10 / 15
闇の力
黒魔術
しおりを挟む僕らは電車に乗る。ここから二駅、すぐに商店街だ。だが、僕には、女の子と二人で電車に乗る経験なんて、生まれてこの方一度もなかった。だからなのか、この時間がとてもとても長く、それが、さも久遠の時のようにすら感じられた。そんな中、祢子は、僕にヒソヒソ声で黒魔術がどうのとか話しかけてくる。いや、その黒魔術師設定、黒魔術に疎い僕にはすべてが謎すぎる。ヤギの血とニワトリの血はやっぱり用途が違うのか? とか、人間の生き血は高等悪魔を呼び出せるのか? とか、魔法陣をどうやったらうまく書けるのか? とか――いや、だから、僕にそんなのはわかりませんけど。僕の中で魔法というのは、自然界にある五大元素の力を借りて引き起こすものだという認識なのだ。五大元素というのは、地、水、火、風、あと一つはなんだっけ? 天? 光? 無? まあ、いい――そういった元素から、いわゆる精霊のようなものを召喚して力を発動するものだろう。いや、まてよ……そういう邪な精霊にヤギの血とかニワトリの血を使って受肉をさせることで、ヤギの頭とかニワトリの顔とか、そんな感じの精霊が悪魔として降臨しているのだろうか? ふうむ……なんだか奥が深い。そもそも、僕の『闇の力』にも、それらと似たような側面があるのではないか? とすれば、何か、生き物ではない物体に『闇の力』を行使すれば、精霊のように扱えたりするのではないだろうか? 僕は、ほんの少しだけ、黒魔術というものに興味を示し始めていた。
そうこうしているうちに、僕らは電車を降り、商店街へと向かっていた。心なしか祢子の表情がこわばってきているのがわかる。それは僕に対する恐怖なのか、それとも、霊的なものに対する畏怖や不安の表れなのか……それとも、まさか僕を贄にするために僕の殺し方を考えているとか、だろうか? ――やめよう、今はそのような妄想にふけっている場面ではない。いくら愚鈍な僕でも、それなりに相手の気持ちくらいは考えて行動できる、はず。
僕らは無言のまま、犯行のあった雑木林の小道に入り、ぬかるんだ地面を踏みしめながらゆっくりと歩き、雑木林の中ほどへ、そこから獣道を進む。
「そこ、ぬかるんでいるから気を付けて――」
そう僕が口にした瞬間、祢子はぬかるんでいた地面に足を滑らせた。
「あぶな――」
僕の、その言葉より先に、僕は咄嗟に彼女の腕を掴み、見事に彼女が転ぶのを防いでいた――と思いきや、そのまま僕だけバランスを崩してぬかるんだ泥の中にダイブした。ああ……僕がこうなることは最初からわかっていた。
「ごめんなさい、ありがとう! 大丈夫ですか? ごめんなさい、私、クリーニング代とか払うから! あああ……」
祢子はそういいながら僕を引っ張り起こし、僕のコートについた泥汚れを、必死にハンカチか何かを使って落とそうとしている。
「え、いや、そんなの、このくらい平気だよ。それに、僕なら黒魔術でなんとかできるから」
僕は、精いっぱいの冗談を言ったつもりだったのだが――
「え、なにそれ、すごい! 黒魔術すごいです!」
「ああ、瞬間洗浄。闇の精霊の力を借りて、頑固な汚れも酵素を分子分解して消滅させる究極な黒魔術」
僕は適当なことをもっともらしくうそぶいた。
「ええ……本当ですか!? でも、そんなことまでできちゃったら、もう文明の利器とか要らなくないですか!? それって、もう黒魔術師の領域を超えていますね。つまり、光峰さんは歩く家電ということなのですか!? 一家に一人、光峰さんの時代ですね!」
祢子は、それを真に受けているのか、冗談だとわかっているのか、本当によくわからない。ただ一つだけ言えることは、女の子とまともに話をしたことのない僕が彼女と自然に打ち解けて、こんな風に何気ない会話をしている、ということだろう。
