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二章 婚約式

15:巻き角の山羊と蒼炎の花

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 『竜の背』と呼ばれる雪山に入って三日目。吹雪が比較的おさまってきたこともあり、四人と三匹は滞在していた洞窟を出て、目的地までのルートを進んで行く。

 相変わらずアメリアは防寒着を着込み、保温のための装備で、自立が難しいほどの装いだった。ほぼ荷物と変わらない彼女の腰には太いベルトが巻かれ、うしろでクィーンの手綱を引くオリオンと繋がっている。視界不良の中、落ちれば命が危うい状況だが、アメリアは落ちついていた。ベルトと共に腰に回ったたくましい腕と、着膨れた身でも背中越しに感じる大きな存在を前に、不安はない。

 体感にして一時間ほど白の世界を進んだ。もっとも、体内時計が狂いに狂っているアメリアの体感に信頼性はなかった。本当は一時間よりも長いかもしれないし、二、三十分のことかもしれない。

「……え?」

 アメリアは思わず声を漏らした。

 猛烈な吹雪があっと言う間におさまったのだ。完全に雪がやんだわけではないが、降雪量が大幅に変わった。目を動かして周囲を見れば、向こう側――彼女たちが今来たほうは先が見えないほど吹雪いている。どうやらこの一帯だけ様相が違うようだった。

「驚いているようだのう」
「これは……どうなっているのですか?」

 飛行中で風はあるが、明らかに弱くなっている。オリオンの声が聞こえ、アメリアも口を開いてやや張った声で問いかけた。

「この一帯は地形柄、凪いでおるのよ。このまま凪の中を進み、時を待つ。蒼炎の花が咲き乱れるのは夜だ。採取したのち、凪の中で夜を明かして、洞窟へ戻る」
「凪の中は安全なのですか?」
「さて、なんと答えるべきやら……うむ、飛竜がいれば安全だ。しかし、いなければ危険な場所だと言わざるを得ない。この辺りには獣が多いからのう」
「獣……あ、三ツ目狼ですか?」

 以前オリオンに聞いた話を思い出す。彼は、蒼炎の花が生息している周辺には、三つの目を持つ狼がいるのだと言っていた。その後、本の挿絵で見た三ツ目狼は、その名の通り三つの目を持つ狼だった。ボサボサの毛並みで、目は血走り、歪な牙の間から涎を垂らした姿が、醜く、凶悪そうな風貌で描かれていたのを覚えている。

「いかにも。吹雪から凪まで逃れてきた獣を捕食する獣もまた、この場所へと集まってきているのだ。決してクィーンから離れてはならぬぞ」
「そうします。そもそも、不測の事態が起きて転がるなんてことでもなければ、ひとりでは動けません」
「ははっ、それもそうか」
「笑いごとではないです……」
「すまん、すまん。いざという時は私が抱えて対処しよう」

 そうしてもらわなければ、ひとりでは対処できない。もし雪山でひとり放置でもされたりしたら、ロクに足掻くこともできないまま命を落とすであろうという自覚はある。

 吹雪が落ちついたからか、クィーンたち竜は飛ぶ速度を上げた。高度を保ったまま翼で空気を叩き、風を切ってぐんぐん進んで行く。

 視界が良好になったからか、雪の積もった山の光景を観察することができた。薄暗い山の明かりの中でもわかる、ゴツゴツした暗い色合いの岩肌と、真っ白な雪のコントラスト。太陽が当たっていたら、よりくっきりとした景色になっていただろう。

 切り出した岩場に生き物が見えた。立派な巻いた角を持つ山羊のような獣だ。白い毛並みは保護色か。一瞬だったため、細かいところまでは見えない。

(バラリオス城に戻ったら、本を探してみようかしら)

 そんなことを考えながらも、アメリアの目は忙しく動いて周囲の景色を映して、頭に記憶していった。たまに呼吸をするのを忘れた。するとその度にオリオンが、身体を支えるために後ろから回してくれている手で、トンと、軽く腹部を打って呼吸を促してくれる。

 やがてクィーンたちが下降をはじめた。まだ凪の中だが、どうやら目標地点に到着したらしい。

 周囲には崖があり、そこは開けた岩場になっている。辺りはもう暗くなりつつあった。オリオンたちは慣れた手つきで素早くテントを張っていく。真っ白な雪の中で目立つためにだろう。雪山に強い獣の皮などで作られたテントは、明るい色に着色されていた。

