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第七話  元和偃武

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 全身を小判に浸して遠い思い出に浸っていた定俊は、急速に興奮と陶酔が全身から覚めていくのを感じた。
 小判の冷たい感触も愛しいものだが、むしろ今はおりくの肌のぬくもりのほうを味わいたい気分であった。
 すでに陽は磐梯山の稜線に落ち始めており、そろそろ油に灯をともそうかと思うほどに薄暗い。気がつけば一刻半ほども小判の感触を堪能していたらしかった。
 充実感のなかに、どこか寂しい空虚な何かがある。
 楽しい、愛しい、それでいてぬるま湯につかったような不思議なこの感覚を覚え始めてどれくらいになるだろうか?
 そんなことは決まっている。この日の本から戦がなくなってしまってからだ。戦の匂いをなくしてから、どれだけおりくを抱いても、銭をうなるほど集めても、心のどこかが満たされない。
 せめても人生の最後に、もう一度槍を取り戦場を駆けたいという定俊の望みは、先代蒲生忠行の病死により年若くして跡を継いだ蒲生忠郷の治世がいまだ安定しないという事情もあり、叶うことはなかった。
 すなわち、蒲生家が、おそらくは戦国以来長く続いた最後の戦になるであろう、大坂の陣へと呼ばれることはなかったのだ。
 そのことがわかった瞬間から、定俊の心のなかで何かが壊れた。その壊れた何かを埋めようと、またさらに銭を求め、おりくの肌を求めた。
 壊れたものの代わりにはならないとわかっていても、それを止めることは定俊にはできなかった。
「おりく――――」
 愛する女を定俊を呼ぶよりも、どしどし、と荒々しい足音が近づいてくるほうが早かった。
「兄上! 戯れておる場合ではありませんぞ!」
「またか、重政」
 げっそりとしたように、定俊は両足を放り出した姿勢のまま左手で頭の後ろを掻いた。
 これまで幾度となく重政には銭の上を転げまわる悪癖を治すよう、ほとんど喧嘩腰の諫言をされている。今日もその類であろうと思ったのだ。
「――――大阪城が落ちました」
 重政が発した言葉に、定俊は目を剥いた。
 奥州会津は大阪からはかなり離れているとはいえ、名門蒲生家は決して情報収集を怠ってはいなかった。重政にその報告を届けたのは蒲生家子飼いの忍びの一人である。
 慶長八年に幕府が開府されて以来、甲賀忍びの大部分が幕府に召し抱えられてしまった。とはいえ昔の伝手はまだ残っている。その伝手も甲賀二十一家縁戚の、おりくがつなぎとなっていることが大きかった。 
 重政がおりくを苦手としているのも、そうした背景が影響している。
「いつだ?」
「八日のことのようです。ですが秀頼公の遺骸はまだ確認されていないものと聞いております」
「そうか…………」
 来るべきものが来てしまったと定俊は瞑目して俯いた。
 すでに最初から予想されていたことではあった。
 広大な総構えがあってこその大阪城である。堀を埋められ丸裸にされては小城にも劣る。
 そもそも冬の陣で講和した豊臣家の甘さを定俊は侮蔑していた。
 外堀を徳川家が、内堀を豊臣家が埋めるという約定は明らかに時間稼ぎであった。しかしあっという間に外堀を埋め尽くした徳川は、ほとんど工事の進んでいない豊臣家の担当する内堀を埋め始めてしまう。
 当然大坂方は抗議したが、もともとが内堀も埋めるという約定であったのである。何が悪い、と開き直られると、つけこまれるような隙を与えた豊臣側が悪いとしか言いようがなかった。騙し騙されるのが当たり前の戦国の世に生きる戦人なら、まず甘いと断じられてしかるべきであった。
