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第48話 旅の始まり

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◆◆◆◆◆

五月の連休を避けたとはいえ、観光シーズンということもあり函館空港は結構賑わっていた。僕は喧騒の中、ガイドブックと計画表を取り出す。

映画『深海の森』のロケは、函館と大沼公園で行われた。

原作の小説では、兄妹は違った場所に旅行に行っている。僕が描いた漫画も原作ベースの為、別の場所に取材旅行に行った。なので、函館は初めて。

「確か・・映画の中で、兄妹は函館市内を観光していたよな?」

兄さんがそう言いながら、僕の手元のガイドブックを覗き込む。

「兄さん、映画を観てくれたの?」

僕が視線を移してそう聞くと、兄さんは苦笑いを浮かべた。

「一人で映画館に行ったら、周りが恋人同士だらけで冷や汗ものだった」

「それなら、僕を誘ってくれたらよかったのに」

僕がそう応じると、兄さんは顔を顰めて言い返す。

「兄弟で・・というか、男同士で恋愛映画を見ていると周囲から浮くだろ」

「そう?でも、僕は和樹と一緒に映画見たけど?」

「オタクって人種は、周囲を気にしない生き物だからな・・」

「兄さん、それは偏見です!」

僕はガイドブックを閉じると、不貞腐れながら歩きだす。そんな僕の後を兄さんが笑顔で続く。

「拗ねるなって、正美」

「拗ねてないよ。兄さんのオタクへの差別発言には慣れてるからね!」

「なんだ、やっぱり拗ねてるな?機嫌直せよ。せっかくの旅なんだから」

兄さんがふわりと僕の肩を抱き寄せ耳元で囁く。僕はどきりとして、兄さんの顔を見つめようとした。すると、兄さんはあっさりと身を離して僕の横を歩く。

そうだった。

この旅が終われば、兄さんは東京に行くんだった。たとえ一年という期限付きでも、常に傍で生活してきた僕たちにとっては大きな変化だ。

旅を楽しみたい。
そして・・

「兄さん、とりあえず函館観光!!」
「ああ、そうだな」

僕の声に兄さんが優しく頷く。僕も微笑み返していた。


◇◇◇


タクシーで函館市内に移動すると、僕たちは映画の主人公たちのようにレトロな風情の市電に乗った。

路面電車に乗る機会はめったにないので、珍しくてきょろきょろしてしまった。ガタンガタンと揺られながら、初めて見る街を車窓から眺め旅情気分を満喫する。

電停十字街に着くと、僕たちは市電を降りて街を散策した。映画で見たままの異国情緒漂う石畳。その石畳の坂道を歩いて登っていくと、教会が見えてきた。

「綺麗だな・・」

兄さんの声につられて、僕も青空に映える白亜の教会を見上げた。青々とした木々の葉が風に揺れる。

「映画を見たときも思ったけど、神戸の街にちょっと似ているね?」

僕がそう言うと兄さんも笑って頷く。

「ああ、そうだな。一度だけ、正美と二人で神戸の散策に行ったよな?」

「うん、大分前だけどね」

兄さんと一緒に神戸の町を散策したのは、何時の頃だったかな?まだ兄さんが結婚する前だったなと思い出し、懐かしい気分になった。

さらに坂を登り八幡坂に向かう。映画の中の兄妹は、この坂で後ろを振り返りその眺望に感動して見入っていたっけ。

僕と兄さんは顔を見合わせて、二人同時に背後を振り返った。

「うわぁーーー!!」

僕たちは同時に叫んでいた。まっすぐに延びた坂の先に、きらきらと青く輝く函館の海が広がっていた。

「圧巻!」

兄さんが映画の主人公と同じ言葉を使ったので、僕は笑い出していた。いつの間にか、僕は兄さんの方に身を寄せていて互いの肩が触れ合う。

「すごく綺麗・・」

僕たち兄弟は映画の主人公になった気分で、青い海を見つめていた。

綺麗な景色が、僕たちの日常を忘れさせてくれたらどんなにいいだろう。

辛い事、悲しい事、多すぎる一年だった。いや・・一年だけじゃない。あの父親と母親の元に生まれたその日から、辛い人生が始まった。

父親の暴力。母親の駆け落ち。強要された兄弟のセックス。無理やり大人に奪われた体。

散々な人生だった。

それでも、僕たちは生きている。支えあって生きてきた。いい出逢いもあった。

兄さんは、はるかさんに出逢った。
僕は、和樹に出逢った。

このまま、穏やかに人生を送れたらよかったのに。神様はどうしてこんなに残酷なんだろう。懸命に登った坂を、あっという間に転がり落ちてしまった。兄さんの大切なはるかさんは、要くんに刺されて死んでしまった。その要くんも死んだ。

酷いよ、神様。

「正美?」

不意に兄さんに呼ばれる。そして、自身が景色を見ながら涙ぐんでいる事に気が付いた。僕は慌てて涙を拭う。

「け、景色・・綺麗すぎだよ!!感動しちゃった」

僕の言葉に兄さんが微笑み、こつんと僕の頭を小突いた。

「乙女か、お前は・・呆れた」
「漫画家は、感動生物なんだよ」

僕はわけのわからない言い訳をしながら、さらに坂道を登りだす。兄さんの笑い声が背後から聞こえ、僕は少し安堵していた。

朗らかに笑う兄さん。

ねえ・・きっと、またどん底から僕たちは坂を登っていけるよね?兄さんは登ってくれるよね?どんなにきつい坂でも。どんなに苦しくても。

「おい、正美。どこまで坂を登るんだ?この先にも観光地があるのか?」

兄さんの声に僕は振り向く。

「登ってよ、兄さん。僕の為に!」
「なんだよ、それ?」

兄さんは呆れて僕を見つめる。だが、すぐに笑みを浮かべて笑った。

「とにかく、休憩くらいさせろ。喉が渇いた、正美」

兄さんの提案に、僕も頷いていた。

「そうだね。たまには休息も必要だね・・人生においては」

「お前は哲学者か?」
「漫画家です」

僕たちは軽口を言い合いながら、周囲でカフェを探した。だが、周りには見当たらず、仕方なく元きた道を歩き出す。休憩を挟みながら、たっぷりと函館を観光した僕たちは、夕暮れ時に市内のホテルにチェックインした。

少し前まで兄さんと情交を交わしていた事を思うと、同じ部屋はなんとなく落ち着かなかった。それでも僕たちは疲れていたのか、夕食を食べると部屋に戻りすぐに各々のベットに沈んでしまった。

映画では、兄妹で函館山に夜景を見に行くシーンがあったが、僕たちはそのまま眠ることにした。明日行く大沼国定公園の観光パンフを見ていると、睡魔がやってくる。

明日は・・晴れるだろうか?

そんな事を考えながら、僕は眠りに落ちていった。


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