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本編

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 お父様のお言葉は、僕が全国民へと、間違いなく伝えた。その甲斐あってか、あの不名誉な噂をする者は消滅し、運動施設の利用率も回復した。回復どころか、困ってしまうくらいの盛況ぶり。安心して子供を任せられると認識してくれたのだろう。……お父様に、改めて感謝をした。

 僕、本当にこの人の息子で良かったと思う。









 そんな中、一人だけ、変わらない人がいた。

「グロリアス様。まぁ、お久しぶりですわ!」

 ジョスリン殿下だ。ウィンストン城で開かれた夜会で、ジョスリン殿下はご自身の凹凸のある体付きを際立たせる、黒と赤の女王のようなドレスを纏っており、学生たち、皆の注目を一身に集めていた。

 そんな妖艶なジョスリン殿下は、色っぽい微笑みをグロリアスに向ける。焦げ付いてシミになりそうなくらい、集中して向けている。しかし、ぱっと僕を見た視線は、凍えるような温度へと切り替わった。

「あの……?どうしてまだ、この方がいらっしゃいますの?いやですわ、ここ、なんだかとても、下品な匂いがしますもの」

 心配ですの、とでも言うかのように、華奢な肩を縮めて、グロリアスへ近付いている。
 もう、本当に分かりやすいお人だ。これでは、市井に流した噂の出所は自分だと言っているようなものなのに。

「グロリアス様、こちらに。貴方様ほどの方は、我慢をする必要なんてありません。ええ、わたくしを見てください。きちんと、清い身を保っておりますわ」
「君の鼻が正常に働いているとは到底思えないが、どうやら頭も同じようだな」

 グロリアスは笑った。人を見下し、嘲笑うように。
 残念なことに、グロリアスの嫌味は、ジョスリン殿下には通じなかったらしい。ふうん?と小首を傾げ、あっさりと流している。

「まぁ、心配をして下さっていますの?お優しいのね」
「……はぁ、わからないなら結構。それで?何が言いたいので?」

「……グロリアス様。やっと、分かって下さいましたの。うふふ、わたくしと、ぜひ、踊ってもらえません?まさか、このわたくしに恥をかかせたりなんて……」

「生憎、俺の両手は伴侶を抱きしめるのに忙しい。他を当たってもらえるだろうか」
「なっ……」

「ジョスリン殿下!こちらにいらしたのですね。ぜひ私に、貴女と踊る権利を下さいませんか?」

 割って入ってきたのは、ディオンだった。良いタイミングだ。グロリアスに断られたジョスリン殿下だったが、それに何か文句を言う前に、ディオンに答えるのが筋だ。それはジョスリン殿下でも、分かっていたららしい。

「……それでしたら、ぜひ。お願いいたしますわ」

 少し不機嫌そうに、ディオンにエスコートされる皇女殿下。ディオンはすれ違いざま、ウィンクをしてきた。きっと今のうちに離れろということだろう。ありがと、ディオン。





「はぁ、やはり夜会は鬱陶しい。いくら囮になるとはいえ……」
「そうだね、グロリアス。本当にあの人は、グロリアスしか視界に入っていないみたいだったね……」

 細いグラスを指でもて遊びながら、囁き合う。
 久しく夜会など行っていなかった。ジョスリン殿下が来てから、お父様は『王子ディオンの婚約者を探すため』という建前で、実のところ『ジョスリン殿下の気を逸らすため』に夜会を定期的に開いている。だから今日は別に、特別な夜会ではない。


 でも、今回はジョスリン殿下からしつこくしつこく参加するよう言われ、ここにいる。


 そのしつこさたるや、学園でも手紙を書き続けているのではないかと心配になる程。留学に来た割に、成績は中の下であることがいい証拠だった。

 お父様の付けたご令嬢たちを振り払い、グロリアスに似たような背格好の男子生徒としょっちゅう一緒にいるという目撃談も、相次いで聞いている。ディオンがやんわり注意をしているものの、『グロリアス様を連れてきてから仰って』と、ほとんど聞く耳を持たないのだとか。

 数々の手紙を寄越されてブチ切れたグロリアスが、それだけ言うなら行ってやると、出ることにしたのだ。絶対になにかしてくるだろうから、囮になってやる、と。血の気の多いグロリアスも、それはそれで格好良いけれど、もちろん一人で参加させる訳にはいかないから無理やりついてきた。

「今の所、怪しい人はいなさそうだ……」
「ウィンストン城での開催だよ、早々いないはず。でも、皇女殿下の連れてきた侍女や侍従たちも多く働いているから、何か受け取る時は気をつけないと」

 と言っている間に、給仕がシャンパンのおかわりを持ってきた。僕は自宅以外でお酒は飲まないから、断ろうとしたのだけど。

「こちら、非常に度数の低いシャンパンです。ぜひご賞味を」

 と勧めてくるものだから、グロリアスが取ってしまった。

「なに、そんなものが売っているのか?興味深い。君は飲んだか?」
「え?わ、私ですか?いいえ、私などただの給仕ですから、このような高価なものはーーーー」
「そうか。悪かったね、意地悪をして。行っていいよ」

 グロリアスが少し会話をすると、その給仕は逃げるようにして出て行った。その少し後ろを、小さな蛇が追跡していく。


「……それ、どうするつもり?」
「もちろん、飲むよ?」

「絶対やめておいたほうが良いって!何があるか分からないじゃないか」
「竜化スキルがあるから、毒物は相当な濃度でないと効かないよ、俺には。竜を即死させる薬なんて存在しないでしょう?むしろ、ちょっと興味がある」

「ばっ、ばかだ……っ」

 止める間もなく、グロリアスはぐい、と飲む。舌の上で転がし、『薄ッ』と文句を言いながら、一杯全部を飲み干してしまった。

「あーもう……、どう?どんな感じ?」
「今の所、特には。元々シオン用に用意していたみたいだからな、そこまで濃度は……ほう?」

 グロリアスはにや、と笑って、自身の体の変化を楽しんでいるようだ。それを見ている僕としてはハラハラしっぱなしなの。本当趣味が悪い!
 ほんの少し頬を赤らめたグロリアスが、襟元を寛げた。うわ。色気がやっばい。近くにいた人たちが、男女問わず、ごくりと喉を鳴らしてしまっている。

「ミルヴァン公爵?ちょっと、大丈夫ですか?兄さん、どういうこと?」

 ちょうど一曲踊り終わったディオンが、こちらへ駆けてくる。グロリアスが珍しく、色気をだだ漏れさせているのだ。嫌だな、こんなグロリアスは誰にも見せたくない。

「ちょっと悪酔いしてしまったようだ。ディオンくん、控え室で休ませてもらうよ」
「あ、はい、すぐに用意させます。誰か!」

「僕も行く」
「兄さん、ごめん。ちょっと、話したいことが出来ちゃって」

「……ディオン。それ、今じゃないとだめかな?夫がこんな状態なのに」
「俺なら、大丈夫だ。シオン、すぐに戻る」


 なんでこんな時に!……って、相手は僕の大切な弟だ。緊急事態なのだろうから、苛々しないようにしなくちゃ。

 グロリアスは、ディオンの呼んだ使用人に案内されて会場を出ていく。その背中を息を止めて見送って、僕はバルコニーへと連れ出された。



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