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第3章 覚醒
決戦は華やかに ― 1 ―
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しばらくすると、エリーさんが部屋に入って来た。
「アエリア様よろしいですか? アーロン様にアエリア様の傷が全て塞がったか確認して欲しいと言われてまいりました」
困ったような顔で私に笑いかけてきたエリーさんは、なぜか少し息が上がっている。
「エリーさん、何かあったんですか?」
いつもと違うエリーさんの様子に心配になって私が尋ねると、エリーさんが視線を泳がせながら答えてくれた。
「それが……真っ赤なお顔のアーロン様が突然私たち使用人の部屋に飛び込んで来られまして。とても焦ったご様子で、すぐにアエリア様の様子を見て欲しいと、そう言ってここまで腕を引っ張って来られました」
「へ? 師匠、転移しなかったんですか?」
「忘れてたそうですよ」
呆れる私に苦笑いを向けて、エリーさんが早速私の後ろに回った。
「アエリア様、少し前にかがんでください」
アーロンから場所を聞いてきているのだろう、首の後ろから背中にかけてじっくりと指で押さえながら確認してくれる。
「すっかり何もありませんね。見事なものです」
話しつつ前に回って私のお腹と足の甲も確認してくれる。
「何の問題もありませんね。というか私、アエリア様の傷を先に拝見していませんからどこに何があったのかもわかりませんわ。それではちょっとお待ちくださいね」
エリーさんは一通り確認が終えると急いで部屋を出ていった。アーロンに報告に行ったのだろう。でも直ぐにまたこの前と同じ二人のメイドさんを引き連れて部屋に戻ってきてくれた。
「さあ、直ぐに湯あみして服を着替えましょうね」
そう言ってこの前のように丁寧に体を洗ってくれる。すっかりエリーさんにお風呂に入れてもらうのに慣れてしまった。これは良くない気がする。
「エリーさん、私自分でも出来ますよ?」
盥に浮いている手拭いを拾って自分で身体を洗おうとすると、直ぐにエリーさんの手が伸びて取り返されてしまった。
「それは困りますわ。これは私たちのお仕事ですから。アエリア様が喜んでくださらないと、私たちお仕事がなくなってしまいます」
エリーさんは悪戯っぽく笑ってまた私の背中を流してくれた。そう言われてしまうと邪魔できない。諦めてもうエリーさんに任せてしまう。それに、一人で浴びるシャワーと違ってこうして面倒を見てもらうのはなんだか心の奥が温かくなるのだ。
それからすぐ、突然外が騒がしくなった。扉がノックされ、エリーさんが細く扉を開いて誰かと話してる。直ぐにメイドさんの一人を呼びつけて一言二言言づけて部屋から送り出した。
「アエリア様。気を静めてお聞きください。大公様からの呼び出しがあったそうです。直ぐにお支度をして、粗相のないよう備えましょう」
私にそう告げるエリーさんの声が微かに震えてる。大公様がどのくらい偉いのかは馬鹿な私でも分かってる。だけど、大公様って、この前の成人式に出ていた温厚そうなおじさんだよね?
なんでエリーさん、そんなに心配そうにしているんだろう。
不可解ながらも湯あみを終わらせて身体を乾かし終わった頃には外に出ていたメイドさんが新しいドレスを片手に戻ってきてた。
▽▲▽▲▽▲▽
「アーロン様、アエリア様に大公様から聴聞会への召喚状が届きました。今回の件で事情聴取をされたいとのことです」
エリーにアエリアを任せやっとひと心地ついたところに、レイモンド伯爵邸から戻ってきたアーノルドが血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「そんな馬鹿な。もうフレイバーンの密偵も押さえたんだぞ、あれで証拠は充分だったろう」
「アエリア様とアーロン様が一緒に救護室に入り、そのあと傷だらけのフレイバーンの令嬢を連れ出すのを見た、と第一王子が証言されたそうです」
「馬鹿か?」
俺はイライラと怒鳴り散らした。
こっちがアエリアの治療でげっそりしている時になぜそんな余計なことになっているんだ。
「ピピンはどうした」
「それがピピン様はタイラー殿と一緒に外出されてしまったようで姿が見えません」
俺がアエリアの治療に入った隙に一体何が起きた?
