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2巻
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しおりを挟む第一章 怪しい噂とかつての友人
第一話
魔法適性が皆無の落ちこぼれ貴族だった俺――ナハト・ツェネグィアは、ある日森の中で突然襲われ、瀕死の重傷を負ってしまった。エルフで俺の護衛であるアウレールの氷魔法で、一命は取りとめたものの、氷漬けのまま仮死状態に。
そのまま一年間眠り続け、目が覚めたら――なんと氷魔法の適性に目覚めていた。
エルフの里で修業をして魔法の使い方を覚え、これからは自由に生きられると思ったのも束の間、とある貴族が仕向けた刺客に襲われてしまう。
その貴族の正体を問い詰めるべく、刺客が身を寄せていた奴隷商のもとに向かい、俺の縁戚であるリガル・シューストンを倒したものの、こいつは黒幕ではなかった。
そして、俺に伝えられたのは、ノスタジア公爵という貴族の名前だった。
もう貴族に蔑まれ、振り回されるのはこりごりだ。
俺は、穏やかで幸せな人生を手に入れる為、自分に危害を加えようとする貴族たちを、全員凍らせる事を決意したのだった。
◇◆◇◆◇◆
「――あんたは知ってるか、あの噂を」
喧騒にまみれた古びた酒場。
椅子に腰掛けて酒をあおっていた大男は、おかしそうに初対面の俺に語る。
「あの噂?」
「ああ、そうさ。最近はどこも、その噂で持ちきりよ。なぁ?」
俺が聞き返すと、男は側にいた痩躯の男に同意を求める。
「違いない」
痩躯の男は、身体を揺すりながら、ククッと笑い同調した。
その噂とやらは、随分と愉快な話なのだろう。
噂の内容を俺が問い掛けるより先に、気分をよくした大男が言葉を続ける。
酒のおかげで、口が軽くなっているようだ。
「ツェネグィアにある奴隷館が、奴隷商とシューストン侯爵家の嫡男ごと氷漬けにされた一件。噂じゃ、たった一人でやったって話だ。貴族の連中が必死になって犯人を捜してやがる。こんなに痛快な事はねぇだろ」
貴族はあまり好まれる存在ではない。権力を振り翳し、好き放題している人間が多いのだ。
特に、シューストン家の人間は典型的な『嫌な』貴族だ。
そんなヤツらが、犯人に翻弄されている。
嫡男を半殺しにされながら、手掛かりすらない。
「あいつらの怒り具合を考えれば、酒も進むってもんだ」
大男はそう言って、口角を吊り上げながら追加の酒を大声で注文した。
「……どうして、たった一人にやられたって分かるんだ?」
「そりゃ、魔力の痕跡を辿ったからだろうよ。その場に残っていた魔力は、ほとんど一人のものだった。しかも、抵抗できないまま氷漬けにされたらしい。得体の知れねぇ犯人を恐れて、どこも警戒態勢さ。もっとも、その態勢がしかれているのは貴族の周囲だけだが」
大男の言葉を聞いて、俺は思案する。
もう少し、力を抑えておくべきだったか……いや、あまり時間は掛けられなかった。
それに、アウレールの存在を知られたくない。一人の仕業と捉えられている状況は決して悪くないのではないか。そう納得する事にした。
「……にしても、ツェネグィアからそれなりに離れたこの場所にまでそんな噂が広まってるんだね」
大男にそう話し掛ける。この噂の犯人とやらは俺なのだが、リガルを倒し、ツェネグィア領を出た俺たちは、随分と離れた場所に来ていた。
ここはノスタジア公爵領の、冒険者たちが集う街。名を――シャネヴァという。
そして、俺の数少ない知人の一人がいる街でもある。
その知人を捜してこの街に来たはずなのに、何故か俺の噂を聞く羽目になっている。
今の状況に溜息をもらさずにはいられない。
「そりゃ、貴族の不幸話なんざ、俺らからすりゃ極上の酒の肴だろ? どいつもこいつも面白がって、色んなところでこの噂を話すもんだから、あっという間に広まったのさ」
大男の顔は、当たり前だろと言わんばかりであった。
どうやら、俺たちが今シャネヴァにいる事はまだバレてなさそうだ。
「それもそうか」
安堵しながら、俺は笑顔で頷いた。
