女王陛下と生贄の騎士

皐月めい

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嫌な予感

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 こちらを気にするアダム達を眺めながら、楽しそうな表情の彼女の横顔を盗み見る。
 さらさらと風に揺れる金髪が夕焼けで染めた絹糸のようで、女性の髪に触れてみたいと生まれて初めて彼は思った。

 視線に気付いた彼女が自分の顔を見て、軽く微笑む。
 心臓がきゅう、と引き攣るような痛みが走った。自分を誤魔化すように咳払いして、ジークフリートは口を開いた。

「良い場所ですね」
「そうでしょう?海があって、風が吹いて、緑の牧地と動物がいて、癒されるんです。ルガルはああ見えて、代々王家に仕えるヴァラヴォフ公爵家の当主でして。ここから少し離れた屋敷に住んでいるのですが、ここが気に入って毎日自分で畑を耕しに来ているんですよ」
「公爵家当主が……」
「本人は目の前で言われるのが恥ずかしいようでして。先ほどの紹介では申し上げられませんでしたが」

 絶句した。確かに女王陛下に謁見する人間にしては随分と気さくすぎると思っていたが。
 貴族が、それも公爵家の人間が畑に触れるなど、アビニアでは考えられない。公爵家の血を引く人間が、料理を生業にするということも考えられない。そういったことは本来平民か、家格の低い貴族の仕事だ。
 何よりも、誇るべきはずの自らの血筋を恥ずかしがる感覚に驚いた。

「……何だか羨ましいですね」

 お世辞でも嫌味でも誇張でもなく、素直な気持ちでジークフリートはそう言った。

「……羨ましい?」
「私の国では、王族を始め貴族は、自分の好きな道には進めません。そもそもそんな考えすら抱けない。特に嫡男は、幼い頃から徹底的にそう教育されます。趣味の一つでさえも、貴族に相応しい振る舞いが認められます」

 ジークフリートも父王の反対を押し切って騎士にはなったが、元々王族が騎士になることは珍しいことでもない。何よりジークフリートが騎士を志したのはヴラドとの誓約のためだった。騎士が好きで志したわけではない。

「ですから、思うまま自由に生きるルガル殿は素敵だと思います。もちろん実際には、色々な気苦労をなさっていることは理解しておりますが」
「……どうでしょうか」

 女王の声は、やや固く聞こえた。少し驚いて女王の顔を見ると、彼女は眉を下げて、何故か悲しそうな顔をしていた。

「……私には、彼らは自由には見えません」
「それは、どういう……」

 驚いて尋ねようとすると、「団長!」と鋭い声が届いた。ジョルジュが切羽詰まった顔を向ける。ジークフリートも「どうした?」と気を引き締めた。

「今すぐ船に帰りましょう。なんか胸騒ぎがするんです。船員が、危ないかも」

 怖い嫌だもう帰ります、と言っている時の顔ではない。紫の瞳がぐっと濃くなる。勘の鋭いジョルジュがたまにこういう顔をする時は、必ず何かが起きる前触れだった。そうだ、この勘の鋭さも、ジョルジュを選んだ理由の一つだ。

「……わかった」

 ジークフリートは頷いた。そして戸惑う女王に、一度船に向かいたいと告げた。


 ◇

「くそっ、間に合わなかった……!」

 船の様子を見て、ジョルジュが舌打ちをする。ジークフリートが見たこともないほど巨大なクラーケンが巻きついて、船を襲っていた。

 漁師たちが応戦しているようだが、苦戦しているようだ。その中の一人が、クラーケンの吸盤のついた足に絡め取られかける。怒号と悲鳴が聞こえ、咄嗟に剣を抜き、クラーケンの足を斬りつけた。固く、切り落とすことはできない。しかし漁師から引き離すことは成功した。