「アーロン様のご指示通りピエール殿下の様子を気にしてて正解でした。あれからすぐにレイモンド伯爵と二人で馬車に乗り込み、王城に向かって出立しました。ピピン様に今までの経緯とともにご報告しましたところ、あとは任せて一旦隊に戻るように言いつかりました。ところが隊に戻るとアーロン様宛てに大公様から通達が届いており、慌てて真っすぐここまで飛んできましたが、もう衛兵が第一騎士団と共こちらに向かっていると思われます」
大公の近衛隊か。手回しがよすぎる。もういっそこのまま辺境に飛んで立てこもるか?
……それも悪くはないが、それだとあとが面倒だ。ピピンもこのままここに放っていくわけには行かない。想定外だがアエリアも覚醒してしまったことだ。ならば堂々と対峙するしかないか。
「仕方ない。エリーにアエリアの支度をさせろ。俺は少し準備に入る」
俺は腹をくくり、そう言い残して辺境伯邸に転移した。
調合室に入って最後の仕上げを終わらせ、道具を持ってピピンから分捕った広間に飛んだ。この騒動が始まってすぐ、俺はピピンからこの城の北東にある元訓練施設の広い部屋を借り出した。ピピンには罠を張ると言っておいたが、実際は古代魔法を実行するための部屋だ。
雑念を振り払って地面を整え魔方陣を描きだす。使う材料も全て調合済みだ。キラキラと輝く白金の粉がまるで吸い付くように地面に図柄を描いていく。全て描き終えてからその上に砂をもう一段かけて魔方陣を隠す。あとはアエリアがこの上に乗ればそれで魔術は発動する。部屋の鍵を確認し、念の為もう一度結界を張っておく。
準備はとっくに出来ていた。
いや、本当はいつでも完成出来た。
ただ、したくなかっただけだ。
だけど今、これは俺の最後の保険だ。もし事態がどうにもならなくなったらこれでアイツをアチラに飛ばす。
仕度を終えて自分たちの部屋に戻ると、青い顔のアエリアが着替えを終えて毅然とした表情でベッドに座っていた。寝室の外で待つ俺に気づいて一瞬表情を凍り付かせたが、すぐにフニャリと表情を緩める。
「師匠、どこに行っていたんですか」
「色々だ。アエリア時間がない。一つだけ今のうちに確認させてくれ。いつ、誰がお前を連れ出した?」
「ピエール殿下です。庭に案内された先であのレシーネという人と一緒に私を捕まえました。どうやってあの部屋に連れて来られたかはわかりませんが、あそこで二人が話すのも聞いています」
俺の端的な質問にアエリアが青ざめた顔で、だがはきはきと答えた。
やはりそうか。大方レシーネが捕まってあとが無くなりここで詰めてきやがったな。
だがなぜピエールが噛んでやがるんだ? 俺への執着にかかわりがあるのか?