――獣道を抜けると少し開けた場所にたどり着く、そこが犯行現場なのだ。警察の現場検証は、僕が最初に、この場所を訪れた時点ですでに終わっており、規制線のテープなどはどこにも見当たらない。辺りは雪と木々に囲まれ、今は鳥の鳴き声すら聞こえない。そんな光景を目にした僕は、僕らが過去へと遡ったのではないかと錯覚してしまうくらいだ。そんな状況だからだろうか? 僕と祢子に、言い知れぬ不安と緊張が走っていた。ここに来て、僕に憑いている『闇の力』たちが僕の中で疼き始めた、そんな感じがする。だが、最初にここを訪れた時、僕が押しつぶされそうになっていた負の感情とは明らかに違う。もっと何か、優しく包み込んでくれるような、そんな温かな感情に満ちている。僕たちの不安と緊張とは裏腹に、心なしか、周りの空気感はとても穏やかで、とても心地よく、とても優しい――『ぬくもり』。
この場所にいる得体のしれない何かの存在を僕は感じ取っている。僕は精神を研ぎ澄まし、その存在だけに集中する。すると、そこには雲永 餡子の生前の姿。僕が生前の姿へと象られていくのをじっと見つめていると、今まで僕の周りをまとわりつくように這っていた『闇の力』は、その姿を光の粒子に変え、雲永 餡子の周りに降り注ぐ。それはまるで、宙を舞う粉雪のように優しく――
具現化された雲永 餡子は決して言葉を発しない――ただ、その表情はとても穏やかで、憎悪や苦悩など微塵もない、そんなとても穏やかな表情だった。雲永 餡子が具現化されたとはいえ、その姿は僕にしか見えていないようだ。
無言のまま立ち尽くし、小刻みに震えている祢子に、僕は優しく声をかける。
「雲永 餡子、彼女は、そこにいるよ――」
「それは、本当、ですか?」
「うん、今なら、きっと、君の気持ちが届くと思うよ」
「うん――あのね、餡子、私、ごめんね。もっと私にも、できること、あったよね。ごめんね、ごめんね――」
祢子は、声にならない声で、そこにいるかどうかもわからない雲永 餡子に語りかける。祢子の言葉が彼女に届いているのかどうかもわからない。雲永 餡子は穏やかな表情のまま微動だにしない。
僕は、この状況に少しだけ不安を覚える。というのも、僕の、この行いが、『本当に正しいものなのだろうか?』という疑問を抱き始めていた。そうして、今はただ、自分がやってしまったことに対する後ろめたさのようなものを感じていた。こんな風に生者と死者を繋ぐことが、本当に正しい行いなのだろうか? これがもし、現世の理を破る行いで、この場所から黄泉の国へと繋がる門を開いてしまうことにでもなったら? 僕は、事の重大さをきちんと理解していないのだろうか? これではまるで、独りよがりで身勝手な行いを善行だと浮かれている愚か者だ。 僕の愚行によって、悲惨な結果をもたらさないか、僕は、その、自ら背負ってしまった現実に恐れおののいた。それが僕だけならいい。ここには祢子がいる。もし、何かあれば、ここにいる祢子まで巻き込んでしまうという現実に対する恐怖心だけが僕を支配する。そう、僕だけなら構わないんだ、でも、祢子だけは――祢子だけは――なんで、なんで僕は、彼女を巻き込んでしまったのだろう。僕が、彼女に声をかけていなければ――僕が、不用意に彼女を連れ出さなければ――僕が――僕だけが、『闇の力』に浸食され、そのまま一人孤独に朽ちていけばよかっただけなのだ。今、この瞬間、僕には大きな後悔しかなかった。
次の瞬間に迎えた、その奇跡までは――
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる