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第二部

70 たぬきを投げちゃいました

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 クラミツハの槍に貫かれたコンゴウは、浮上する力を失い、海面に落下する。大きな水しぶきが上がった。
 船が海水に呑まれるまでに、景光を救い出さなければならない。
 俺は、クラミツハのハッチを開いて、コンゴウに飛び降りた。
 ヒルコの位置は分かっている。
 攻撃によって貫通した亀裂の向こう、クラミツハの三叉の槍の穂先によって、コンゴウに縫い付けられているのだ。
 
「景光!」
 
 棺桶のようなヒルコの機体に駆け寄って、装甲を叩く。
 胸部が開き、操縦室に通じる穴が現れた。
 迷わずに穴に飛び込む。
 狭い操縦室の中央にある黒い座席で、景光が気を失っていた。
 
「息を、してない……?」
 
 冷たい体に触れて、俺はぞっとする。
 間に合わなかったのか。
 少しの間、呆然としたが、操縦室の不自然な明るさに気付き、顔を上げる。
 おかしい。
 操縦者がいなくなったら、システムが停止して、操縦室は暗くなるはずだ。だが、操縦室の壁には外の風景が描写され、空中にサブモニターが展開されている。
 操縦席のアームレストに埋め込まれた真紅の勾玉が、不気味に輝いていた。
 
「……」
 
 俺はためらいながら、勾玉に手を伸ばす。
 ヒルコにアクセスしてどうなるかは不明だ。
 景光を助ける方法が古神の中にあるのではないか。
 それだけが知りたくて、俺は自分の手首の勾玉模様を、ヒルコの勾玉に触れさせる。
 
「!」
 
 床が抜けたような浮遊感と共に、水音が響いた。
 ミストブルーの海中に投げ出される。
 幻だと分かっていても、水中で息ができないと思った。

「景光!!」
 
 サンゴ礁に囲まれて、景光が沈んでいる。
 焦って声を出すと、息が出来るようになった。
 景光に覆いかぶさるように、燕尾服を着た男性の背中が見えた。
 あれは……佐藤さん?
 死んだんじゃなかったっけ。
 疑問を抱いて立ち止まった俺の前で、佐藤さんは海底で景光を押し倒して、顔を近付けた。ちょっと待て。あの姿勢は、まさかキス?
 
「何をやってるんだ!!」
 
 俺は動揺のあまり、すぐ隣に浮かんでいた何かを掴んで、二人に投げつけた。
 
「……!」
 
 やべ。狸を投げちゃった。
 
「うごぁ?!」
 
 佐藤さんの後ろ頭に、狸が命中する。
 狸はゴム鞠のように跳ね返った後、くるくる目を回しながら水中を漂った。なんというか……ごめん。
 
「響矢さん!」
「景光、無事か?!」
 
 海底に降り立って、佐藤さんを蹴り飛ばし、景光を助け起こす。
 
「駄目です! その悪魔が全ての元凶なんです! 逃さないで!」
「あぁ?」
 
 どうやら佐藤さんが景光を押し倒していると思ったのは誤解で、景光が佐藤さんを海底に引き止めていたのが正しいらしい。
 狸が後頭部に命中して、沈黙していた佐藤さんは、体を起こした。
 
「やあやあ村田くん、久しぶりですねえ」
「生きてたのか、佐藤さん」
「いえ死にました。しかし悪魔として復活したのです!」
 
 なんのこっちゃ。佐藤さんラノベ読み過ぎじゃね。

「村田くんが来たので、予定変更しましょう」
 
 佐藤さんは立ち上がり、優雅な動作で燕尾服をはたいて身なりを整えた。

「景光くんは瀕死の状態です。霊力は既に尽き、古神ヒルコとの同調の代償に、生命力も差し出しました。ここからの復活は不可能……しかし!」
 
 大仰に両腕を広げ、佐藤さんは俺に向かって言う。
 
「悪魔に不可能はありません! 村田くん、君の有り余る霊力を、景光くんに渡しなさい。そうすれば、景光くんは地上に戻れるでしょう!」
「……は?」
「駄目です! あいつの言うことを聞かないで!」
 
 俺の霊力を提供すれば、景光は助かる?
 この取引で、佐藤さんはどんな得があるんだ。
 頭の隅で冷静に計算を働かせる。
 断って、元凶だという佐藤さんを逃がすのはまずい。
 ここは話を引き伸ばして解決手段を探すか。
 
「霊力を譲る? 一時的に? それとも恒久的に?」
「響矢さん!」
「後者です」
 
 霊力を失えば古神に乗ることができなくなる。
 受け入れがたい条件だ。
 だが、受け入れる振りをして話を長引かせるしかない。
 
「少し考えさせてくれ」
「駄目だ、響矢さん。考えるまでもない。俺に霊力を譲るなんて」
「おや、どうしてです? 徳大寺景光くん。君は、不遇な我が身を呪っていたのではありませんか?」
 
 佐藤さんが、景光に話しかける。
 
「持っている者と、持たざる者。恵まれていない者は一生そのままなのか」
「!!」
「ああ、この世は何と不公平か! たまたま名家に生まれたというだけで、久我響矢は英雄になる! たまたま霊力が少なく生まれただけで、あなたは常夜とこよに流された!」
 
 景光の顔色が悪くなる。
 なるほど、それは悩ましいな。もし俺が景光の立場なら、世の中を恨んでいたかもしれない。だが「もしも」なんて可能性、考えていたらキリが無い。
 俺は景光にはなれない。
 景光は、俺にはなれない。
 
「俺が恵まれている、か。そうだよな。景光、少し話を聞いてくれるか?」
「響矢さん……?」
「俺の霊力がどこから来ているのか」
 
 優矢叔父さんの話を思い起こす。
 
「一つの家系で所有する霊力の総量は、決まっているという法則があるらしい。兄弟や家族の、それぞれの霊力を足して合計すると、いつの時代も一定になる。じゃあ、兄弟や家族に霊力が無くて、霊力のある者が一人ならどうなるか」
「え……霊力が、偏る……?」
「正解」
 
 景光は、いったい何の話が始まったかと怪訝な顔だが、俺の議題に応えてくれた。
 俺は歪んだ笑みを浮かべる。
 
「久我家は、この法則を利用したんだ。わざと中途半端な霊力を持つ家族に、霊力を削ぐ手術を代々施した。その結果、特定の人物が強大な霊力を持つようになった」
 
 残酷な話だ。
 恵まれた霊力は、神様のサービスなんかじゃない。人工的に作られた才能。優れた者だけを残す、取捨選択の結果だったのだから。
 
「アマテラス、スサノオ、ツクヨミ……起動にとんでもない霊力を擁する機体だ。これらを久我家が維持し続けるためには、必ず一人は強大な霊力を持っていなければいけない。計画的な古神操縦者の生産が必要だ」
「……」
「さらに言えば、久我家は代々、古神と同調率を最大に上げる技を、霊的な方法で引き継ぐ。その結果、久我家の古神操縦者は、例外なく早死だ。爺になるまで生きて、大往生した例はない」
 
 景光の顔色がどんどん悪くなる。
 少し申し訳なく思いながら、俺は続けた。
 
「俺のご先祖様は戦いに生き、戦いに死んでいった。古神操縦者としての生き方以外は、許されない。久我家に生まれた以上、受け継いできた責務があるから……さて。名家の生まれが何だって? 恵まれているんだっけ?」
 
 何も言えない様子の景光に、最後通牒を言い渡す。
 
「恵まれてるって、なんだろうな。俺は時々、分からなくなるよ」
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