 おおかた大御所(家康)が死ぬまでゆるりと工事を進めればそれでよいとでも考えたのだろうが、そんな楽観を許す大御所ではない。最初から豊臣を滅ぼすために仕組んでいたに決まっていた。
 相手が滅ぼすと決めてかかっているのに、中途半端な講和を結ぶほうがどうかしている。戦うからには徹底的に戦うべきだし、戦わぬのならば出家でもして一万石ほどの捨扶持をもらって生き延びることだけを優先するべきだった。
 要するに豊臣家は滅ぶべきして滅んだのだ。
「終わったな」
 何が、とは定俊は言わなかった。一度口に出したが最後、後戻りができぬ気がしてどうしても口に出せなかった。武士(もののふ)が、戦のない世を生きていかねばならないことを認めたくなかった。
 その言葉に万感の思いがこめられていることを重政は察した。
 ――後の世に元和偃武という。
 大坂の陣を最後として、戊辰戦争に至るまで日本から戦は消えた。外様、譜代を合計して、実に二百四十八家が改易されるが、武力でそれに抗った藩はひとつもない。彼らは幕府の命令のままに逍遥として改易を受け入れた。お家を守るために、面目を保つために武士(もののふ)が槍を手にで戦う時代は終わったのだ。
 もちろん由井正雪による慶安の変、赤穂浪士の討ち入りや島原の乱といった武力闘争はあったものの、彼らの本質は武士(もののふ)のそれではない。あくまでも彼らは一揆でありテロリストにすぎなかった。戦というにはあまりに稚拙で生臭かった。
 本当の武士による武士の戦は、大坂の陣という最後の祭りを終えてもう二度とあの絢爛たる絵巻のような美しさを取り戻すことはないだろう。何よりすでに武士(もののふ)そのものの数が激減していた。戦をしようにも戦のできない武士が激増している。
 戦のために存在する武士(もののふ)が戦ができないなど、笑い話のような話だが、その萌芽はすでに大坂の陣中の戦いの端々から見え始めていた。
 その事実に悄然として重政は語る。
「それにしてもまさかこれほど早く衰えるとは……我が蒲生家にとっても他人事ではありませぬぞ」
「関ケ原以来、どの家も戦らしい戦をしておらぬ。十年近くも戦わねば、兵はすぐに日々の生活に追われて戦を忘れるさ」
 真田源二郎信繁の後世にまで残る武功の晴れ舞台、木村長門守重成や塙団衛門直之の見事な散り際の美しさから一転して、定俊、重政を大いに嘆かせたのは、道明寺の戦いの詳報であった。
 慶長二十年五月六日、裸同然の大阪城に籠城することを諦め、死中に活を求めるべく国分村で幕府軍を迎撃することを決めた豊臣軍の主力二万数千。ところが予定通りの時刻に現地へ到着したのは、黒田官兵衛の秘蔵っ子として名高い、後藤又兵衛重次率いるわずか六千四百にすぎなかったのである。
 早朝から徳川の先鋒と接触した後藤又兵衛は、小松山に駆け上り高低差を生かして大軍を相手に孤軍奮戦するも、衆寡敵せずついに討ち死にしてしまう。名将として知られる明石全登や真田信繁が到着したのは、なんと太陽が中天に輝く午後になってからのことであった。
 戦略や戦術以前の基礎中の基礎として、行軍という技術がある。
 決められた時間、決められた場所に、決められた人数の兵を移動させる、という戦う以前の技術だ。その基礎的な技術が早くも失伝し始めていた。
 当日の早朝は濃い霧に包まれていたことなど言い訳にもならない。関ヶ原の戦いではもっと悪い条件下で、さらに遥かに多くの軍勢が確実に移動を完了して布陣まで済ませていたのだから。
 城という拠点に籠って戦術を駆使するだけなら、一揆にもできる。しかし大軍勢が雌雄を決する野戦は、やはり武士(もののふ)にしかできない戦争技術の集大成であるということだろう。