「ジークフリート様!船長が、まだ中に!」

 抑えた腕から血を流した航海士が、絶叫に近い声を挙げた。

「わかった。後は心配せず、休め」

 ジークフリートは駆け出した。事前に女王に帯剣の許可をもらっていて良かったと、頭の隅で冷静に思う。

 大きく傾く船に飛び乗り、剣を抜いて船に巻きつく足を一筋切りつける。クラーケンの身は固く太く、一度の剣では切り落とせない。四度切り落としてようやく一本落とせたが、これでは全て切り落とす前にクラーケンが船を海中に引き込んでしまうだろう。

 クラーケンを一度無視し、船内にいる船員を探す。恐らく怒り狂ったクラーケンが船体を大きく揺らしているようだ。歩くことは敵わないが、幸運なことに船長はすぐ見つかった。打ったのだろう頭から血が流れている。

 船長を背負い、まずは船から出なければと考えていると船が一度静止した。考える間も無く甲板へと飛び出すと、ジークフリートは信じられない物を見た。

 海面から伸びる太い海流が、凄まじく回転しながらクラーケンに巻きついている。海の中で自由に泳げるはずのクラーケンが、その凄まじい水圧に押されて動けずにいる。恐らくジークフリートがあの海流に少しでも触れれば、その強さに弾かれてジークフリートは海に落ちてしまうだろう。

 その光景に絶句をしたが、こんなことができるのは世界広しといえども一人だけだ。
 いつの間にか甲板に乗り込んでいた女王が、自身の額の高さにまで腕を挙げ強い眼差しでクラーケンを見つめている。

 彼は生まれて始めて、何かを守ろうと前に立つ女性を見た。

「団長!」
「ジョルジュ、彼を頼む」

 同じく甲板に乗り込んでいたジョルジュに船長を任せると、彼は剣を抜いて足早に女王の前へ立った。

「後はお任せください」

 振り向かずにそう言えば、一瞬躊躇う気配が聞こえたもののクラーケンに巻きつく海流が力を無くし海に落ちる。どん、と船体が揺れるのと、ジークフリートが飛び上がるのは同時だった。

 クラーケンの目と目の間には、柔らかい場所がある。弱点であるそこに剣を突き刺せば、クラーケンは大きく体を震わせて、息絶えた。

 彼女の無事を確かめるため振り返ると、彼女はどこか放心したように彼を見ていた。

「陛下、大丈夫ですか」

 慌てて声をかけると、彼女の肩が驚いたように跳ねる。「は、はい」と頷く彼女には確かに怪我はなさそうで、安堵する。

「助けて頂き、ありがとうございました」

 深く礼をして、被害や怪我人を確認するために陸に降りた。


 ◇

 幸いなことに怪我人は船長と腕を怪我した船員の二人だけで、その二人も大きな怪我ではなかった。
 船を助けようとクラーケンと戦った漁師たちにも怪我はなかったようで、彼らの今日はイカ焼きだと、喜ぶ熱気が伝わってくる。
 そして久しぶりに港に現れたという女王に、彼らは皆一様に両頬に喜びを漲らせている。ずいぶん愛された女王がいるものだと驚きながら、ジークフリートは船員たちから事情と船の様子を聞き終えた。

「団長、お疲れさまでした」

 ジョルジュが騎士の顔で敬礼する。
 ああ、と頷いて微笑み、よくやった、と声をかける。

「お前の勘のおかげで助かった。出なければ今頃船長は船ごと海中だ」
「いえ……船長が助かって良かったです」

 だけど……と、げんなりと見つめる先は、船だ。

「……壊れちゃいましたね」
「壊れたな……」

 クラーケンが巻きついた船体に、当然ながら損壊がでた。幸いにも大きな損傷ではないため、機関士たちで直せる範囲ではあるようだが、損傷箇所が広いため時間がかかりそうだと言う。

「最低でも一月はかかるそうだ」
「仕方ないっすよね……」

 ジョルジュが大きく、ため息を吐いた。


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