「ところで、一つ聞きたい事があるんだけど……いいかな」
懐から硬貨を取り出して、大男の側に置く。
「銀貨たあ。へへっ、兄ちゃんは随分と景気がいいんだな。かまわねえぜ? 何が聞きたいんだ」
俺の行動に気をよくしたのか、大男が口角を吊り上げながら、そう言った。
「人を捜してるんだ」
「人を? 名前は?」
本当はノスタジア公爵家の事も聞きたいのだが、相手は公爵家。
俺やアウレールの求める情報が、酒場でほいほい手に入るわけがない。
「アンバー」
「……ん。わりぃ。聞いた事がねえな。おめえは何か知ってるか?」
大男は、側にいた痩躯の男にも確認する。
痩せた男が、グラスになみなみと注がれた酒を口に運びながら、数秒黙考する。
「……アンバー。アンバー……ねえ。どこで聞いたんだったか……ぁあ、そうだ。思い出した。あれだ、少し前まで騒ぎになっていた、あの依頼を受けようか悩んでいた時に聞いたんだ」
「あの依頼?」
俺が聞き返すと、横から大男が口を挟んできた。
「兄ちゃんはシャネヴァに来たばっかりか。金をもらったから、詳しく教えてやるよ。あの依頼ってのは、ここから少し離れた廃坑での依頼でな。そこで変異種の魔物を見かけたって言うヤツがギルドにやってきたんだ」
変異種。稀に魔物の中に特別な力を持った者が生まれてくる。
本来の姿とは異なる見た目をしている場合が多く、その判別は比較的簡単だ。
修業中にエルフの里で討伐したジャヴァリーの変異種なんかもこれに当たる。
確かに、普通のジャヴァリーよりは凶暴で手強かったが問題なく倒せたし、変異種は度々出現する。騒ぎになるほどの事だろうか?
「それだけなら、よくある話だった。驚く事じゃない。だが、変異種の魔物の数が問題だった。その数はなんと――五体」
大男が目を見開きながら、そう続ける。
突然変異はあくまで、『稀に』見られる個体である。
同時に複数体、五体も見つかるのはかなりの異常事態だ。
「勿論、何かの見間違いだろうと誰もが思った。変異種が同じ場所に同時に五体も出現するなんざ、生まれてこの方、聞いた事はねえ」
見間違いだと言う大男の考えは常識的なものだ。
「そんなわけで、ギルドが調査隊を編成して向かわせる事になってよ。少し前までその人員の募集をしてたんだ……まぁ、廃坑とシャネヴァは目と鼻の先。変異種が溢れようものなら、シャネヴァが大変な事になっちまうからな」
「もっとも、ノスタジア公爵家がどうにかしてくれれば早い話ではあったんだがな」
「……ノスタジア公爵家」
痩躯の男の口から予期していなかった言葉が出て、俺は硬直してしまう。
俺の変化に気づいていないのだろう。大男は痩躯の男の言葉に続けて、また話し出した。
「今は名ばかりになっちまったが、あんなんでも『燦星公爵』なんて呼ばれていた英雄の末裔だしな。魔法の腕は今や見る影もねぇが」
この国には、四大公爵家と呼ばれる四つの公爵家が存在している。
彼らは五百年前に起こった大戦にて、比類なき活躍をした英雄の子孫である。そして、その血には特別な力が宿るとされていた。
四つの公爵家にはそれぞれ、名が与えられており、ノスタジア公爵家は『燦星公爵』と呼ばれていた。『燦然と煌めく星』という意味を込めてつけられた呼び名だ。
だからこそ、俺たちは下手に手出しができない。
『燦星公爵』の地位によって、多少の悪行はいとも容易く闇に葬る事が可能。
そもそも、握り潰したことすら世間には認知されないだろう。
ノスタジア公爵家の話題が出た事で、わき上がった怒りをどうにか隠し、逸れた話を元に戻す。
「……ところで、二人はその調査には参加しなかったの?」
そう尋ねると、大男は気まずそうに苦笑いをした。
「金払いはよかったんだがなぁ? ちょいと気乗りしなかったんだよ……なんつぅか、色々と引っ掛かるっていうかよ」
「……引っ掛かる? って、ちょっと待って」
「ん?」
そこまで話したところで、俺は思い出す。
痩躯の男はその依頼を受けようか悩んでいた時にアンバーの名前を聞いたと言っていた。
「……つまり、アンバーはその依頼を受けたって事?」