どうにもそこが分らず、お陰であちらの出方が予想しきれない。さっきの治療のあとで気まずいが、今それどころじゃなくなったな。
「お前、支度はいいのか?」
「はい、いつでも来いです」
そう言ってアエリアが胸を一つ力強く叩いて見せた。顔色はまだ悪いがカラ元気はあるようだ。
その様子にふっと気が抜けた瞬間、間髪入れず扉を叩く音が部屋に響いた。
▽▲▽▲▽▲▽
「近衛隊第一騎士団隊長キックスだ。魔動機師団総師団長アーロン殿とその婚約者アエリア殿はいらっしゃるか?」
扉の外からカチカチと音がしそうな滑舌で長ったらしい役職を含む呼びかけが響いてきた。
「扉を開けてやれ」
アーロンに促されてアーノルドさんが扉を開くと、兵士が5人、ドカドカと雪崩れ込むように狭い部屋に入って来た。
「キックス殿、どのような要件だ、と聞くのも野暮だな」
「アーロン殿、アエリア殿、大公がお待ちだ。このまま直ぐに移動してもらいたい」
私を守るように前に立つアーロンの問いかけに、キックスと呼ばれた騎士が生真面目な様子で返答を返した。
アーロンはこのキックスっていう騎士さんを知っているらしい。アーロンの言葉が少し雑なうえに少し感情が聞き取れる。最近知ったのだが、アーロンは凄い猫かぶりだった。王族貴族のパーティーでは信じられないほど慇懃な貴族らしい言動をする。私やアーノルドさんと話す時とは大違いだ。だから、今のキックスさんへの喋り方だけでも、彼が何かしら気心の知れた相手なのだとわかった。
「いいだろう。エリーあとを頼む。アーノルドは一緒に連れて行くぞ」
「構わないだろう」
短く答えたキックスさんを一瞥して、アーロンが私の腰を抱いてエスコートするように身体を寄せながら一緒に歩き出した。
「アーロン、君の口からこのたびの一件を説明してもらえるか」
少し疲れた様子の大公が穏当な口調でアーロンに尋ねたのが、この聴聞会の始まりだった。
ここは王城内で最も広い大公の間。謁見と尋問以外で通常選ばれた者以外が入ることのない部屋なのだそうだ。そして今の私はどちらかと言うと尋問の為に呼ばれたみたい。これは今日の出来事を確認する聴聞会なのだそうだ。
すでに挨拶を終えた私たちは、その広い部屋の中心に二人きりで立たされてる。目の前にはひな壇の上に置かれた玉座には、この前とはうって変わって疲れ切った表情の大公が鎮座されていた。
部屋には他にも沢山の文官やキックスさんを含めた騎士の皆様、それに忙しく動き回る王室やこの部屋付きの使用人たちがわんさかいる。一生ご縁がないと確信していた所に来ると、なんでこんな状況なのに顔が笑っちゃうんだろう。別に何も楽しくないし、馬鹿にもしてないんだけどなぜか顔が勝手にニヤけてしまった。それを見咎めたのが大公のすぐ横に立っていた第一王子だ。眉を寄せて声を上げた。
「アエリア嬢、不謹慎だとは思わないかな。それともご自分の状況が分らないほど惚けてらっしゃるのか」
アーロンの目が光った気がする。途端、慌てたように第一王子が目を逸らした。
「大公様。今回私はどうしてこの場に呼び出されたのかも判然といたしません。本日はアエリアが体調を崩したため、急遽城内の自室に戻って治療を行ていました」
「それはどうもおかしなお話ですね」
アーロンの返答に声をかぶせるようにピエール殿下が口を挟むと、大公様が大きなため息をついてこちらを見た。
「この通り、ピエールが貴殿たちの今日の行動に不信を訴えてな。何かの間違えだとは思ったが確認をさせてもらいたい」
「父上。僕は今日、こちらのアエリア嬢をレイモンド伯爵のパーティーで数回エスコートさせて頂きました。最初に風に当たりたいというアエリア嬢を連れ出しますと、人目が無くなった途端にしな垂れかかられ、そこに居合わせたフレイバーンのレシーネ嬢が諫めると婦女子らしからぬ言動で反論して食ってかかってらっしゃいました。慌てて引きはがしてなだめながら席までお送りしたのです。ご覧になりましたよねレイモンド伯爵?」
ピエールの呼びかけに、左の人垣の中から見覚えのあるオジサマが一歩前に出て大きく頷きながら返事をする。
「ええ、我がままを言われるアエリア様にピエール殿下が優しく声をおかけ下さったのに、一言もしゃべらずにぶすっとされていました。帰ってこられた時もヒステリックに文句を言ってらっしゃいましたな」
何それ? どこの誰の話?