 そうした意味では真田信繁は確かに天才かもしれないが、武士(もののふ)としての力量は後藤又兵衛が上だと定俊は見ている。もっとも信繁が、頼りとなる真田家譜代の家臣がいないなか、家康本陣を強襲せしめたのはやはり一角の名将と呼ぶにふさわしい。たとえ当時家康の本陣にいた旗本の大半が、戦を知らぬ次世代を担う若者であったとしても。
 戦の担い手が、もはやこの日本中を探しても数少なくなったことを、定俊と重政は悟らざるを得なかった。
 戦そのものがなくなるのと時を同じくして、武士(もののふ)も姿を消す。戦のない世界で武士は生きていけないからだ。その事実が二人の肩に重くのしかかった。別して定俊の肩にのしかかる虚脱感は大きかった。
「我が蒲生家は大坂の陣になんら功績がありませぬ。今後幕府に貢献する何らかの手立てを考えなくてなりませぬな」
 唯一の救いは亡き主君蒲生忠行の妻が、大御所の娘振姫であるということだった。すなわち現当主蒲生忠郷は家康の孫にあたる。同じ外様であっても徳川縁戚とそうでないのとは歴然とした差が存在した。
「大御所様が決められたことでないか。我らはもともと出兵することを望んでいたのだからな」
 望んでいたのは兄上でしょう、とは重政は言わなかった。自分自身も最後の戦場に出たい欲求があったからである。
「とはいえ、今後徳川家に邪魔ないくつもの大名家が消えることになるでしょう。それに無嗣断絶は他人事ではありませんぞ、兄上?」
 関ヶ原で勲功あった小早川家はいざ知らず、大御所の四男である武田信吉、さらには三河以来の重臣平岩親吉ですら無嗣断絶としてお家取り潰しとなっている。さらには関ケ原の加増で大きくなりすぎた豊臣系の大名家は、特に今後たとえ無嗣でなくとも、隙あらば取り潰される恐怖と戦うことになるであろう。
 事実、後に安芸の福島正則をはじめ肥後の加藤清正、筑後の田中吉政などもその息子の代で改易あるいは大幅な減封を余儀なくされており、重政の予想は正鵠を得ていると言えた。
 蒲生家にも生き残りをかけた生存戦略が求められる。主君がそうであるのだから家臣がそれに倣うのは当然であった。つまりは定俊の岡家もいずれつぶれる。重政はそう言っているのだった。
「ふん、それがどうした」
 どこか拗ねたように子供のように頬を膨らませて定俊は言う。この話題は別に今に始まった話ではない。定俊のなかではとうに解決した話である。潰したければ潰せばよいのだ。
 領地はもとより、これまで貸し出した貸金も含め、定俊は己の死とともに何もかもを帳消しにするつもりであった。定俊が蒲生家中に貸しつけている金は、噂では一万両(約十億円)に及ぶとされているが、そう間違った額ではあるまいと重政は思っているが、実際はその数倍に及んでいた。
 そのすべてを兄は投げ出すという。それは確かに潔いことなのかもしれない。兄は家というものを心底嫌っているのかもしれない。しかし死後残される者たちのことも、定俊には考えてもらわなくてはならなかった。
「それでは城下のキリシタンどもの行く末をどう思われます?」
「ぬう……」
 さすがの定俊もこの問いには返答に窮した。
 先々代の藩主蒲生氏郷がレオの洗礼名を持つキリシタンであったこともあり、この会津、とりわけ定俊の領地である猪苗代にはキリシタンの領民が多かった。もちろん定俊自身もキリシタンである。
 現に猪苗代城からほど近い見弥山のふもとには、鮮やかな彩色のセミナリオが鎮座しており、地元のみならず地方からも信者が訪れる重要な信仰の要地となっていた。
 彼らははたして定俊の亡きあとまでも、信仰を守っていけるだろうか。定俊に代わる新たな猪苗代城主が逆に彼らを迫害することはないだろうか。
 慶長十七年に発布された幕府禁教令は、あくまでも幕府の直轄地に対するものであったが、諸藩も幕府の機嫌をうかがい徐々に弾圧へという空気が漂っていた。彼らの将来に対する危惧を、定俊もが抱いていないといえば嘘になる。だが――――
