嫌われ婚約者は恋心を捨て去りたい

マチバリ

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 無言のままに部屋を出る。
 慣れた足取りで部屋の真正面にある物置に入れば、一見壁にしか見えない場所に造られた隠れたドアから外へと向かった。
 女子寮にはいくつかの隠し通路がある。これは王族が入学した時、有事の際に彼らを逃がすために用意されているものだ。
 本来ならば伯爵家程度の俺にこの場所が知らされる事はなかった。

 けれど、ギルバートと手を組んだことで俺はこの通路の存在を知る事が出来た。

 どれだけ反対してもアルリナは学園に入学するのを諦めなかった。
 この先に待っている騒ぎに巻き込みたくないのも事実だったし、他の男がアルリナを見るのが嫌だった。
 ギルバートに愚痴交じりに零したら、ならば相手に黙って囲ってしまえばいいと告げられた。

 アルリナの部屋を通常ならば王家付の女官や補佐に当たる令嬢が使う部屋に入れ込み、王家のものしか知らぬ抜け道の鍵を手に入れた。
 彼女は自分の部屋が内装こそ同じでも友人たちの部屋とは違い強固な鍵や防音が施されている事など何も知らない。
 俺が密かに眠る彼女の顔を見に来ていた事も含め。


「シュルトさま」

 俺を呼ぶ彼女の声は甘く鼓膜を撫でるようだった。
 踏みつけにした、薬と偽って渡していた砂糖菓子の甘い匂いがまだ鼻から離れない。

 これまで散々に酷い扱いをした俺の子が欲しいとアルリナは口にした。
 あの瞬間に湧き上がった感情になんと名前を付ければいいのだろうか。
 アルリナの全てを自分に染めて、あの胎を満たすのは俺の精だけで、子供だってあの体を奪う事は許さないとさえ思ってしまう程の凶悪な感情。

 彼女が自分に向ける感情は、自分が彼女に向ける質のものとは全く。
 少女が物語の勇者に憧れるような幼い感情で、アルリナが見ているのは俺であって俺ではない。
 俺の凶悪な欲望など決して受け止めてもらえない。


 だから嫌われたかった。憎まれ逃げてさえくれればいつかは諦めがつくと思っていたのに。
 アルリナでなければお飾りの妻であってもそれなりの関係を築くことができると考えていた。
 父の望むまま人質に差し出す事になっても、夫として妻の為に国の為にできる事をやり尽くす自信があった。たとえ側室を迎えても、どちらにも義務や責任を果たす努力ができると。

 だが無理だと悟ってしまった。

 逃げようとしたアルリナに怒り、手を出した瞬間、俺の努力は泡と消えた。自分で捨てたのだ。彼女への僅かな思いやりすら。
 まだ間に合うと願いながらも何度も彼女を汚した。俺を憎み逃げ出してどこかで俺の子を密かに育ててくれてさえいればと身勝手な夢想すらした。
 なのにアルリナはそんな俺の子を欲しいと口にした。
 どうして離してやれるだろうか。

 アルリナが妻となり人質として差し出されたら、俺は敵国だけではなくこの国だって燃やし尽くしかねないだろう。
 だがそんな事をすればアルリナは苦しむ。俺を恐れ、二度と手の届かないどこかへ逃げ出してしまうかもしれない。
 許さない。アレは俺のものだ。



 隠し通路から外に出て、男子寮の自室に戻れば、ギルバートがまるでここが自室であるかのようにくつろいでいた。

「戻ったのか。人でも殺してきたような顔だな」
「勝手に部屋に入り込んで…何の用事だ」
「いや、もうすぐ僕たちの悲願が叶うことに祝杯をあげようかと」
「気が早い」

 言い捨てギルバートに背を向ける。

「酷い言い草だ。お前の願いを叶えるために僕がどれほど尽力したと?」
「それはこちらだって同じことだ」
「そうだね。僕たちは同志であり共犯者だ」

 薄く微笑むギルバートの笑みは聖母のようだ。しかしの裏に隠されたものは悪魔すら逃げ出すほどに恐ろしく残忍。

「晩餐会の準備はどうだ」
「問題ない。招待客も予定通り集まっている」
「そうか」
「お前の方そこ、お相手は見つかったのか」

 先程まで余裕だったギルバートの表情がわずかに歪む。

「どうした」
「お前が仕組んだのではないのか」
「何の話だ」

 珍しく歯切れの悪い様子に俺が目を細めると、ギルバートは何かを諦めたように溜息をつき、美しい顔を振った。

「お前がクレアを振ったものだから俺にお鉢が回ってきた。不憫なご令嬢を助けてやるのも王太子の勤めだと、どこかの誰かが口にしたらしい。俺の相手ともなれば、下手をすれば命が危ないのはみんな知っている事だからな。今年も一人で参加するつもりだったのに、何とも煩わしい事だ」

 吐き捨てるように早口で喋るギルバートはどこか落ち着かない。王太子の同伴者ともなれば、すわ未来の王太子妃かと騒がれるのは必然。しかし貴族の娘を持つ親たちにしてみれば、本来ならば諸手を上げて喜ぶべきその賛辞は娘への死刑宣告にも聞こえる恐ろしいものだ。王太子を溺愛する王が、王太子が選んだ娘の存在を容認するのか、と。
 もはや執着とも呼べる王の溺愛により、優しく慈悲深い王太子は籠の鳥同然だというのかこの国の大人たちがもつ共通の見解だ。その籠の中に、可愛い娘を差し出したい親などいないだろう。

「クレアならば問題ないだろう。彼女は賢い女性だ」
「これまでお前の相手を勤めてくれたのだったな。あの有能さは僕も認めている。だからこそ煩わしい」

 ふう、と深いため息を吐くギルバートは年相応の青年に見えた。いつも作ったような微笑か俺や腹心たちにだけ見せる素顔とも違う、どこか少年じみた表情。

「クレアとは幼馴染でもあるのだろう。これを機会に仲良くすればいいだけの話だ」
「自分ではできていない事を僕には容易く勧めるのだな」
「俺とお前とでは話が違う」
「違わないよ。僕は人を愛さないと決めているんだ」

 頑ななその言葉は、これまでの彼の苦労から産まれたものだ。それを咎める事は俺にもできない。親を選ぶことができなかった俺たちに逃げ道などなかったのだ。これまでは。

「とにかく、クレアとは一度話をしておけ。晩餐会でお前の供をするのであれば計画を知っておいた方が良いだろう」
「そこまであの女を信頼しているのか?」
「少なくともお前より話の分かる相手だ。取り込んでおいて損はない。この先の事もある」
「……お前がそこまで言うのならば」

 諦めたように視線をそらすギルバートは少しだけ考え込むように口を閉じた後、ゆっくりと立ち上がる。

「それではそろそろ戻るとするよ。君の助言に従い、パートナー殿にはしっかり僕からも話を付けておこう。君も、アルリナに逃げられないようにしっかりと策を巡らせておくことだ」
「言われるまでもない。逃がすものか」
「……恋に狂った男とはかくも恐ろしい顔をするのだな」

 恋。
 これが真っ当な恋心ならばどんなによかっただろう、
 恋心であればとっくに捨て去ってしまえたのに、俺がアルリナに向ける欲望はもっと原始的で醜いものだ。

「お前にはわからんさ」
「わかりたくもないね」

 歪んで欠けた俺たちのつぶやきは夜の闇に虚しく消えるのみだ。


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