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3 あらあやし どこを向いても化けもの屋敷
3-4 唐突の暗闇
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気がついてみると、日が落ち空が暗くなるのがはやくなっていた。
地元であるK駅に着いた百合は、真っ暗な空にいくつか星が瞬くのを見つけていた。異動したころには、ここまで日が落ちるのははやくなかったはずだ。
異動のすこし前から着ている上着は薄く、帰路がすでに肌寒くなっている。
その上着のポケットには、功巳にもらったにおい袋が入れっぱなしになっていた。
もうかおりは飛んでいるが、百合の鼻はしっかりとそれを覚えている。
ポケットで指先がにおい袋にふれるたびに、ふっとかおりが鼻先をかすめていくようだった。処分する気にもならず、そのままになっている。
「さっむくなったなぁ」
「鍋食いたいなぁ」
「牡蠣鍋がいいな」
通り過ぎるサラリーマンのグループが、口々にそういっている。確かに鍋の温かさが恋しくなる、と百合は上着の前をかき合わせた。
その百合の目についたのは、駅前の雑貨屋だ。
店頭に薄手のマフラーが並べられていた。首が温かいと、身体全体が温まる気がする――百合は気に入った赤いマフラーを購入した。
会計のときにタグを切ってもらい、マフラーをさっそく身に着けていると、駅に入っていく芝田と小境の姿を見つけた。
声をかけるには遠く、百合はふたりが話しながら歩く背中を見送る。
そこから帰路につくのではなく、駅を挟んだ向こうがわに百合は足を向けた――駄菓子の自動販売機へ。
異動以来機会が得られず、結局おばさんと顔を合わせないままになっている。異動のことを伝えたいと思うのは、自分が自動販売機の常連だという自負があるからだ。
先に立ち寄ったこまつ屋では、はやくも店頭の値引きセールがはじまっていた。冷めた揚げものなどが、プラスチックパックに詰められて並んでいる。
「レンチンできますよー!」
売り場から厨房が一望でき、掃除の手を休めずに店員が元気な声を上げている。
温めればおいしいかもしれないが、ひとり分には量が多い。
「あまったら明日のご飯にまわせますよー! 冷凍もできますからねー!」
タイミングのいい声に、百合は唐揚げと肉団子のセットを買った。
パックはふたつに分かれていた。もしおばさんに会えたら片方差し入れようと決め、百合は道に戻る。
すでに道は暗かったが、民家が連なるため寂しい感じはしない。どの家の窓からも光が漏れ、そこに生活があると思うとほっとするものだった。
辻に差しかかったところで、百合は足を止めた。
目的地、元駄菓子屋である喫煙所はすぐそこだ。
「え、なんで……」
そちらは真っ暗闇だった。
「停電?」
あたりを見回した百合は、目的地の方向だけが暗いことを確認する。
なにか事故でもあったのか。スマホを取り出してみるが、慣れていないため調べ方でつまづいてしまった。
道を一本またぐと、夜とはいえ明るい住宅街と真っ暗闇のエリアに分断されている。
百合はその道に立ち、進むか迷う。
ほかに人影はなく、あまりに暗い。そこにあるはずの家屋の輪郭さえ拾えなかった。見上げた空には星も月もない。
「そうだ、確か懐中電灯が」
スマホを懐中電灯代わりにできるアプリを入れていたはずだ。
目当てのアプリはすぐ見つかった。起動すると、思いのほか光量が強い。直視したら目をおかしくしそうな強さだった。
光を真っ暗闇になった道に差し向ける。
「……あれっ?」
強烈な光であるにもかかわらず、地面に光の輪もつくれない。
身動きせず、百合は暗い道の先を見つめた。
それはまるで、足を踏み入れてはならない境界線のようだ。
――目が慣れて、なにか見えるかもしれない。
どのくらいの時間、と正確に計っていないが、百合の目は結局なにもとらえなかった。
だがなにかいるような気がする。
百合がなにも認識できていないことを知り、それがほんとうかどうかを探っている――そんな意思を感じる。
「気のせい……かな」
九泉香料でもあるまいし、そんな妙なことがあちらこちらで起こってはたまったものではない。
いつともわからない停電の復旧を待つには、周囲の空気は冷たすぎた。
「自動販売機も、電気で動いてるよね」
懐中電灯アプリを切り、百合はあきらめて帰路につくことにした。
きびすを返して歩きはじめると、そちらの道は街灯があたりを照らし、ほとんどの家から明かりがこぼれて明るい。空に星まで見つかって、百合の胸はざわついてきていた。
――停電で暗い場所のほうが、夜空の星を見つけやすいものではないのか。
振り返って確かめようとしたものの、風が吹いて手に提げたビニール袋が音を立てた。こまつ屋の袋の音に、胃袋が反応する。