「おそらくは。本人から直接聞いたわけじゃないから、絶対にとは言えないが……」
痩躯の男の言葉に頭を抱える。そんな危険な依頼を受けるなんて……
「――あいつの無鉄砲は相変わらずか」
すると突然、会話に新しい声が割り込んできた。
終始、俺の側で無言を貫いていたアウレールの声だ。懐かしむような声色だった。
アンバーとアウレールは顔見知りである。
アンバーもかつて俺が奴隷商から買い取った人だ。
俺が値段があまり高く付かない欠陥品の奴隷――壊れ者ばかり買うようになる以前に出会った為、彼女は特になんの欠陥もない。普通の人間の少女だった。
数年間一緒に暮らしたが、五年前に色んなところを旅して回りたいと言って出ていった。
それからは全く会っていなかったが、手紙が来て、この街を拠点に冒険者活動をしている事を知ったのだ。
アンバーは呪いでもかけられているのではと思うほど、運のない少女であった。それなのに、無鉄砲なところがあって、トラブルに巻き込まれがちだ。
詳しくは聞いていないが、奴隷として売られる事になったのも、そのせいなのではなかろうか。
どう考えても危険な依頼に、ほいほいと首を突っ込んでいる辺り、彼女は変わっていないのだろう。つい、溜息がもれた。
そんな俺たちの様子を前に、痩躯の男は励ますように言葉を続けた。
「ま、まあ、まだそうだと決まったわけじゃないし、たとえ依頼を受けていても多分無事でいるだろう。調査隊の中にはAランクのヤツもいたはずだ。怪我をする事はあるかもしれんが、流石に命を落とす……なんて事はないだろう」
彼女の不運ささえなければ、彼の言う通りだろう。
しかし、そういう局面で必ず厄介事に巻き込まれるのがアンバーだ。
「……そうだったらいいんだけどね。とりあえず教えてくれてありがとう。助かったよ。行くよ、アウレール」
「分かった」
俺とアウレールは席を立った。アンバーがいるかもしれないなら、今すぐに向かうべきだ。
シャネヴァまでの道中で廃坑を見かけたので、おおよその場所は把握していた。
「待て待て待て。お前ら、もしかして廃坑に行く気か?」
歩き出そうとした俺たちを、大男が呼び止める。
「ガウッ」
その時、入口のドアが開き、首輪をつけた狼の魔物――ウォルフが顔を覗かせた。
「なんだ、従魔がいたのか。そいつに偵察に行ってもらおうって魂胆だな? 安心したぜ。変異種が五体もいるかもしれない場所に、下調べもせず二人だけで乗り込むなんて、死にに行くようなもんだ」
俺たちも廃坑に行くつもりだが、大男は勘違いをしているらしく、行く手を阻んでいた手を静かに引っ込めた。
「……なあ、ナハト。本当にアンバーを捜しにいくのか?」
ギルドを出ると、アウレールが話しかけてきた。
「そりゃ、現状、一番頼れそうな人だからね」
「ノスタジア公爵の家に直接乗り込むのではダメなのか?」
「アウレールって、実はかなり脳筋だよね……」
「……悪かったな」
アウレールの案もなしではないが、相手は貴族。慎重にならなくてはならない。
上がどれだけ無能だろうと、付き従う騎士の中には高名な人物もいる。
さらに、彼らがどんな事をしているのか、俺たちは全く知らない。
ノスタジア公爵家以外にも関与している貴族がいた場合、俺たちが不利になる可能性が高い。
「うーん、今回は賛同できないかな。極力危険は冒したくないし、ノスタジア公爵家をただ潰すだけで終わらせる気はないよ。当面は問題ないかもしれないけど、それだと第二、第三のノスタジア公爵家が生まれると思う。だから、二度と悪事ができないように徹底的にやる。その為には、ちゃんと情報を集めなきゃいけない」
落ちこぼれ貴族だった頃、ノスタジア公爵家についての黒い噂は度々聞いていた。
けれど、家の汚点であり、存在自体を忌み嫌われていた俺に大貴族との接点があるわけもない。
俺たちには、信用できる情報がなかった。だからこそ、余計に慎重にならなくちゃいけなかった。
まずは何をするにしても、情報収集は必須だ。
それにしても、何故俺が命を狙われているのか不明だ。シューストンを氷漬けにした後なら分かるが、狙われていたのはそれ以前から。全く、理由が思い当たらない。