「俺は俺が死んだあとのことまで責任は持たぬし、持てぬ」
 定俊がキリスト教に傾倒したのは主君氏郷よりも早く、実は間垣屋善兵衛の商売相手であったスペイン人宣教師によるものである。洗礼名をジョアンという。
 とりわけ気に入ったのは、神の前には主君も父も子も孫もみな兄弟であるという考えであった。そして定俊個人として神に向き合い、定俊個人のみが神に対して責任を負う。坊主がしたり顔で語る前世の因縁や、先祖の因果など何一つ正しくはない。信仰とはただ一人、定俊個人の心の在り方であるべきだ。
 武辺とよばれる武士は、往々にして特殊な個のあり方を大切にする。前田慶次郎や花房助兵衛、可児才蔵のような個性的すぎる武士はそのよい一例であろう。そして彼らのようなアクの強い武辺には、為政者として天下を動かす大名となる資格がないこともまた確かなことであった。戦場を失った彼らはほとんど世捨て人同然に空虚な余生を送った。
 氏郷に男惚れして一途に武功を挙げてきた定俊も、自分が天下の器でないことは重々承知している。だが人にはそれぞれ持って生まれた分際と生きざまがある。それが悪いことだとは定俊は毛頭思わなかった。
 ……ゆえに、一人一人が自分自身で信仰をいかに守り、いかに継続させるかを常に考え行動しなくてはならないのだ。権力者に守られるだけの、ゆりかごに揺られる赤子のような信仰などなんの価値がある。戦って戦って、たとえそれがどんな手法であれ、信仰の居場所を守り続けることができればそれでよいではないか。
 兄の思いを誰よりよく承知していた重政はため息とともに呟いた。
「……誰もが兄上と同じようには生きられませぬ」
 仕置き家老として、蒲生家に定俊以上の責任を持っている重政は、民というものがいかに強かで利口にみえても、日々の生活のためには草のようにあっさり風になびくことを知っている。
 彼らは誰かに守ってもらわなければ、自分勝手にどの方向へと暴走するかしれぬ厄介な性質をもっていた。定俊の庇護がなくなれば、その不満を蒲生家にぶつけるかもしれない。往々にして弾圧が起こるのは、民が不満の矛先を為政者に向けるほうが先であることが多い。それは蒲生家仕置き家老として、重政は断じて認めるわけにはいかないのだった。
「ふん、頑是ない幼子でもあるまいに」
 どこまでも定俊は辛らつである。子供のように誰かに手を引いてもらわねば守れない信仰など信仰ではないとすら思っていた。少なくとも定俊はそうした覚悟した一線を民にも求めていた。弱いことは決して戦わなくてよい理由にはならないのだ。
 戦うべきときに戦わぬ人間に価値はない。それは武士(もののふ)の信念である。
 この頑なな覚悟が、正しく重政のいうように、誰もが定俊のようには生きられないという所以であった。
「しかしながら大阪方には明石全登殿以外にも多くのキリシタンが手助けをしたという噂もあります。小西行長旧臣も多数おりましたようで」
 大阪方にキリシタンが大勢いたのは事実である。徳川幕府が禁教を強めることへの対抗手段として、また劣勢の大阪方は海外からの支援を期待して、あえてキリシタンを保護した節がある。
 そんな事情があったとはいえ、一部のキリシタンが公然と徳川幕府に逆らったことは隠しようのない事実であった。
 豊臣家という目に見える脅威のなくなった幕府が、今後キリシタンに対する統制を強めてくるのは容易に予想することができた。
「もしも幕府がキリシタンを処刑せよと命じてくれば、蒲生家を守るためキリシタンを討つのが仕置き家老たる某の役目。兄上とて容赦はいたしませぬ」
「当然だ。ゆえあらばいつでもこの首を討て。それがお主の務めというものぞ」
 時勢によっては自分を殺すと言っている弟の峻厳な言葉を、しごく当然と定俊は受け止めた。その心のありようこそ定俊の真骨頂というべきものであった。
