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しおりを挟む晩餐会がはじまった。私はシュルト様の横に座らされている。
何故か正面にはクレアさま。クレア様の横にはギルバート様がいる。
あまりに落ちつかない配置だ。近くの生徒は話しかける勇気すらないとでも言いたげに私たちから目を背けている。
でもだからこそ私は笑みを絶やさないと決めた。
「アルリナ様、先ほどの婚約発表は素敵でしたわ。羨ましい」
「いえ、そんな」
「シュルト様も水臭いですわ。彼女のような可愛らしい婚約者がいるのならば早く教えてください」
「あまりに可愛すぎて人に教えるのが惜しかったのですよ」
「まあ!アルリナ様も大変ですわね」
「いいえ。この場にこうしていられる事には感謝しかありません」
たとえひと時でも愛される婚約者という立場を演じると決めたのだから、土俵から降りる気はない。
微笑む私にクレアさまは僅かに目を見開く。そして、優雅に微笑み返された。それは勝者の余裕だろうか。
「安心なさって」
しかし向けられた声はまるで慈愛に満ちた母のように優しい。
「感謝なんてしている暇などなくなりますから」
「え」
その言葉は一体何を意味しているのか。
問いかけようと開いた言葉は、王の登場を告げる声に遮られる。
全ての者たちは立ち上がり、王が現れた檀上に向かってと首を垂れる。
許しがあるまでは誰も口を開いてはならぬ。それが今の王が望む流儀。
「皆の者、顔を上げよ」
どこか掠れた弱々しい声。
本当に威厳ある王なのかと不安になる声に応えるように、生徒たちはぽつぽつと顔を上げる。
私もシュルト様が顔を上げたのを横目で確認したのちに顔をあげた。
こんなに近くで王を見たのは初めてかもしれない。ギルバート様の父にして、この国の統治者。
王冠と服は豪華ではあるが、白髪にこけた頬をした老人にしか見えない。
かの麗人とはかけ離れた姿だが、流石は『王』とでも言うべきか、私達を見下ろす瞳には圧力があった。
「若人たちよ、無事の卒業を祝おうではないか」
王がワインを注いだグラスをかかげた。
皆もそれに倣いグラスをかかげる。
「乾杯」
歓声と共に皆が近くにいる人々とグラスを合わせた。
私もシュルト様やクレアさまとグラスを合わせる。ガラスがぶつかる音が涼やかに広がっていく。
それを合図のように皆が口を開き、穏やかな騒がしさに会場が包まれていく、筈だった。
「父上、少しよろしいですか」
いつの間にか席を立っていたギルバート様が王のそばへ向かっていた。
たとえ王子であっても許しなく王に近づく行為に僅かに警戒するそぶり見せた近衛兵たちだったが、王はそれを制した。
「おお、ギルバートよ。お前の祝いの席なのだ、何を遠慮する事がある、こちらへ」
父親が息子に向けるものとはおもえないほどの甘い声音。
王が息子であるギルバート様を溺愛しているのは隠しようもない事実だから、誰もそれに反応はしない。
「父上、我が王よ。今日は卒業祝いをねだりに参りました」
「そうかそうか。お前は物欲が無いからなぁ。なんでも言うがいい。儂はこの国の王だ。どんな願いでも叶えてやろうぞ」
可愛い息子の願い事に喜ぶ無邪気な父親の姿。ギルバート様の笑みはどこまでも優しく美しいのに、何故か研ぎ澄まされた刃のように感じてしまう。
何故か気になってその様子から目が離せない。気が付けば、シュルト様もクレア様も息を詰めて二人をじっと見ている。
「では、父よ。王の位を僕に」
ギルバート様の言葉は会場を凍りつかせるに十分なものだった。
「今、なんと言った」
王は絞り出すような声音でギルバード様に尋ね返している。
その声には動揺と怒りが滲んでいる気がした。それは先ほど、シュルト様と対峙した伯爵さまが滲ませていた物に良く似ていた。
凍りついた空気が震え、今にも音を立てて砕け散りそうだ。
「言葉通りですよ、父上。あなたの統治はもう古い。あとは僕が引き継ぎましょう」
「学園を卒業した程度で何をたわごとを。お前はまだ儂が守ってやらねばならぬのがわからぬのか」
「それが古いと言っているのですよ父上」
ギルバート様が美しい顔を王に近づける。その頬を王のこけた頬に合わせ、私達には聞き取れぬ何かを囁く。
途端、王の瞳が極限まで見開かれ細かく震える瞳孔が驚愕に染まりギルバート様を見つめていた。
「ご理解いただけましたか、父上」
王から離れ優雅に微笑むギルバート様は眩しいほどに輝いている。
その真逆に、王は全てを吸いとられたかのように静かにそして枯れ果てた顔をしていた。
先程感じた、瞳に宿っていた圧力すら失い、そこに座るはただの老人でしかない。
「お前、何故」
「何故とは。そんな事さえ理解できなくなったあなただからこそ、僕に王位を譲るべきなのですよ」
「貴様っ」
王が吼える。周りの兵士たちも、ギルバート様を押さえるべく動こうとした。
しかしそれよりも早く動いたのはギルバート様だ。胸に隠していた短剣をあろうことか王の喉元に押し当てた。
見守る聴衆は不安に怯え、声すらあげる事が出来ぬままに固まる。