私が反論しようとするとアーロンが私の腕を掴んで首を振る。
「しばらくの後、アエリア嬢の顔色が悪くなり下の救護室にエスコートしたのですが、救護室に入った途端服を脱ぎだし僕を誘惑しようとされました。幸い予めお手伝いをお願いしていたレシーネ嬢が部屋に着いて、『裸の女性と一緒では居心地が悪いだろう』と僕を先に解放してご自分でアエリア嬢の面倒を見られると申し出て下さいました」
とんでもない言い草に腸が煮えくり返ってくる。
「ところがいつまで経ってもアエリア嬢もレシーネ様も戻って来られない。それどころかアーロン殿の姿も見えず、そちらのアーノルド殿を問い正せば人目を避けるように転移魔法で突然王城に戻られたと言うではありませんか」
そこで今度はレイモンド伯爵が横から声を張りあげる。
「大体私に何の挨拶もなく転移などで屋敷から下がられること自体非常識この上ありませんがそれと同時に我が屋敷でお預かりしているレシーネ様の姿が消えたとなると放っておく訳にも参りません。しかもピエール殿下が同じ部屋にアーロン殿が入って行かれるのを目撃されています」
それに頷いて憐れむような目をアーロンに向けながらピエール殿下が続ける。
「大方ご自分の婚約者殿の痴態を目にされて呆れて愛想を尽かし、その場にいた美しく心優しいレシーネ様に心を奪われたのではありませんか?」
「我々が事態を重く見て急遽城まで馬車で駆けつけてみれば案の定レシーネ様がこちらに来ていると言われました。お会いしてみれば信じられないことにその身体には目を背けたくなるほど人とは思えない仕業で傷付けられた痕が……」
恐ろしい記憶に苛まれるように語尾を震わせわざとらしく顔を両手で覆ったレイモンド伯爵を横目で確認して、ピエール殿下が誠実そうに吐き捨てた。
「幾ら婚約者殿のことで頭にこられていたとは言えただ彼女を無理矢理陵辱しただけでは無く魔力で人間としての尊厳をも辱めるなど言語道断」
涙を拭うふりをして顔を上げたレイモンド伯爵が大公の顔を見ながら断言し始めた。
「このような事態になってしまってはとてもそこの汚い孤児と結婚だのふざけたことを言っていることもできますまい。フレイバーンとの友好関係を傷付けない為にもこの上はアーロン殿に改めてレシーネ殿と正式に婚約を交わし責任を持って一生彼女の為に尽くし、フレイバーンの申し出通り経済特区の発展に尽力されるのがせめてもの償いではないでしょうか?」
かぶせるようにピエール殿下が言葉を引き取る。
「アーロン殿の罪状を追求できないのは本当に悔やまれますが、レシーネ様は寛大にもアーロン殿の無残な仕打ちを忘れてくださると申し出られています。ただそこの汚い孤児には相応の罰を与えて欲しいとのことです」
そこで一瞬こちらに蔑むような視線を向けて残酷な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「なに、大したことではありませんよ。魔力を封じ込めてオークに与えて欲しいというだけです。レシーネ様にはそれを望まれるだけの権利はあるでしょう」
大公に再度向き直り、ピエール殿下が最後の締めくくりとばかりに声を張りあげる。
「僕は確かにレシーネ嬢を置き去りにしてしまいました。今はそれが悔いられて仕方ありません。かくなる上は時期大公としての自覚と覚悟を持って、フレイバーンとの今後の関係をよりいい方向に築く為にも、この国の秩序を保ち正義をなすためにも、今すぐ父上の権限を持ってこの二人に正しい処罰を下されますよう進言させて頂きます」
両手が信じられないくらい冷たくなった。怒りってお腹で沸いて頭で破裂するんだ。怒りで震え始めた私の手をアーロンがしっかりと握ってくれている。
「アーロン、反論はあるか?」
大公様の冷たい言葉が静まり返った広間にやけに大きく響き渡った。
「アエリア様よろしいですか? アーロン様にアエリア様の傷が全て塞がったか確認して欲しいと言われてまいりました」
