

「手紙は確かに受け取った。下がっていいぞ」

「承知しました」

 執事は内容が気になっているようだったが、私に話す気が無いのを感じ取って、大人しく下がっていった。

 私は手紙を机の上に放りだす。仕方ない。面倒だが、あまりあの家の令嬢を無下にすることはできない。


「……初めて会った日は、それなりに印象のいい令嬢だったんだがな」

 ぽつりと呟いてから我に返り、慌てて首を横に振る。あれはまだほんの子供の頃のこと。十年も前のことだ。

 初めて会った日のリディアは、澄んだ目をして鈴を転がすように笑い、とても愛らしかった。

 フィオナのことをつい気にしてしまうのも、彼女の澄みきった瞳がどこか出会った日のリディアを連想させるからなのかもしれない。

 けれど、今のリディアはまるで別人だ。

 すっかり変わってしまった彼女に感傷的な思いを抱く必要などないと、浮かんだあの日の情景を頭から振り払った。
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