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本編
3 猫のような青年
しおりを挟むこれまでの事情を語り終えると、ルシアンナは目を伏せた。
「わたくし、エドウィン殿下は苦手なんです。ああいう体格のいい方を前にすると、この人に殴られたらどうしようかと怖くなってしまって」
ルシアンナが距離をとるのを、エドウィンは魔法の才能を盾に、王子相手にもお高く止まっている女だと思っているかもしれない。
我ながら、前世だなんて荒唐無稽な話である。
どう思っただろうかとラドヴィックをうかがい見ると、彼は驚きに目を丸くして、しげしげと頷いている。
「あの才媛と名高い、カサンドラ伯爵夫人が毒親とは思わなかった。なるほど、君が不安になるのは自然だろうね。まず、誤解を一つ解いておくと、殿下は罪のない女性に手を上げるような真似はなさらないよ」
罪がなければと、ラドヴィックはわざわざ断った。王子としての役割上、悪党には手を下すこともあるせいだろうか。
「だが、あの方が武術に優れているのも事実だ。大人しい女性には怖いだろうね」
ラドヴィックの目と声にはいたわりが感じられた。
まさかなぐさめられると思わず、ルシアンナはラドウィックをじっと見つめた。ラドヴィックは心外そうに肩をすくめる。
「嫌だな。もしかして、殿下をそんなふうに言うなんてと怒ると思った? 俺は不真面目だが、弱い者いじめはしないぞ」
「あ……ごめんなさい」
失礼な反応をしてしまった。ルシアンナは顔を赤らめる。ラドヴィックは特に気にとめずに問う。
「その小説について、もう少し教えてよ。俺は出てくるの?」
「まさか信じてくださるの?」
「そうだったら面白いなあと思っているだけだよ。半信半疑ってところだ」
それはそうだろう。からかっているにしろ、冷静に話を聞いてくれるだけでも、ルシアンナとしてはありがたい。
「君が悪役ってことは、主役がいるんだよね? タイトルに『春姫と太陽の王子』と出てくるんだ。主人公の恋の相手が、エドウィン殿下ってことなんじゃないか」
「まあ、よくおわかりになりましたね」
口元を手で押さえるルシアンナの後ろで、メイベルが息をのんだ。
「簡単な話だ。今、社交界で太陽の王子と呼ばれているのは、エドウィン殿下だけだから」
「主役の名前は、メアリ・スプリングというのです。十六歳。入学式から三ヶ月後に編入してきます」
「この学校に? よほどの事情がない限り、編入も転入もできないが。それに、スプリング侯爵家に娘はいない」
ルシアンナは内心、驚いた。この遊び人といわれている青年が、あっさりと上位貴族の家族構成を口にしたことに。不真面目で、勉強をさぼってばかりだと聞いている。噂だけで、ラドヴィックという青年は自分に甘い、弱い人間だろうと予想していたのだ。
「俺は名前と顔を覚えるのは得意なんだ」
ラドヴィックはなんでもないことのように言い、会話を続ける。
「そのメアリ・スプリング? 彼女が本当に現れたら、俺は君を全面的に信じるとしよう。そもそも、破滅したくないなら、君が彼女をいじめなければいいんじゃないか?」
「そう……ですけど」
「恋愛ものなら、君がエドウィン殿下を愛していて、彼女に嫉妬しないとおかしいだろ。毒を盛りたいくらい、殿下を好きなのか?」
「……いいえ」
数秒迷って、ルシアンナは正直に答えた。ラドヴィックはパチンと指を鳴らす。
「ほら、これで問題解決だ」
「で、でも、何かがきっかけで、わたくしのせいにされるかも。いろいろと不安なんですわ」
「ああ、たまにいる、心配が趣味なタイプか」
「…………」
反論できなくて、ルシアンナは「むぅ」と口をつぐむ。
「よし、では三ヶ月後、本当に彼女が現れたら、俺もゲームに参加するよ。君の手助けをする。これでどう? 少しは心配がうすれるんじゃないか」
「現れます、絶対に」
「そこまで言うなら、学校を辞めるとか、転校するのはどうだ?」
「お母様がそれを許すと思いますか」
「たしかに、そうだな。とりあえず、三ヶ月後だ。俺も調べてみるよ。貴族には愛人や隠し子なんかの秘密がつきものだから」
ラドヴィックは気まぐれな猫みたいな仕草で、長椅子から立ち上がる。
「そろそろお暇しようかな。ちょっとだけパーティーに顔を出さないと」
「お待ちください、アーヘン様。あの、お聞きしたいのですけど」
ルシアンナが慌てて引きとめると、ラドヴィックは不思議そうにこちらを見てから、「ああ」と納得の声を上げる。
「君が聞きたいのは、俺が秘密を守るかどうかかな?」
「ええ」
「もちろん、守るよ。言っただろ、弱い者いじめをする趣味はない」
そう返すと、ラドヴィックは窓のほうへすたすたと歩いていく。
「ありがとうございます。……って、どちらにまいられるのですか。出口はあちら」
「王太子殿下の婚約者がいる部屋から、堂々と出ていくわけがないだろ。王家を敵に回すほど、馬鹿ではないんでね。それじゃあ、またね」
ラドヴィックは窓を開けると、窓枠に片足をかける。窓の向こうを確認すると、ひらりと夜の闇へと身をおどらせた。
「!」
ルシアンナが窓に駆け寄ると、ラドヴィックが悠々とした足取りで庭を歩き去るところだった。
遅れてルシアンナの背に、どっと冷や汗が噴き出す。メイベルが傍らから、感心をまじえて言う。
「ここ、二階ですのに。猫みたいですね」
「変わった方ね。信じてもいいのかしら」
「もしもの時は、私が命にかえてもお嬢様をお守りしますから」
「ありがとう、メイベル。でも、どうしても我慢できなくなったら、一緒に逃げましょう。メイベルを犠牲にはしないわ」
「お嬢様……!」
メイベルは感極まって、グスンと鼻を鳴らした。
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