冷凍庫には保存した白米もある、カップスープもつくろう――ささやかな献立を考えはじめた百合の意識は、もう後方に向かなかった。
気がついてみると、日が落ち空が暗くなるのがはやくなっていた。
地元であるK駅に着いた百合は、真っ暗な空にいくつか星が瞬くのを見つけていた。異動したころには、ここまで日が落ちるのははやくなかったはずだ。
異動のすこし前から着ている上着は薄く、帰路がすでに肌寒くなっている。
その上着のポケットには、功巳にもらったにおい袋が入れっぱなしになっていた。
もうかおりは飛んでいるが、百合の鼻はしっかりとそれを覚えている。
ポケットで指先がにおい袋にふれるたびに、ふっとかおりが鼻先をかすめていくようだった。処分する気にもならず、そのままになっている。
「さっむくなったなぁ」
「鍋食いたいなぁ」
「牡蠣鍋がいいな」
通り過ぎるサラリーマンのグループが、口々にそういっている。確かに鍋の温かさが恋しくなる、と百合は上着の前をかき合わせた。
その百合の目についたのは、駅前の雑貨屋だ。
店頭に薄手のマフラーが並べられていた。首が温かいと、身体全体が温まる気がする――百合は気に入った赤いマフラーを購入した。
会計のときにタグを切ってもらい、マフラーをさっそく身に着けていると、駅に入っていく芝田と小境の姿を見つけた。
声をかけるには遠く、百合はふたりが話しながら歩く背中を見送る。
そこから帰路につくのではなく、駅を挟んだ向こうがわに百合は足を向けた――駄菓子の自動販売機へ。
異動以来機会が得られず、結局おばさんと顔を合わせないままになっている。異動のことを伝えたいと思うのは、自分が自動販売機の常連だという自負があるからだ。
先に立ち寄ったこまつ屋では、はやくも店頭の値引きセールがはじまっていた。冷めた揚げものなどが、プラスチックパックに詰められて並んでいる。
「レンチンできますよー!」
売り場から厨房が一望でき、掃除の手を休めずに店員が元気な声を上げている。
温めればおいしいかもしれないが、ひとり分には量が多い。
「あまったら明日のご飯にまわせますよー! 冷凍もできますからねー!」
タイミングのいい声に、百合は唐揚げと肉団子のセットを買った。
パックはふたつに分かれていた。もしおばさんに会えたら片方差し入れようと決め、百合は道に戻る。
すでに道は暗かったが、民家が連なるため寂しい感じはしない。どの家の窓からも光が漏れ、そこに生活があると思うとほっとするものだった。
辻に差しかかったところで、百合は足を止めた。
目的地、元駄菓子屋である喫煙所はすぐそこだ。
「え、なんで……」
そちらは真っ暗闇だった。
「停電?」
あたりを見回した百合は、目的地の方向だけが暗いことを確認する。
なにか事故でもあったのか。スマホを取り出してみるが、慣れていないため調べ方でつまづいてしまった。
道を一本またぐと、夜とはいえ明るい住宅街と真っ暗闇のエリアに分断されている。
百合はその道に立ち、進むか迷う。
ほかに人影はなく、あまりに暗い。そこにあるはずの家屋の輪郭さえ拾えなかった。見上げた空には星も月もない。
「そうだ、確か懐中電灯が」
スマホを懐中電灯代わりにできるアプリを入れていたはずだ。
目当てのアプリはすぐ見つかった。起動すると、思いのほか光量が強い。直視したら目をおかしくしそうな強さだった。
光を真っ暗闇になった道に差し向ける。
「……あれっ?」
強烈な光であるにもかかわらず、地面に光の輪もつくれない。
身動きせず、百合は暗い道の先を見つめた。
それはまるで、足を踏み入れてはならない境界線のようだ。
――目が慣れて、なにか見えるかもしれない。
どのくらいの時間、と正確に計っていないが、百合の目は結局なにもとらえなかった。
だがなにかいるような気がする。
百合がなにも認識できていないことを知り、それがほんとうかどうかを探っている――そんな意思を感じる。
「気のせい……かな」
九泉香料でもあるまいし、そんな妙なことがあちらこちらで起こってはたまったものではない。
いつともわからない停電の復旧を待つには、周囲の空気は冷たすぎた。
「自動販売機も、電気で動いてるよね」
懐中電灯アプリを切り、百合はあきらめて帰路につくことにした。
きびすを返して歩きはじめると、そちらの道は街灯があたりを照らし、ほとんどの家から明かりがこぼれて明るい。空に星まで見つかって、百合の胸はざわついてきていた。
――停電で暗い場所のほうが、夜空の星を見つけやすいものではないのか。
振り返って確かめようとしたものの、風が吹いて手に提げたビニール袋が音を立てた。こまつ屋の袋の音に、胃袋が反応する。
冷凍庫には保存した白米もある、カップスープもつくろう――ささやかな献立を考えはじめた百合の意識は、もう後方に向かなかった。
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