春夏秋冬、花咲く君と僕

えつこ

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第一章:春

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「ごめん、もう見終わった?出ようか?」
「気にしないで、あんたは好きに見てていい」
 椿にそう言われた秀悟だが、隣に居られると落ち着かない。秀悟は椿を盗み見ると、椿と目が合ってしまい、慌てて視線を逸らした。椿の視線を感じつつ、秀悟は恥ずかしさと疑問が湧きあがる。大人を揶揄っているのだろうかと思いながら、秀悟は次々と作品を見ていく。
「この作品は好き?」
 唐突に椿に尋ねられ、秀悟は目の前の作品をじっと見る。大輪の紫の紫陽花が鮮やかに咲き誇っていたが、琴線に触れる作品ではなかった。
「綺麗だと思うけど、好きっていう感じじゃないかな」
「ふぅん」
 聞いておきながら、興味なさげな反応をする椿に、秀悟は拍子抜けする。それならと、秀悟は質問を返す。
「椿くんは、この作品が好き?」
「別に。これはこれでいいと思う。でも、せっかくの紫陽花が重たげに見えるから、空間を作って、葉もので動きを出したほうがいいって思うだけ」
「なるほど……」
 さすが生け花を習っているだけある、と秀悟はただただ感心した。それに、花の話をする椿は生き生きして見え、微笑ましさすら感じる。秀悟は今なら話してくれるかもと思い、さらに質問を続けた。
「椿くんはどうして生け花をやろうと思ったの?」
「……俺にはそれしかなかったから」
 思わぬ答えに、秀悟はまた返す言葉が見当たらなかった。先ほどまでの生き生きとした表情は影を潜め、椿の表情は硬くなってしまう。二人の間に気まずい空気が流れた。
 秀悟は沈黙に耐えられず、自らの話をすることにした。花が好きになったきっかけ、蓉の作品を見て生け花に興味を持ったことなど、秀悟は椿の顔色を伺いながら説明した。最初は興味なさげに話を聞いていた椿だが、蓉の作品の話になった途端、表情が柔らかくなる。
「じゃあ、あんたは蓉の作品を見て、生け花が好きになったってこと?」
 嬉しそうに尋ねてきた椿を不思議に思いながら、秀悟は頷いた。
 四季展の作品だけでなく、外部イベントの蓉の作品は、基本的に椿が生けている。自分の作品で、秀悟が生け花に興味を持ってくれたことが、椿は純粋に嬉しかった。
「そうだ、いいもの見せてやるよ。ついてきて」
 秀悟の返事を聞く前に、椿は展示スペースから飛びだした。百貨店の近くのホテルで、つい先日椿は花を生けたところだった。もちろん蓉名義の作品だが、それを秀悟に見せることを椿は思いついたのだ。
「え、ここはもういいの?」
 気まぐれな猫に振り回されている感覚に、秀悟は自嘲しながらも、椿の後を追いかけた。



 百貨店から徒歩五分程度、海外ブランドショップやジュエリーショップが並ぶ通りに、そのホテルはあった。「蓉が生けた花がある」と椿に説明され、ホテルまでの道中、秀悟の足どりは軽かった。
 ドアマンに出迎えられた二人は、ホテルの中へと入る。煌びやかなエントランスホールを通り抜けると、そこには吹抜けのロビー。ソファやローテーブルが置かれたロビーの中心に、椿が生けた花が飾られていた。秀悟の背丈ほどもある大きな作品は目立ち、行き交う人々が見惚れたり、写真を撮ったりしている。
 紫陽花は白、青、紫、赤とグラデーションになるように配置され、グラデーションに軽やかさとリズムを加えるように赤と白のスモークツリーが顔を覗かせる。夏ハゼとダンチクが青々と葉を茂らせ、全体に瑞々しさと動きを添えていた。爽やかな初夏の風を感じさせる作品に、秀悟は魅了された。蓉の作品としては、当たりだと秀悟は胸が高鳴る。
「すごい……」
 秀悟は自然と感嘆の声を零し、幸せそうに微笑んだ。この表情を見たかったのだと椿は嬉しくなる。先程までの展示会での秀悟の表情は、椿にはどこかつまらなさそうな表情に見えていた。
「気に入った?」
「うん……」
「ふぅん」
 そっけなさに、照れが混じった椿の声色に、秀悟は気づかない。
「俺が生けたんだ」という言葉が飛び出しそうになり、椿は慌てて口を噤む。椿は自分の存在価値をわきまえていたし、バラすことは椿にとってメリットがないことはわかっていた。
 幾分か寂しさを覚えながら、秀悟の表情を見つめる。すると、秀悟の視線は椿へと移動し、二人の視線が交わる。
「ありがとう。椿くんのおかげで素敵な花が見れた」
 秀悟のお礼の言葉に、椿はきゅうっと胸が締め付けられた。
『素敵なお花、ありがとう』
 小さい頃、母の真似をして遊びのように花を生けていた椿を、椿の母は大層喜び、誉めてくれた。それが椿は単純に嬉しかった。懐かしい思い出に浸る椿は、つい表情を綻ばせる。
 そんな顔も見せるんだと、秀悟は椿の表情の変化に驚きながら、微笑ましく椿の顔を見つめた。しかし、すぐに椿は我に返り、表情を引き締めた。
「なに?」
 むっとした表情の椿に対して、ごまかすように秀悟は「お腹空かない?」と尋ねた。すでに正午は過ぎていた。
 椿は展示会を見て帰るつもりだったが、昼食くらい付き合ってやってもいいと思い、小さく頷く。
「椿くんは何が食べたい?」
「何でもいい」
「和洋中なら?」
「あんたに任せる」
 そっけない椿の返答に、秀悟は悩んでしまった。もともと秀悟は決断力が弱く、大抵を相手に委ねることが多い。
若いのだから、がっつり肉料理がいいのだろうか。それともファストフードで手軽に済ませたいのだろうか。もしかしたらもう帰りたいのかもしれない。悩んでも答えが出るはずがないのに、一人悩みこんだ秀悟はお手上げ状態だった。
 一方、椿は食にあまり興味がなく、お腹がいっぱいになればいいというスタンスだった。美味しければいいが、面倒なときは栄養ゼリーなどで済ませてしまうときもある。今は静夏が食事の管理をしているので、何も言わずとも三食用意されるし、メニューはいつも静夏に任せていた。
「ちょっと調べてみるね」
 秀悟はスマホを取り出し、周辺のレストラン情報を検索した。チェーン店から高級店までずらりと並ぶ検索結果に、素早く目を通していく。
 秀悟は手持無沙汰になり、ロビーをぐるりと見まわした。花を生けたときは、宿泊客が少ない時間帯だった。もちろん椿だけでなく、蓉もこの場所に来たが、作業の主体は椿で、蓉は手伝いしかしていない。しかし、周囲には、蓉の指示に従う椿、という構図に見えていただろう。
 ふと、ホテル内のレストランの案内が椿の目に止まる。
「ね、俺、あれがいい」
 とんとん、と椿に肩を叩かれた秀悟はスマホから顔を上げ、椿の指差す先を見た。

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