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針子に縫い物を頼むバカ
しおりを挟む「本気で針子に縫い物を頼む人に出会う日が来るとは思わなかったよ」
マダムはそう言うと、私にお茶を勧めてくれた。笑いすぎて涙が出た、と左目を指先で拭いながら。
店の中はガランと明るく、大きなテーブルには木綿の布がおいてあった。
あの後、「もしかして」と、「知識」を探った私は真っ青になった。
針子とは、この国では娼婦のことだったのだ。
娼館のような建物で仕事をするのではなく、宿屋に呼ばれていく娼婦。その仕事を「仮縫い」というのだと「知識」は教えてくれた。
「針子に縫い物を頼むような」と言ったら「愚かな行い」という意味の慣用句だ。
どおりでベンさんがびっくりしていたわけだ。
「全く、今どき珍しい箱入り娘だね」
「マダム」は可笑しそうに笑った。
「……申し訳ありません」
「謝ることはないよ。それで、縫い物が早く出来るコがいいんだね」
「あ、あの……」
「安心しな、うちのコ達はみんな縫い物も上手だからね」
縫い物で身を立てる女性の多くは仕立て屋かドレスメーカーに勤める。そちらはカタギの仕事だ。でも、そういった仕事がいつもあるとは限らない。
そもそも、しっかりした店だったらかなり若い時分に徒弟として勤めに入るのが普通だ。
でも、そもそも縫い子になるつもりなどなかったのに、突然生活に困ることだってないわけじゃない。
災害や、家族の病気や事故。
困窮した女性は、しばしば針子屋にやってきて、縫い物と売春で身を立てることになる。
大抵は旅行中にシャツが破れたり、ボタンが取れたりした男性客に宿に呼ばれ、そして縫い物以外のオシゴトも……とまあ、そんなわけで、縫い物もするし、宿から頼まれて縫い物だけを請け負うことも、実際にはないでも……ない、とは言う。
「まあ、宿屋の女将さんの手が回らなくなったときに繕い仕事が来るんだよね。女がいたら自分たちで繕っちゃうだろ?」
……そっか……。
「でも、そういうのはありがたいんだよ。正直、客を取りたいコばかりじゃないしね。」
金に困ってなければ嫌な客は断れるし……、とマダムは笑う。
「で、何を作って欲しいんだい?」
「あ、これなんです。こんな感じのものを40個ぐらい……」
私は村から持ってきた試作品を渡す。
「ふうん。そんなに難しいものじゃないね?」
「はい。それで、お礼はこのくらいを考えています」
値段をいうとマダムは目を見開いた。
「アンタ……それで儲けは出るのかい?」
出るんです。布代タダだし……。と言うわけにはいかないので、私は頷いて見せる。
「はい。なんとか。縫い物をしてくれる人のお給料を買いたたきたくはないなって。ですから、いい仕事をしてくれる人がいいんですけど……」
「……何が目的なんだい?」
「あの、これを売り出したいと思っていて……布は古いものがたくさん手に入ったから、この値段をお出ししても回ると思います。あの……うまく行ったら定期的に縫い物がお願いできる相手を探したいと思ってたんです」
「……マーサ!」
マダムが突然大きな声を出した。
「アンタの初めてのお客だよ!」
店の奥からビクビクした様子の女の子が出てくる。
私より年下に見える。
「このコはマーサ。十五歳だ。去年、父親をなくしてね。弟や妹を食べさせるために覚悟を決めてここに来た。……可愛がってやってくれるかい?」
マダム!
この文脈でそんな言い方したら……!
「か……仮縫いですか……?!」
マーサちゃんはぷるぷる震えている。
だ、か、ら~!
「仮縫いはいらないんだそうだ……で布は持ってきたのかい?」
「あ、いえ、ちょっと量が多いので宿に一緒に来てくれると……」
そこまで言って私はマーサちゃんが悲壮な顔をしていることに気づく。
「はい。覚悟はできております……」
違うから!
全然違いますから!
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