「夜になるまでここで休息を取る。そのぐるぐる巻きの防寒も少しは減らせるぞ」
「いいのですか?」
「うむ。群生地も凪の中だ。俊敏に動けはせぬだろうが、自立して歩くくらいにはなれるだろう。もっとも雪の上は歩きにくい。転ばぬように気を付けなければな」

 おそらく転ぶだろうと思いながらも、アメリアは「そうですね」と頷いた。

 その後、アメリアとオリオンは先にテントに入った。思いのほか外気が遮断されており、防寒具をいくらか外しても凍えるほどの寒さは感じない。中で時間が経つのを待つ間、今日目にした景色をスケッチブックに残していく。

「ほう、角を巻いた山羊がいたのか。よく見つけたものだな」
「あまりしっかりは見えませんでした。ぼんやりとした造形しかわかりません……」
「飛行中とはいえ、最上位の捕食者である竜の前に姿を現すのが珍しい生き物だ。昔は『竜の背』にいる山羊の巻いた角を家に飾ると、病が癒えると言われていた」
「北の辺境領の迷信ですか?」
「それがどうやら、治った者もいるようだぞ。病は気からと言うしのう」
「それは……?」
「誰かが自分のために危険を冒して竜の背に入ろうとしていれば、そこへ行かせたくなくて、是が非でも病を治そうと思うだろう。すべての患者が助かるわけではないが病との向き合い方を変え、助かった者もいる。そういう話だ」

 アメリアのことを、よほど良く見ているのだろう。オリオンが話しかけてくるタイミングは絶妙だ。ひとつ描き終わり、集中が切れ始めた頃に、それとなく話しかけられる。

 彼との会話と絵を描く作業を交互に行っているうちに、外に残っていたエリックとヴァネッサが、起こした火で温かい飲み物と食べ物を用意してくれた。飲み、食べ、身体の内側から温める。

「………………」
「おい。入口を塞ぐな」
「……わかってるわよ」

 食事を終えてすぐ、絵を描き、オリオンと会話をし、また絵を描く。ただそれだけを繰り返していると、時間はあっと言う間に過ぎていった――。

 テントの外に出ると周囲は暗くなっていた。火を灯したカンテラをふたりの騎士が持って、足元を照らしている。雪は降っているが、なんとか動ける程度の服装で問題なさそうだ。

「アメリア嬢」

 オリオンが崖の上を指差した。

「あの上で咲いているのですか?」
「ああ」

 彼が頷く。どうやら蒼炎の花の群生地はすぐ近くにあるらしい。ならば明るい内に一度見に行っても良かったのではないだろうか。テントの中にいた時間が、急にもったいなく思えてきた。

「そのような顔をするでない」
「……はい?」
「黙っていたのは謝ろう。しかし場所を知っていれば、そなたはあの崖を登りたいと言い、寒空の中で絵を描き始めたはず……手を動かすには、防寒具を減らさねばならない。その状態で外にいれば、凍死も免れぬ」

 何を不満に思っているのかも、もし情報を得ていたらどういう行動を取っていたのかも、すべて予測されていた。宥めるように言うオリオンに、アメリアは「すみません……」と小声で謝罪する。

「そなたが謝る必要はない」

 そう言うと、オリオンはアメリアに手袋に包まれた手の平を差し出した。

「それよりも、早く崖の上へ参ろう。そなたに蒼炎の花を見せてやりたい」
「はい。わたしも早くみたいです」

 アメリアは厚手の手袋で丸くなった手を重ねた。

 飛竜に乗れば高い崖の上にも一瞬で到達できる。クィーンは力強く白い翼をはためかせ、夜の空へ向かって飛んだ。急激な上昇にアメリアは防寒具の下で歯を噛み締める。思わず目を閉じてしまった。

 が、すぐに目を開ける。

 クィーンはすでに崖の上だ。

 目の前の光景にアメリアは――

「え」

 困惑の声を漏らした。

 クィーンが地面に着地する。アメリアは首を動かして、後ろのオリオンを振り返った。

「オリオン様」
「ん?」
「真っ暗で何も見えません」
「ははっ、そうだな」
「笑いごとではなく! 蒼炎の花は!?」

 蒼炎の花を見るために、ここまで来たのだ。暖炉の前でオリオンに話を聞き、想像した美しい光景のためだけに、生活の改善も飛竜に乗る訓練もして、多くの時間を費やしてきた。

(それなのにこんな……!)