困ったような顔で私に笑いかけてきたエリーさんは、なぜか少し息が上がっている。
「エリーさん、何かあったんですか?」
いつもと違うエリーさんの様子に心配になって私が尋ねると、エリーさんが視線を泳がせながら答えてくれた。
「それが……真っ赤なお顔のアーロン様が突然私たち使用人の部屋に飛び込んで来られまして。とても焦ったご様子で、すぐにアエリア様の様子を見て欲しいと、そう言ってここまで腕を引っ張って来られました」
「へ? 師匠、転移しなかったんですか?」
「忘れてたそうですよ」
呆れる私に苦笑いを向けて、エリーさんが早速私の後ろに回った。
「アエリア様、少し前にかがんでください」
アーロンから場所を聞いてきているのだろう、首の後ろから背中にかけてじっくりと指で押さえながら確認してくれる。
「すっかり何もありませんね。見事なものです」
話しつつ前に回って私のお腹と足の甲も確認してくれる。
「何の問題もありませんね。というか私、アエリア様の傷を先に拝見していませんからどこに何があったのかもわかりませんわ。それではちょっとお待ちくださいね」
エリーさんは一通り確認が終えると急いで部屋を出ていった。アーロンに報告に行ったのだろう。でも直ぐにまたこの前と同じ二人のメイドさんを引き連れて部屋に戻ってきてくれた。
「さあ、直ぐに湯あみして服を着替えましょうね」
そう言ってこの前のように丁寧に体を洗ってくれる。すっかりエリーさんにお風呂に入れてもらうのに慣れてしまった。これは良くない気がする。
「エリーさん、私自分でも出来ますよ?」
盥に浮いている手拭いを拾って自分で身体を洗おうとすると、直ぐにエリーさんの手が伸びて取り返されてしまった。
「それは困りますわ。これは私たちのお仕事ですから。アエリア様が喜んでくださらないと、私たちお仕事がなくなってしまいます」
エリーさんは悪戯っぽく笑ってまた私の背中を流してくれた。そう言われてしまうと邪魔できない。諦めてもうエリーさんに任せてしまう。それに、一人で浴びるシャワーと違ってこうして面倒を見てもらうのはなんだか心の奥が温かくなるのだ。
それからすぐ、突然外が騒がしくなった。扉がノックされ、エリーさんが細く扉を開いて誰かと話してる。直ぐにメイドさんの一人を呼びつけて一言二言言づけて部屋から送り出した。
「アエリア様。気を静めてお聞きください。大公様からの呼び出しがあったそうです。直ぐにお支度をして、粗相のないよう備えましょう」
私にそう告げるエリーさんの声が微かに震えてる。大公様がどのくらい偉いのかは馬鹿な私でも分かってる。だけど、大公様って、この前の成人式に出ていた温厚そうなおじさんだよね?
なんでエリーさん、そんなに心配そうにしているんだろう。
不可解ながらも湯あみを終わらせて身体を乾かし終わった頃には外に出ていたメイドさんが新しいドレスを片手に戻ってきてた。
▽▲▽▲▽▲▽
「アーロン様、アエリア様に大公様から聴聞会への召喚状が届きました。今回の件で事情聴取をされたいとのことです」
エリーにアエリアを任せやっとひと心地ついたところに、レイモンド伯爵邸から戻ってきたアーノルドが血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「そんな馬鹿な。もうフレイバーンの密偵も押さえたんだぞ、あれで証拠は充分だったろう」
「アエリア様とアーロン様が一緒に救護室に入り、そのあと傷だらけのフレイバーンの令嬢を連れ出すのを見た、と第一王子が証言されたそうです」
「馬鹿か?」
俺はイライラと怒鳴り散らした。
こっちがアエリアの治療でげっそりしている時になぜそんな余計なことになっているんだ。
「ピピンはどうした」
「それがピピン様はタイラー殿と一緒に外出されてしまったようで姿が見えません」
俺がアエリアの治療に入った隙に一体何が起きた?