「……ナハトの意見も分かるが、あの抜けてるアンバーが役に立つとは思えないんだが」
「それは……まあ、否定できないけど……信用できる人がほとんどいない俺たちにとって、アンバーの存在は大きいよ。きっと何かしら協力してくれるさ」
アンバーとあまり仲がよくなかったアウレールは乗り気ではないようだったが、ここは俺の意見を押し通させてもらう事にした。
「……随分と信頼してるんだな」
「アンバーもアウレールと一緒で、俺の家族や友達が欲しいっていうわがままに、付き合ってくれた人だからね」
信頼する理由なんて、それだけで十分だ。それに俺だけでなくアウレールも狙われている可能性がある。彼女を守る為なら、なんだろうと頼る。何があっても、失いたくないから。
だけど、その言葉は自分の胸の中にしまい込んだ。
「分かった」
俺が笑みを浮かべると、溜息と一緒にそんな言葉が返ってきた。
第二話
『――あたしの出身は、ノスタジア公爵領にある小さな田舎街でね』
刺客からノスタジア公爵家の名前が挙がった時、真っ先に思い浮かんだのはアンバーのその言葉だった。アンバーとの手紙のやり取りで、彼女が今故郷であるシャネヴァにいる事を知っていたから、俺はアンバーに会いにきたのだった。
何より、別れ際にアンバーが口にしていた言葉が、俺の行動を後押しした。
『困った時は、頼ってくれていい。受けた恩は、ちゃんと返す。それがあたしの信条だから』
その言葉に甘え、まさに俺たちはアンバーを頼ろうとしているわけだ。
シャネヴァから廃坑に向かう道中。
魔物の群れと相対する一人の冒険者の女性と遭遇した。変異種ではないが、かなりの数だ。
――やっぱり、彼女は面倒事の渦中にいた。
確信していたが、本当にそうなっていた事に呆れながら、声を掛ける。
「――相変わらず、その不運さは直ってないんだね。アンバー」
すると、アンバーが一瞬だけこちらに目を向けた。その視線は、燃え尽きた灰より白い、俺の色素の抜けた白髪へ。次に、側にいたアウレールへと移動する。
「えっと……誰? あんたたち」
「……あっ」
思わず声がもれる。アンバーの記憶の中のナハトは黒髪の少年で、アウレールは男性だったと、今になって思い出した。
あの時のアウレールは、酷い扱いを受けないように、指輪の力で姿を男性に変えていたのだ。
アンバーは不審者に出会ってしまったというような表情をしている。
……完全にやらかした。
「あたしの事を知ってるみたいだけれど、生憎、今は記憶を遡っている余裕はないの」
俺とアウレールを一瞥したあと、アンバーは背を向けながらそう呟く。
怪しいヤツだが敵意はない、そう判断したのだろう。
「というか、不運って連呼するのやめてくれる? 昔、あたしの事を散々そう言ってたヤツを思い出すのよ。だから……」
「実際、不運じゃないか。ナハトの屋敷にいた時も、散々面倒事を持ち込んだだろ? この状況を見る限り、直っていないようだが……」
「なっ――」
アウレールの発言に、アンバーはぎょっとした表情を浮かべる。
その言い方に覚えがあったのだろう。さらにかつて共に生活していたエルフに顔がよく似ている。
そう考えたであろうアンバーは、得物を握る力を強めながら、言葉を続けた。
「あんた、アウレールの妹か何かかしら。よく似てるわ。その鬱陶しい物言い、あたしの不運をからかう性格の悪さとかもね」
姉妹と考えるのは普通の事だ。まさか、性別を偽っていたとは思わないだろう。
久方ぶりの再会を喜びたいところだが、今はそれよりも優先すべき事がある。
「色々と説明しなきゃいけない事はあるけれど、ここは手を貸すよアンバー」
「手を貸すって、あんたらそもそも今回の依頼を受けた冒険者じゃないでしょう。というか、あたしは――」
「いいよね? アウレール」
「既に首を突っ込んでいるんだ……やるしかないだろ」
アンバーの言葉を遮り、俺が問い掛けると、アウレールはそれはそれは大きな溜息を吐いた。
応援ありがとうございます!
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