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第十章 溺愛
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しおりを挟む「え?」
「その日、馨は恋人の高津さんと結婚の報告に那須川さんに会いに行くことになっていたんです。けど、天気が悪くて到着が遅れてしまった。着いた時には、那須川さんは冷たくなっていたそうです」
結婚の報告……。
馨は元カレと結婚するつもりだったのか――。
『私は結婚なんて、しない』
馨は言った。
「高津さんは警察官で、その場を適切に処理してくれたそうです。ただ、その後から二人の関係が上手くいかなくなって、半年ほどして別れたんです。決定打は立波リゾートの社長の椅子でした」
「元カレは警察官を辞められなかった――?」
「そうです」と言って、頷く。
「馨は高津さんが交番勤務から警察署勤務になって、希望部署に配属されるように頑張っているのを見てきたんです。署長賞を貰った高津さんにプロポーズされて、本当に嬉しそうだった。だから、高津さんから天職を奪うようなことは出来なかったし、幼い妹を捨てるような真似も出来なかったんだと思います」
「そういうことか……」
ずっと、不思議だった。
馨か桜の夫が次期社長になるなんて、法的には何の効力もない。嫌だと言ってしまえば済む話だ。血の繋がりがないのだから、籍を抜くという手もある。
だが、そうすると馨は高校生の妹の保護者になり、生活の面倒を見る必要がある。当然、学費の支払いも生じる。
「母親は派手好きで浪費家だったと言っていたな」
「そうみたいです。桜ちゃんの父親の遺産をあっと言う間に使い果たし、亡くなった時は財産なんてなかったそうです。那須川さんの財産は一部を除いては会社名義になっていたらしくて、馨と桜ちゃんに遺されたのは定期型の保険金だけでした。しかも、未成年の桜ちゃんの財産の管理を任されたのは馨ではなくて、立波リゾートの社長である伯父だった。桜ちゃんは当時、超がつくエスカレーター式のセレブ校に通っていて、伯父さんを頼らなければその生活の維持は不可能だった」
「妹の変わらぬ生活と引き換えに、立波リゾートの行く末を背負わされたってわけか」
いつの間にか前のめりになって平内の話に聞き入っていた。背筋を伸ばし、椅子の背にもたれる。
「はい。その結果、桜ちゃんは苦労知らず、世間知らずのお嬢様に育ち、馨は高津さんと別れて黛に狙われるハメになった」
「なるほど……な」
「私が知っているのはここまでです。けど、まだ何かあるようです」
「何か、とは?」
「わかりません。でも、きっと馨は私にも言えない何かを抱えていると思います」
黛を殺したい理由を聞いた時、俺は『全部話せ』と言ったが、馨は話さなかった。
やはり、弱みでも握られているか――?
そもそも、財産目当てで妹に近づいた男を『殺したい』などと言うこと自体、尋常じゃない。
「部長、お願いします。馨を幸せにしてあげてください。立波の社長とか、黛のこととか、この結婚が普通と違うことはわかってます。だけど――」
「普通だよ」
「え?」
「全部後付けだ。俺が馨に惚れて、結婚したいと思った。どこにでもある、普通の結婚だ」
安心したように微笑んだ平内の目に、涙が光ったような気がした。
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