しかし動いたのはシュルト様だ。飾りでしかない筈の腰に納めた剣を抜き、上座へと向かう。
それを止めようと立ち上がった私を押さえたのはクレア様だ。
「大丈夫ですわ。全て彼らに任せておけばよいのですよ」
この状況を楽しんでいるとしか思えない笑みを浮かべるクレア様の表情に背中が凍る。
楽しむ。そんなことできるはずはない。
凍りついた空気を壊すように会場のドアが開き、沢山の兵士たちが流れ込んできた。
王の警備をしている兵士や近衛兵たちが応戦するが、数と勢いに敵うわけもなく、あっけないほどに鎮圧される。生徒たちや招待客は逃げる暇も立ち上がる暇もなく、着席したまま固まった者達が殆どで、まるで大がかりな舞台を見ているような気持ちになる。
果たしてこれは現実なのか、と。
「何故、何故だギルバート!何故儂の愛がわからぬ!」
「閉じ込め思うが儘にするのが愛ならば僕には不要だ」
「たわけめが!」
「父上こそ、状況をよく見るべきだ。見てください。ここにいる若者たちがいったい誰を王と望んでいるのかを」
王は私たちの方へ目を剥ける。血走った瞳に思わず息を飲む。誰を見ているわけでもないのに、私だけが睨みつけられているような恐怖。これが本当に王の形相だろうか。そう思うのは私だけではないようで、生徒たちの表情は困惑と恐怖に染まっている。誰もが王を案じてなどいない。新たな王の誕生を息を飲んで待っている。
「わかりますか?父上の治世が終わろうとしている事への不安を持つ者などいません。あなたはすでに尊敬される王などではないのですよ」
ギルバート様はあの優しい顔と声で残酷に告げる。
「ばかな」
王が力なく呟く。
ギルバート様は父親の喉元に短剣を押し付けたまま、王たる証しである王冠を奪い取った。
いつの間にかギルバート様の横にはシュルト様が。王が座っていた椅子を引き、ギルバート様を座らせる。
ギルバート様はまるで自分で自分をたたえるように己が頭に王冠を乗せた。
王冠を奪われ、気力を無くしたように床に座り込む王を傍に控えていた兵が緩やかに拘束した。
抵抗する気力を無くした王は幽鬼のように顔を動かし周りを見ている。まるで助けを求める子供のような仕草だ。
その顔が誰かを見つけ、一瞬だけ生気を取り戻す。
「伯爵、貴様の息子に命じろ。我が息子の暴挙を抑えよと!」
掠れた叫びに呼ばれたのはシュルト様の父である伯爵だ。王のそばに控え、最強の将軍と名高き剣。しかし伯爵は緩く首を振るのみだ。
「いいえ王よ。既に流れは変わったのです。あなたの時代は終わった」
「きさまっ!!」
王が何かをわめいているが伯爵は王に見向きもしない。
静かな足取りで伯爵が向かった先はギルバート様だ。当然のように横に控えるシュルト様が先んじてギルバート様に向かって床に膝を付き頭を下げる。伯爵や周りの大人たちがそれに習うように床に膝をついた。生徒たちにもその波は広がり、私もクレア様と共に膝をつく。
この瞬間、私達の国に新たな王が誕生した。
一滴の血も流れずに実行された強引な王位継承劇。
本当に現実だったのかと思う程の静かな終わりに学生たちや招待客たちも呆然としたまま、まともに議論する事すらできなかった。
その後のことはあまりに劇的で本当に舞台でも見ているようなものであった。
王位を奪い取ったともいえるギルバート様はこれまでの王の独裁とも呼べる統治を詫び、これからは隣国との和平にも積極的に動くと宣言した。既に隣国の大使とも連絡を取り合い、戦争を回避する術を得たと。
また、ギルバート様は穏健派で文官を多く輩出する家系であるクレアさまのとの婚約も宣言された。
武と文により、国を強く育てるためだと高らかに宣言する姿は、既に王だった。
うっとりとした顔でギルバート様を見つめるクレア様の横顔は美しい。
「ああ、まるで夢のようだわ」
零れるようなささやきにクレアさまが心の底からギルバート様を慕っている事が伝わってくる。
それならばシュルト様とのことはどうするのだろうか。
困惑に満ちた私の視線を受け、クレア様が妖艶に微笑んだ。それは私が聞き及んでいる美しい令嬢が浮かべるのとは全く別物だった。
「私ね、ずっとあの方が欲しかったの。彼が貴女を欲しがっていたようにね」
誰のことを言っているのだろう。何のことを言っているのだろう。
訳も分からず立ち尽くす私に近寄る影。
顔を上げればシュルト様が私を見下ろしていた。
「王の右腕がこんなところにきてもいいのかしら」
「俺の役目は終わった。元より俺には仕事などない。ギル一人ですべて終えてしまった。君の方こそ早くいくと良い。既に側室を唆す馬鹿どもがよってきているぞ」
「あら。それは許せないわね。それではアルリナ様、またね」
クレア様はまるで蝶が舞うがごとくギルバート様の元へ走って行った。
その後ろ姿を見送っていれば、シュルト様が私の腕を掴む。
「さあ、アルリナ。これからの話をしよう」
やけそうなほどに熱い掌が私の素肌に食い込んでいく。
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