「アーロン様のご指示通りピエール殿下の様子を気にしてて正解でした。あれからすぐにレイモンド伯爵と二人で馬車に乗り込み、王城に向かって出立しました。ピピン様に今までの経緯とともにご報告しましたところ、あとは任せて一旦隊に戻るように言いつかりました。ところが隊に戻るとアーロン様宛てに大公様から通達が届いており、慌てて真っすぐここまで飛んできましたが、もう衛兵が第一騎士団と共こちらに向かっていると思われます」
大公の近衛隊か。手回しがよすぎる。もういっそこのまま辺境に飛んで立てこもるか?
……それも悪くはないが、それだとあとが面倒だ。ピピンもこのままここに放っていくわけには行かない。想定外だがアエリアも覚醒してしまったことだ。ならば堂々と対峙するしかないか。
「仕方ない。エリーにアエリアの支度をさせろ。俺は少し準備に入る」
俺は腹をくくり、そう言い残して辺境伯邸に転移した。
調合室に入って最後の仕上げを終わらせ、道具を持ってピピンから分捕った広間に飛んだ。この騒動が始まってすぐ、俺はピピンからこの城の北東にある元訓練施設の広い部屋を借り出した。ピピンには罠を張ると言っておいたが、実際は古代魔法を実行するための部屋だ。
雑念を振り払って地面を整え魔方陣を描きだす。使う材料も全て調合済みだ。キラキラと輝く白金の粉がまるで吸い付くように地面に図柄を描いていく。全て描き終えてからその上に砂をもう一段かけて魔方陣を隠す。あとはアエリアがこの上に乗ればそれで魔術は発動する。部屋の鍵を確認し、念の為もう一度結界を張っておく。
準備はとっくに出来ていた。
いや、本当はいつでも完成出来た。
ただ、したくなかっただけだ。
だけど今、これは俺の最後の保険だ。もし事態がどうにもならなくなったらこれでアイツをアチラに飛ばす。
仕度を終えて自分たちの部屋に戻ると、青い顔のアエリアが着替えを終えて毅然とした表情でベッドに座っていた。寝室の外で待つ俺に気づいて一瞬表情を凍り付かせたが、すぐにフニャリと表情を緩める。
「師匠、どこに行っていたんですか」
「色々だ。アエリア時間がない。一つだけ今のうちに確認させてくれ。いつ、誰がお前を連れ出した?」
「ピエール殿下です。庭に案内された先であのレシーネという人と一緒に私を捕まえました。どうやってあの部屋に連れて来られたかはわかりませんが、あそこで二人が話すのも聞いています」
俺の端的な質問にアエリアが青ざめた顔で、だがはきはきと答えた。
やはりそうか。大方レシーネが捕まってあとが無くなりここで詰めてきやがったな。
だがなぜピエールが噛んでやがるんだ? 俺への執着にかかわりがあるのか?
