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宿屋
しおりを挟むお父様たちと別れたあとは、宿屋に戻った。
宿屋のご夫婦は、ボロボロになっているジェイラスを見つけてとても心配してくれた。
「すぐにお湯を沸かして持っていくから部屋で待ってなさい!」
ジェイラスが苦笑しながら受け答えしていた。
そして部屋に入るとすぐにリオンくんたちが出迎えてくれた。
「良かった……良かった……!!」
リオンくんがジェイラスに勢いよく飛びつく。
「ジェイラス……!わぁぁ!!」
リオンくんはしがみつきながら滝のように涙を流した。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で「心配したんですよ!」と何度も言うと、ジェイラスが困ったように彼の頭を撫でた。
それを見ながら、この聡い子がまだ子供であることを思い出す。ずっと、私を心配させないように、気丈に振る舞ってくれていたんだ。
ジェイラスは戸惑いながらも受け止めている。恐る恐るというように背中に手を回して撫でてあげている。
「ルーシーさん……」
「グレタさん」
気が付くと隣にグレタさんが立っていた。
「ご無事で良かった……」
「心配かけてごめんなさい」
「いいえ、だけど本当に良かった。お二人とも無事に戻られるなんて……最初に出会ったときのようですね」
そうだ、あの時と同じだ。
リオンくんがジェイラスに抱きついている。
そうして言うのだ、私のことを『俺の女だ』って。
……懐かしい。もう、ずっと昔のことみたいだ。
…………。
そして私は、今は彼の女になれてるのだと気付いてしまう。なんだか考えるのも恥ずかしいけど。
「もう、全部記憶も戻ってるんです」
「そうですか」
あの時は記憶喪失設定だったし、実際そうだった。
だからリオンくんのお屋敷に招いてもらえた。
「私たちと、一緒に帰りましょう」
グレタさんは私の手を握り締めて言ってくれた。
そう、ここに来るときに、ジェイラスを連れてみんなで帰ろうって言っていたんだ。
今、元の姿に戻ったジェイラスがいて、自由に生きてもいいと言われている私が居る。
そして、友人だと言ってくれているリオンくんとグレタさんがいる。
「はい……帰りたいです」
この世界で、自由に生きていいのだとしても……まだどうしたら良いのか分からない。それでも、今一番に帰りたいと思う場所は、不安で堪らなかったときに寄り添うように力を貸し続けてくれたリオンくんたちのいる場所だ。
それでも――もしかしたら。
(お父様のところに戻ることもあるかもしれない……)
あそこには私にしか出来ないことがあるのかもしれない。今日の変化の意味さえまだよく分かってないのに、先のことまで考えられない。
だから……それはもう少し先に。
沢山の人の力を借りて、生かされてる。
そしてジェイラスと共に生きていく。これからの人生は彼と、そして大事な人と、話し合って決めるんだ。
「シオリ……」
ジェイラスが助けを求めるように困惑した顔を上げて私を見つめた。腰にはぎゅうぎゅうとリオンくんが抱きついている。
「ジェイラス……」
私は思い切り笑顔を浮かべて、両手を広げるとぶつかるように彼らに抱きついた。
「ジェイラスも、リオンくんも、グレタさんも、大好きです!」
「わーん、僕もですよ!」
「私もですよ」
「……」
ジェイラスはますます眉尻を下げて困惑した表情を浮かべた。
「ああん?なんで席を外してる間にこんな事態になってるんだ……?」
扉のところから、リュードさんが顔を覗かせた。
そしておかしな格好で抱き合う私たちをジロジロ見つめた。
「リュードこんな時にどこに行ってたんですか!」
「戻ってきたら酒盛りだろー?酒買ってきたんだよ」
そう言うとリュードさんは酒瓶を机の上に置いていく。
「急いで買ってきたんだから、早い方だろー?」
にへりと笑うリュードさんの気の抜ける笑顔はいつも通りだ。
「想像通り、早く戻ってきたじゃねーか。よージェイラス」
「……」
「お前酒呑まねーのは、酒癖悪いからじゃないかって噂されてたぞ」
「……違う」
「じゃー付き合えよ、祝酒だぜ」
リュードさんは酒瓶を開け出して、昼間から呑みはじめようとしている。
