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生葉染め

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その日の私は気が大きくなっていたのだと思う。
信徒室ではかりんとうが大好評だったし、チャーリーにはもう、めちゃくちゃ感謝されたし、ブラウン神官はとてもいい人だったし。
そんなわけで気が大きくなっていた私は考えた。

一度成功したことでラノリン精製のやり方が大体わかったことだし、思い切って残りの毛束をいっぺんに処理しよう! 

……大変だった。

気が大きくなるとろくなことがないよね!

何が大変って、やっぱり井戸から水を汲む、とか、薪を運ぶ、とか、そういう肉体労働が大変。
筋肉がつきそうだよ。
この世界に来てから、やたらよく寝ている気がする。

匂いもすごかった。
幸い今日は朝のうちに色々料理をしておいたから、夕飯は心配しなくていいんだ。
それは、私が賢かったところ。
この匂いにやられて食事を作ったり食べたりする気力がなくなるんだよ……

でも今日は作ってあるから、お茶を飲んで一休みすれば食欲は戻ってくると思う。

作業を始める前は、何だか色々できるような気分だったけど、水を汲み終えたところで「全部は無理かも……」となった。

やっぱり量は前回と同じくらいにしよう。ラノリンは精製までたどり着かなくてもいいよね。
それは明日にまわそう。

ストウブリッジの羊毛処理の人たちと話をしてみる必要があるかなあ。
まあ、まずはポニーだね。
これだけの量の羊毛を持っていくには徒歩で背負うのじゃ無理だ。


羊毛を処理し終えたら、畑の隅に植えてある藍を収穫する。これは私の「知識」にも入っていなかった植物で、はじめて見かけたときアーロンに確認した。


「タデアイだ」
タデアイ?
「このあたりでは珍しい植物だがジャパニーズ・インディゴと呼ばれるものだな。薬用になるから、お前の母親が試しに栽培していたのだろう」

おお……!

聞いたことがある!
いわゆるジャパンブルーと呼ばれる美しい青を作り上げる植物だね。
食用にもできるんだよね。


そしてなにより……

これは生葉染めをしなさいってことだ! って思ったのだ。
アーロンの説明を聞いたとき。

日本の藍の生葉染めは比較的簡単で色も鮮やかだ。
一時期草木染めにハマっていた頃手を出そうかと色々調べたことがある。葉っぱから植物の判定ができるほど馴染みがあったわけじゃないけど、染め方はなんとなくわかる。
藍染みたいな渋い青ではなくて、きれいなブルーの毛糸ができるはず。


藍の葉を砕いて水と混ぜ、しぼった羊毛を漬け込む。空気と触れて発色した後だと染まりが悪くなるからとにかく手早く手早く。

黄緑色の溶液は段々と青く色が変わっていき、羊毛もきれいな水色に染まる。

普通に藍染と聞いて想像するよりずっと明るいきれいなブルーだ。
生葉染めは動物性の繊維しか染められない。シルクや毛糸ってこと。
まさに羊毛のためにあるような染料だ。

空気に触れて乾燥することで発色が鮮やかになっていく。

透明感のあるブルーを見ていたら胸がときめいてきた。

これで編み物をしてもいいし、細く紡げたら刺繍をしても素敵かもしれない。
織っても多分いい。

この羊毛の一部はメンストンさんの家に返すことになるんだけどね。

夕方の金色の光の中で、ふわふわ乾いていく水色の羊毛を見ていると楽しい計画が次から次へと頭の中に浮かぶ。

とはいえ、同時に。
この世界にいると、「物を作ること」がどれほど大変なのか、嫌というほど実感することになる。


今日だって、楽しかったけど、これだけ働いてまだ布にたどり着いていないのだ。
糸の前段階。
まだ紡いでないからね。

本当に何を作るにも信じられないくらい時間と労力がかかる。

これから資源ごみにセーターとかあったら涙を流して拾うと思う。
ほどいて編み直してもいいしね。

そこまでぼんやり考えて、私は思わずガバッと立ち上がった。

ていうか、セーターだよ!
そうだよ!

なんで思いつかなかったんだろう。次のスキル発動ではセーターを狙い撃ちにしよう。
下手なパッチワークなんかより怪しまれずに売れるよね?
ほどいて毛糸玉にするだけでも売れそうだし、冬の間に何か編んでもいい。

そして……
この羊毛は少しアナスタシアとアーロンに捧げよう。
折角きれいに染められたし。

私が何時間働いても作り上げられないものをスキル経由で与えてもらってるわけだしね。
うんうん。

それに多分あの二人だったら「よく頑張った」って言ってくれそうな気がするんだよ。
お供物をすると、なんか存在感が増していってるしね。

それも嬉しい。


これ、家族に対する気持ちみたいなやつだ。

私には良い両親がいなかったから忘れていたけど、とても小さい頃、こんな感情を祖母に対して持っていたな。

何かが上手にできたら持っていくと、一緒になって喜んでくれる。
だから、小さな子供が喜ばせたいと思う人。
私にはそれは両親じゃなくて、祖母だった。

私は、愛されてたんだ。

誰か他の人の成功を自分のことのように喜ぶってやっぱり愛だよね。

縫い物の仕方も、基本的な編み物も、遊びのように祖母が教えてくれたんだった。
そしてそれらの技術は今の私を助けてくれている。
日本にいたときもお一人様で寂しくなかったのは手仕事が好きだったからだよ。


色々してくれるから、喜ばせたい相手。
色々な気持ちを分かち合える相手。

今、この世界では私にはそんな相手はアナスタシアとアーロンしかいない。

よし、アナスタシアとアーロンに小さな毛糸の編み物でも捧げよう。
そして褒めてもらおう!
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