 自然と声を荒げてしまう。オリオンに対して、ここまで激しい感情を向けるのは初めてだ。それが無礼にあたると考える余裕すらなかった。

 しかし、そんな感情をぶつけられている張本人は、穏やかな――それも、どこか嬉しそうな顔でアメリアを見つめている。

「アメリア嬢は巻いた角の山羊を見たのだろう?」
「今、それがなんだと仰るのですか?」
「ならば大丈夫だ。竜の背に生息する、巻いた角の山羊は晴れた日にしか活動せぬからのう」
「は……?」
「エリック、ヴァネッサ、火を消せ」

 カンテラの火が消えると、辺りは完全に真っ暗闇の中だ。

(いったい、何がどういう――)

 困惑し、理解が追い付かないでいると、不意に天から光が差した――。

 雲の裂け目から、やわらかな光が降ってくる。青白く、丸い、月の明かりだ。欠けることなく天に居る月を見て、オリオンが出発日を決めた理由が月の満ち欠けであると気付いた。

 冷たい風が吹く。

「……――」

 上ばかり向いていた彼女の視界の下で、蒼が揺れるのが見えた。

(燃えている)

 正面を向く。

 クィーンの背から見る光景が一変していた。

 青白い月の明かりが降る中で、雪から顔を出した蒼い花が風に揺れている。ベルを逆さにした形の花は、月光が透けるほど薄い花弁で、触れたら消えてしまいそうな淡さを内包していた。

(蒼炎が揺らいでいるわ)

 アメリアは視界を覆うゴーグルを外す。自分の目で直接見なければいけないと思った。クィーンの背から降りようとして、転げ落ちそうになる。何も言わずにオリオンが支え、一緒に降りてくれた。否、降ろしてくれたと言うべきか。彼女は目の前の光景に心を奪われ、すでに意識はここにない。

「よく咲いていますね。早く採取しましょう。エリック、袋をちょうだい」
「……オリオン様」
「ヴァネッサ、しばし待機だ」

 周囲の声は耳に入らない。

 アメリアは雪原を踏みしめながら、蒼炎の花に近付いていく。

 そこには、いくつもの蒼い炎の揺らぎがあった。雪山の冷たく、厳しく、凍てつくような夜の中、花は雪と月の明かりに抱かれているかのように、静かに咲いている。アメリアはその光景から目が離せない。

 彼女の後ろで竜たちが動いた。蒼炎の花が群生している周りを歩き、警戒しているようだ。狼の遠吠えが響く。一匹ではない。群れのようだ。

「三ツ目狼です。御老公、急いだほうがよろしいかと」

 こうべを垂れるヴァネッサに、エリックも続く。

「飛竜がいる以上、襲ってはこないでしょうが、万が一がないとも限りません。安全を優先なさるなら動くべきだと、具申いたします」
「ふむ……仕方あるまい。なるべくアメリア嬢の視界に入らぬよう、気を配って採取するのだ。良いな?」
「はっ」

 三人が蒼炎の花を採取していくのを、アメリアは視界の端で捉えていた。当然だ。自分が見ている光景の変化に気付かないはずがない。刻一刻と目に見える景色が変わっていっている。

(なんて、もどかしいのかしら)

 今この瞬間、ここにキャンバスがないことが、信じられない。早く描きたい。描けないのなら、すべてを感じておかなければならない。

 アメリアは手袋を外そうとした。丸々とした厚手の手袋をはめたままでは、その手袋を外すのもひと苦労だ。口に咥えて無理に外す。片方外せばもうひとつを外すのは簡単だ。

 彼女はしゃがみ込み、雪に触れた。指先を刺すような冷たさだ。雪の積もった量、その下の地面の感触も記憶する。周囲の様子はもちろん、地面から伸びている蒼炎の花の葉を、茎を、花弁を、顔を近付けて観察した。今いる場所の情報を、ひとつでも多く自分の中に取り込んでいく――。

 どのくらいそうしていたかわからない。気付けばアメリアはオリオンに抱かれてテントへ引き返し、冷たくなった手を温められているところだった。深い器の中にぬるい湯が張られ、その中でオリオンがアメリアの手を揉んでいる。さすがの彼も小言を紡いでいたが、彼女の耳には入ってこない。

「早く、戻りたいわ」

 アメリアは誰にともなく吐露する。早くバラリオス城に戻り、絵を描きたい。その一心から漏れた言葉だ。他のことは何も考えられないし、蒼炎の花の群生地で取り込んだ情報を押し潰すような、他の情報を頭に入れたくない。

「ああ、わかった。最短ルートで帰ろう」

 オリオンの言葉に、アメリアはこくんと頷き、記憶を頭の中に閉じ込めるかのように目を閉じたのだった――。



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