 敬虔なキリシタンのようにみえて、その実、武士であることと信仰が相反した場合は、迷わず武士であることを優先する。
 人は誰しもが何かひとつの自分しか持たないことはありえない。武士として、男として、親として、キリシタンとして、商人として、傾奇者として――人はその立場や主義主張に応じて複数の顔を使いこなすものだ。使い分けるといってもいい。その立場同士が矛盾するならば、武士としての生き方が何よりも優先する。そう本気で断言してしまえるのが定俊という男の真に恐ろしいところであった。
 だからこそ定俊は主君蒲生氏郷に、自分と同類の匂いを感じ取ったのかもしれない。
 まともな人間はそこまで割り切れない。矛盾する欲求に悩み、間違い、ときには信じられないような愚かな選択をするのが人間というものである。はたして何が兄をそうさせているのか、少なくとも先ほどまで小判と戯れて悦に入っていた奇人と同一人物とは到底思われなかった。
「心配するな。信仰を守るため、遠く呂宋やシャムを訪れた者もおる。禁教がどうにもならなくなれば路銀を与えて外へ逃がすさ」
 決してそうはならないであろうことを重政は知っている。農民というものは土地と離れることを極度に嫌う。信仰と土地を選ばせるなら、彼らは土地を選ぶに決まっていた。
 逆にいえば、定俊は土地を捨てても信仰を守るかどうかという決断を、当たり前のように農民に求めていたともいえる。その基準に達しない者は定俊にとって本当の仲間とは認められないのだろう。
「それはそれとして、いい加減どうにかなりませんかな? 兄上。いい歳をして小判と戯れるのは――生きているうちなら責任を取るのでしょう?」
「そ、それはあれ、あれじゃよ。まあ、おいおいということで……」
「見苦しゅうございますぞ! 兄上!」
「許してくれ重政、よいではないか、奉公に支障があるわけでなし……」
「いえ、蒲生家の体面にかかわります!」
 そう重政に言いきられると、定俊は口を尖らせて拗ねてしまった。「氏郷様はそうはおっしゃらなかった」とか「武士が体面など気にしたら終わりだ」とかぶつぶつと呟いている。生き方に頑なな反面、そうした子供のような稚気のなくならぬ兄であった。
 もとより今さら定俊がこの悪癖を治すなど、重政は毛頭考えていない。思うようにならぬ兄へのささやかな意趣返しのようなものだ。
「少しはこの重政の苦労もお察しくださいませ」
「わかった、わかった!」
 お手上げだといわんばかりに、珍しく定俊は頭を下げた。
「なれば今後は、今少し弱き者の心をお汲みくださるよう頼みますぞ」
「そんなことより自分の心配をしろ! 御母堂と相当こじれていると聞いているぞ!」
 先年来、重政が主君忠郷の母振姫とうまくいっていないというのは、蒲生家中では知る人ぞ知る噂であった。
 いや、噂どころではなく今も暗闘中の紛うことなき政敵同士である。大御所の娘である振姫はともかく、所詮家臣にすぎない重政が政争に敗れれば命がない。
「ご心配なく。嫌われ者もいなくてはお家は立ち行きませぬ」
 一代のカリスマ氏郷の死後、とかくまとまりを欠く蒲生家であった。嫌われ者を買ってでも強引にまとめる必要がある。命の危険を感じたことも一度や二度ではないが、それを重政が意に介した様子はなかった。
 そんな重政の開き直りともとれる強引さが、逆に振姫には蒲生家の破滅を招くのではないかと不安に思えてならないのだ。これはどちらが悪いわけでも正しいわけでもない。
 あえていうならば、勝ち残ったほうが正しいのである。それが戦国の武士の習いというものであるはずだった。
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