「お湯持ってきたわよー、って人多いわね」
「今夜は宴会なんだぜ」
「まー、夕食ここに持って来る?なにがいい?」
「ほんと?いいの?俺腸詰めがいいんだけど」
楽しそうに話しているリュードさんを見ていたら、急激に、ああ、戻ってきたんだな、と思う。
みんなのところに帰ってきた。
「ジェイラス……」
「ああ」
「戻って来れたね」
「……そうだな」
宿屋の中で見るジェイラスの横顔は、以前と変わらない、とても整った顔立ちの色男のものだ。
「酒癖悪いの?」
「……違うと言っている」
私に対して、バツが悪いように視線を伏せる彼の表情は珍しい。
「……絡むことがあるそうだ」
「え?」
「なんでもないことでも、教えてくれ、と繰り返し言うそうだ」
「……教えてくれ?」
「子供の頃の癖だ。ラミアンによく言っていた……」
気まずそうに視線を伏せるジェイラスが、頬を朱に染める。
その顔を見ていたら、心にどうしようもなく幸福感が広がって行く。
愛する人の新しい表情を、知っていく。
きっと私が望んでいるのは、そんな日常を生きることなんだ。
「じゃあ、それ、私に言ってね」
「……」
「僕も聞きたい」
「……私も聞いてみたいかもです」
リオンくんとグレタさんまで同意してくれると、ジェイラスが眉をハの字に変える。
「あー?」
「リュード、なんでもう顔赤くなってるの!?」
リオンくんの言葉に振り返るとリュードさんがもう酔った顔をしている。早すぎる。
「とりあえず、ジェイラス体洗って、着替えて。僕らは隣で待ってるから」
リオンくんがリュードさんを引き連れて部屋を出て行った。
急に部屋が静かになって、ジェイラスと目が合うと、二人でふふっと笑ってしまった。
そうして彼の胸に手を当てる。
浄化と洗浄の魔法を掛けてみた。
しゅわしゅわした、洗浄の魔法は彼を綺麗にしたけれど、浄化の魔法が効いている感じはしなかった。
「……浄化もう必要ないのかな」
「そうだな。魔の力はもう抱えていないから」
本当にルシアが全部持っていってくれたんだ。
「以前にも、お前が悪魔の証を引き受けてから、人を探す能力が消えたことがあった」
「人を探す?」
「そうだ、リオンの鞄が盗まれた時だ」
「ああ」
追いかけていったジェイラスが戻って来なかったときのことだ。
「人の中の魔の力を追跡する能力だったんだろうが」
「へえ」
「きっともう、何も使えないだろう」
「え?」
「人の感情も、何も伝わって来ない」
「……」
「シオリの心も、もう分からない」
ジェイラスが私をまっすぐ見つめて言う。
「だが俺には不安はない。シオリはどうだ?」
「え?」
「お前を分かってあげられなくなった。どう思うんだ?」
「……」
どう思うか……。
「えっと」
今私が思ってることは。
「えーと……ね」
「ああ」
「今私が思ってるのはね」
「なんだ?」
「お湯」
「うん?」
「魔法掛けたけど、お湯で体拭くと気持ちいいよね」
宿屋の奥さんが沸かしてくれたお湯。
「体拭くの手伝いたいな……」
以前だと絶対にさせてくれなかったこと。
「ジェイラスの体に、少し触れたい……」
はっ、ちょっと直接的過ぎたかも。
「えーと。なんだっけ。そう言うことを思ってるんだけど……」
「……お前の思考は、読めてないと想定外になるのだな」
え、そういうもの?
「そう、思ってるんだけど、私は思ってることは伝えるし、普通に返事をしてくれたら、それでいいよ」
そうか、と言ってジェイラスは少し笑った。
「ならば俺も返事をしよう」
「うん」
「どこでも拭けばいい」
お許しが出た!?
「……」
なんだか恥ずかしくなって、もじもじとタオルを握りしめていたら、ジェイラスは一人で体を拭きだしてしまった。
だけど勿体無いので目を凝らすようにして彼の肉体美を目を焼き付ける。
「……拭かないのか?」
からかうような彼の口調に、クラクラとする。
「…………!」
お湯につけたタオルを彼にぶつけると、絞り切れてないタオルから水飛沫があがった。
ジェイラスは思い切り笑う。
明るい彼の笑い声。
以前ならば聞いたことがなかったそれに、心の中に幸福感が広がる。
私たちの、これからのなんでもない日常は、今始まったばかりなんだ。
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