どうにもそこが分らず、お陰であちらの出方が予想しきれない。さっきの治療のあとで気まずいが、今それどころじゃなくなったな。
「お前、支度はいいのか?」
「はい、いつでも来いです」
そう言ってアエリアが胸を一つ力強く叩いて見せた。顔色はまだ悪いがカラ元気はあるようだ。
その様子にふっと気が抜けた瞬間、間髪入れず扉を叩く音が部屋に響いた。
▽▲▽▲▽▲▽
「近衛隊第一騎士団隊長キックスだ。魔動機師団総師団長アーロン殿とその婚約者アエリア殿はいらっしゃるか?」
扉の外からカチカチと音がしそうな滑舌で長ったらしい役職を含む呼びかけが響いてきた。
「扉を開けてやれ」
アーロンに促されてアーノルドさんが扉を開くと、兵士が5人、ドカドカと雪崩れ込むように狭い部屋に入って来た。
「キックス殿、どのような要件だ、と聞くのも野暮だな」
「アーロン殿、アエリア殿、大公がお待ちだ。このまま直ぐに移動してもらいたい」
私を守るように前に立つアーロンの問いかけに、キックスと呼ばれた騎士が生真面目な様子で返答を返した。
アーロンはこのキックスっていう騎士さんを知っているらしい。アーロンの言葉が少し雑なうえに少し感情が聞き取れる。最近知ったのだが、アーロンは凄い猫かぶりだった。王族貴族のパーティーでは信じられないほど慇懃な貴族らしい言動をする。私やアーノルドさんと話す時とは大違いだ。だから、今のキックスさんへの喋り方だけでも、彼が何かしら気心の知れた相手なのだとわかった。
「いいだろう。エリーあとを頼む。アーノルドは一緒に連れて行くぞ」
「構わないだろう」
短く答えたキックスさんを一瞥して、アーロンが私の腰を抱いてエスコートするように身体を寄せながら一緒に歩き出した。
「アーロン、君の口からこのたびの一件を説明してもらえるか」
少し疲れた様子の大公が穏当な口調でアーロンに尋ねたのが、この聴聞会の始まりだった。
ここは王城内で最も広い大公の間。謁見と尋問以外で通常選ばれた者以外が入ることのない部屋なのだそうだ。そして今の私はどちらかと言うと尋問の為に呼ばれたみたい。これは今日の出来事を確認する聴聞会なのだそうだ。
すでに挨拶を終えた私たちは、その広い部屋の中心に二人きりで立たされてる。目の前にはひな壇の上に置かれた玉座には、この前とはうって変わって疲れ切った表情の大公が鎮座されていた。
部屋には他にも沢山の文官やキックスさんを含めた騎士の皆様、それに忙しく動き回る王室やこの部屋付きの使用人たちがわんさかいる。一生ご縁がないと確信していた所に来ると、なんでこんな状況なのに顔が笑っちゃうんだろう。別に何も楽しくないし、馬鹿にもしてないんだけどなぜか顔が勝手にニヤけてしまった。それを見咎めたのが大公のすぐ横に立っていた第一王子だ。眉を寄せて声を上げた。
「アエリア嬢、不謹慎だとは思わないかな。それともご自分の状況が分らないほど惚けてらっしゃるのか」
アーロンの目が光った気がする。途端、慌てたように第一王子が目を逸らした。
「大公様。今回私はどうしてこの場に呼び出されたのかも判然といたしません。本日はアエリアが体調を崩したため、急遽城内の自室に戻って治療を行ていました」
「それはどうもおかしなお話ですね」
アーロンの返答に声をかぶせるようにピエール殿下が口を挟むと、大公様が大きなため息をついてこちらを見た。
「この通り、ピエールが貴殿たちの今日の行動に不信を訴えてな。何かの間違えだとは思ったが確認をさせてもらいたい」
「父上。僕は今日、こちらのアエリア嬢をレイモンド伯爵のパーティーで数回エスコートさせて頂きました。最初に風に当たりたいというアエリア嬢を連れ出しますと、人目が無くなった途端にしな垂れかかられ、そこに居合わせたフレイバーンのレシーネ嬢が諫めると婦女子らしからぬ言動で反論して食ってかかってらっしゃいました。慌てて引きはがしてなだめながら席までお送りしたのです。ご覧になりましたよねレイモンド伯爵?」
ピエールの呼びかけに、左の人垣の中から見覚えのあるオジサマが一歩前に出て大きく頷きながら返事をする。
「ええ、我がままを言われるアエリア様にピエール殿下が優しく声をおかけ下さったのに、一言もしゃべらずにぶすっとされていました。帰ってこられた時もヒステリックに文句を言ってらっしゃいましたな」
何それ? どこの誰の話?
