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天国にいる母さんへ。

予定通り今日、日の出とともに俺は榊家を出発しました。
そうそう。まだ薄暗く肌寒い時間だというのにお父様が見送りに来てくださいました。

【榊の人間として 名に恥じぬ働きをするよう心掛けよ】

少なくともお父様は俺に期待して下さっている。
そのことが嬉しくて、精一杯「はい!」と明るい返事をして屋敷を後にした。


(頑張らなきゃ!)

俺だって今生がお家の恥として終わるなんて嫌だ。それに天国にいる母さんに合せる顔がない
せめて育ててもらった恩には報いなければ。と意気込み、お父様から預かった地図を開く。

鬼崎真斗きざき まなと様…)

これから俺が仕える主人の名前。
敵や味方にまで"青鬼"と恐れられた元陸軍大将を父に持ち、真斗様も小隊の指揮を執る若き軍人だという。
社交の場が好きではないらしく人柄についての情報はあまり得られなかったけれど…


大丈夫、…為せば成る、だ。
ぎゅっと母さんの簪に触れれば、不思議と詰まりかけてた息がしやすくなる。

向かっている先が例え鬼の住処だったとしても耐えてみせる。それに人生は悪いことが起こるばかりじゃない。
いつしか喜びに変わる日が来る。



そう信じてひたすら前へと足を動かした。




*  *  *





「嘘、だろ…」

思わず手荷物を落としそうになったので酷く慌てた。

俺の目の前にあるのは本や絵などではない、初めて見る異国の館だった。入り口は侵入者を許さないよう高い塀と立派な門に囲われ、まだ屋外にいるはずなのにピンと張り詰めた空気が漂っていた…。

俺、本当にここで働くのか!?



「君。うちになにか?」

しまった! ウロウロしすぎて不審者と見なされてしまったのだろう。
後ろからかけられた声に「すみません!」と過剰なまでに反応してしまった。

「えっ、貴方は…鬼崎藍之助きざき あいのすけ様!?」

元陸軍大将。
数十年前。異国との戦いでは最前線の指揮を執り、容赦のなさから身内からも名前をもじった"青鬼"と呼ばれるほどの働きぶりを見せた。まさにその人だった。

「あぁ、君は榊家の末息子か。久しぶりだねぇ」
「えっ!もしかして私を覚えて…!?」
「まだ日も浅いからね。来てくれた客人くらい覚えてるよ」

藍之助様は先月50歳の誕生日を迎え、その日は貴族階級問わず様々な家柄の人間を招くという異例かつ超大胆なパーティーを開いた。
俺は、そのパーティーに婚約者だった高橋様とともに参加した。ただ隅っこで愛想笑いを浮かべていることしか出来なかった俺の存在などを、まさか覚えてらっしゃるなんて…。

「凄いです…!一体どうすれば覚えられるんですか!?」
「うんうん。もっと褒めてくれていいんだよ」
「パーティー会場も素敵なお屋敷でしたが、ここが鬼崎様の本宅ですか?」
「はは。元々はそうだったんだが、ここは街からはうんと遠くてずーっと坂道だろう?じじぃにはキツくて今は馬鹿息子が住んでるよ」
「ば……ッ!?」

危ない危ない!!危うくご子息、真斗様を馬鹿息子などと罵ってしまう所だった!!
藍之助様は足を怪我したせいで軍人を引退したと聞いたけれど……随分と優しく柔らかい口調で接してくれる。つられて気が抜けないようしっかりしなきゃ!

「それで君が、」
「す、すみません!改めてご挨拶させていただきます。本日より榊家から奉公しにやって参りました、榊雪路さかき ゆきじと申します。不束者ですが宜しくお願いいたします」


「んん~~~~~…、なんて?」


――――!?
途端、すーっと冷えた表情に体が凍り付いた。

なにか間違えてしまったのだろうか
それとも俺が奉公しに来ることを藍之助様がご存知ないだけなのか…

だ、大丈夫だ!!お父様のサインと印が押された紹介状が封筒に入っていた!
違うんです!ほんっとうに俺は怪しい者じゃないんです!
そんなあたふたする俺を無視するかのように屋敷の門は開かれた。


「どうぞ。詳しい話しは、わしの馬鹿息子から聞きなさい」
「お……お邪魔します」

震えそうになる声を押さえつつ敷地に足を踏み入れた。






(………す、凄い)

美しすぎる庭園。
いや。それもだけれど、杖をついて歩いている藍之助様に追いつけない!!
せめて隣に行きたいのにずっと背中ばかり見ている。
俺だって日々畑仕事くらいやってたはずなのに、さすが軍人上がりと褒めるべきか否か…。


「真斗!!真斗はどこだ!!」

乱暴に玄関の扉を開けるとご子息様の名前を、なぜか厳しい声で連呼される藍之助様。

っていうか、待ってください土足です!!
床には絨毯が敷かれている。こんな場所に靴で上がるなんて叱られてしまう!!

「藍の、」
「なんだ父さん。騒々しい」

どこで脱げばいいのか分からない履き物を慌てて手に持つと、奥の部屋から一人の男が姿を見せた。
そして、その顔を見て再び俺は固まってしまった。

「え、…あ…・」
「雪路さん紹介しましょう。これがわしの息子、鬼崎真斗です」

すみません……俺はご子息様を知っているどころか……。

けれど真斗様は俺をじっと見ている。
これはきっと覚えていない、または黙っていろということなんだろう…。


「はじめまして、榊雪路と申します。掃除でも畑でもなんでも与えられた仕事は一生懸命やります。これからどうぞよろしくお願いいたします」


身に着いた習慣とは有り難い。
発言するよりも先に床に跪き、目の前にいる旦那様方に深い礼をすることができた。

「……?」

きちんと挨拶はできたはず。
けれど、何かダメだったのだろう?
お二人とも何も言わず、シンッとした冷えた空気が流れた。

「どういうことだ?」
「遠路はるばる、うちに奉公しに来たって」
「あ?」

真斗様の氷のように静かな声にひくっと小さく震えそうになった。
まずい。早速俺は何か失敗したらしい。

「……証拠にっ、これは私の父、勘十郎かんじゅうろうからの紹介状です」

懐に仕舞っていた封筒を差しだせば真斗様がそれを受け取り中身の確認をしてくださった。
っ、よかった…。
受け取りを拒否されずに済んだことに少しだけ安堵した。

「雪路さん、いつまでもそんな恰好をしなくていい。どうぞ腰を上げて」
「え、でも……」
「わしらは家族も同然じゃろ?」

藍之助様の、労わるような笑顔に目を丸くしてしまった。
家族?たかが奉公人風情に、なんて温かい言葉をかけてくださるのか…。

「榊雪路。一つだけ訂正してもらうことがある」
「は、はい!」

一つと言わず何個でもどうぞ!
書類の確認が終わったのか、やや眉間に皺を寄せたままの真斗様と視線が合う。



「榊雪路は奉公人などではない。榊勘十郎が俺に寄越した、俺の婚約者だ」



…………はい??


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