私が反論しようとするとアーロンが私の腕を掴んで首を振る。
「しばらくの後、アエリア嬢の顔色が悪くなり下の救護室にエスコートしたのですが、救護室に入った途端服を脱ぎだし僕を誘惑しようとされました。幸い予めお手伝いをお願いしていたレシーネ嬢が部屋に着いて、『裸の女性と一緒では居心地が悪いだろう』と僕を先に解放してご自分でアエリア嬢の面倒を見られると申し出て下さいました」
とんでもない言い草に腸が煮えくり返ってくる。
「ところがいつまで経ってもアエリア嬢もレシーネ様も戻って来られない。それどころかアーロン殿の姿も見えず、そちらのアーノルド殿を問い正せば人目を避けるように転移魔法で突然王城に戻られたと言うではありませんか」
そこで今度はレイモンド伯爵が横から声を張りあげる。
「大体私に何の挨拶もなく転移などで屋敷から下がられること自体非常識この上ありませんがそれと同時に我が屋敷でお預かりしているレシーネ様の姿が消えたとなると放っておく訳にも参りません。しかもピエール殿下が同じ部屋にアーロン殿が入って行かれるのを目撃されています」
それに頷いて憐れむような目をアーロンに向けながらピエール殿下が続ける。
「大方ご自分の婚約者殿の痴態を目にされて呆れて愛想を尽かし、その場にいた美しく心優しいレシーネ様に心を奪われたのではありませんか?」
「我々が事態を重く見て急遽城まで馬車で駆けつけてみれば案の定レシーネ様がこちらに来ていると言われました。お会いしてみれば信じられないことにその身体には目を背けたくなるほど人とは思えない仕業で傷付けられた痕が……」
恐ろしい記憶に苛まれるように語尾を震わせわざとらしく顔を両手で覆ったレイモンド伯爵を横目で確認して、ピエール殿下が誠実そうに吐き捨てた。
「幾ら婚約者殿のことで頭にこられていたとは言えただ彼女を無理矢理陵辱しただけでは無く魔力で人間としての尊厳をも辱めるなど言語道断」
涙を拭うふりをして顔を上げたレイモンド伯爵が大公の顔を見ながら断言し始めた。
「このような事態になってしまってはとてもそこの汚い孤児と結婚だのふざけたことを言っていることもできますまい。フレイバーンとの友好関係を傷付けない為にもこの上はアーロン殿に改めてレシーネ殿と正式に婚約を交わし責任を持って一生彼女の為に尽くし、フレイバーンの申し出通り経済特区の発展に尽力されるのがせめてもの償いではないでしょうか?」
かぶせるようにピエール殿下が言葉を引き取る。
「アーロン殿の罪状を追求できないのは本当に悔やまれますが、レシーネ様は寛大にもアーロン殿の無残な仕打ちを忘れてくださると申し出られています。ただそこの汚い孤児には相応の罰を与えて欲しいとのことです」
そこで一瞬こちらに蔑むような視線を向けて残酷な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「なに、大したことではありませんよ。魔力を封じ込めてオークに与えて欲しいというだけです。レシーネ様にはそれを望まれるだけの権利はあるでしょう」
大公に再度向き直り、ピエール殿下が最後の締めくくりとばかりに声を張りあげる。
「僕は確かにレシーネ嬢を置き去りにしてしまいました。今はそれが悔いられて仕方ありません。かくなる上は時期大公としての自覚と覚悟を持って、フレイバーンとの今後の関係をよりいい方向に築く為にも、この国の秩序を保ち正義をなすためにも、今すぐ父上の権限を持ってこの二人に正しい処罰を下されますよう進言させて頂きます」
両手が信じられないくらい冷たくなった。怒りってお腹で沸いて頭で破裂するんだ。怒りで震え始めた私の手をアーロンがしっかりと握ってくれている。
「アーロン、反論はあるか?」
大公様の冷たい言葉が静まり返った広間にやけに大きく響き渡った。
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