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ぴかぴかの一年生です。

25話:拳は口ほどに物を言う?

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「話し合いにはならなそうだし、いいよね?」

 彼女の問いに「おう」と頷いたのはトムと三馬鹿だった。

 反対に戸惑いの声を上げたのは相対している男子生徒たちだ。不快げに顔を歪めてこちらを睨んでくる。その場の雰囲気が一変した。ヘラヘラと嘲笑を浮かべ『篝火の団』の新入生と団長を下に見ていた彼らの標的が、一歩前に進み出たティリーへ移ったのだ。

 そして、移った標的――ティリー=フェッツナーが見下せる相手ではないと、男子生徒たちはわかったのだろう。性格がどうであれ、騎士科の学生としては優秀なのかもしれない。少なくとも、彼女の傍にいる二名よりは――

 未だに尻もちをついたままのファルコと、何を言われても言葉を返せずにいたミヒャエルは、ティリーの言葉を飲み込めずに目をまたたかせている。その場に流れる空気が変わったことに気付けないでいるのは明白だった。

 ふたりが状況を飲み込むより早く――ティリーが踏み込む。

 そこからは乱闘だ。

 男子生徒たちを蹴り、殴り、投げ飛ばす彼女に、三馬鹿が続く。高笑いを上げながら暴れる四人に対し、当然、彼らは抵抗してきた。しかしティリーたちの相手ではない。まず個人の実力が違う。男子生徒たちは即座に連携を図ってきたが、それは一年生の教本に載っている『お手本』そのままのものだ。対応するのは容易い。

「やりすぎんなよー」

 トムの間延びした応援が届く。

「ああ、わかってる!」

 と、答えたタイロンの巨躯がひとりの生徒を押し潰した。チャールズは「髪が乱れるでしょーが!」と怒鳴りながら頭突きを繰り出し、ツィロは「俺は絶対食らいたくねえな!」と言うのと同時、金的をお見舞いしている。

 ミヒャエルとファルコは唖然としていた。

 そんなふたりを視界に入れることすらせず、彼女は目の前の敵の背後を陣取った。そのまま太い首に腕を回して頸部を圧迫する。角度と力加減を誤らなければ、数秒で意識を刈り取ることができるのだ。藻掻こうとする獲物の身体からふと力が抜けるのを感じて、そのまま放り出す。

 そして次の獲物を強襲した。

 ものの数分で乱闘――あるいはフェッツナー男爵領の人間による蹂躙は終結。放課後の時間に入ってしばらく経つからか、幸運にも周囲に目撃者はいないようだ。四人は慣れた手つきで男子生徒たちを五組の教室へ投げ入れた。

「さてと――」

 ティリーは首を軽く回しながら、ファルコのほうへ近付く。幼い顔立ちの彼は真っ青な顔で震え、大きな目に涙の膜を張っていた。

「ファルコ」
「ひゃっ、い!!」

 彼はわかりやすく噛んだ。

「話がある。ちょっと顔貸して」
「……っ、はははははい!!」

 ついにファルコの涙の膜が決壊する。大きな目から、大きな涙の粒がぽろぽろこぼれ落ちていく。だがティリー=フェッツナーと愉快な仲間たちは、それで心を動かされるような人間ではない。

「よーし、行くぞ!」
「団室クソ狭いし、中庭か? 裏庭か?」
「食堂でいいだろ? メシ食いながら話そうぜ!」

 ファルコとクラスメートであるツィロが、泣いている彼の首根っこを掴んで立ち上がらせる。そのまま肩を組むように歩き出し、タイロンとチャールズが続いた。

 トムとティリーもそのあとに続き――不意に、足を止めた。

「そうだ」

 ティリーは振り返り、ミヒャエルと向かい合う。彼は前に進もうと足を上げたところだった。なんの考えもなく同行しようとしているらしい。そんな彼の行く手を遮るように、彼女は静かに目を細める。

「あなたはここまででいいよ」
「え?」
「指輪狩りは新入生の――わたしたちの戦いだから。あなたはお呼びじゃない。それに、これまで動かなかった口を今さら動かす必要もないと思うけど」
「っ……」

 言葉を選ぶことなく拒絶した。そこに敵意は込めていないが、ミヒャエルが息を呑んだのがわかる。まさかここで置いて行かれると思っていなかったのだろう。

 しばし黙って見つめていたが、ミヒャエルは固まったまま口を閉ざしていた。その反応に彼女も、隣にいたトムも溜め息をつく。

「なあ、団長さん。さっきあんたは何もする気がなかった。だろ? だったら今になって口出しすんなって、まあ、こいつにしては穏便に言ってんだよ」
「た、確かに、彼らには何も言い返せなかったけど、それは……力の差があるって、わかってたからだよ。どうにかして、話し合いで治められればって――」
「そりゃ無理ってもんだぜ?」

 トムが鼻で笑った。

「話し合いや交渉ってのは、互いに話す気がないと始まらねえ。相手には話す価値がねえと馬鹿にしてるヤツと、逃げる気力もないくらい震えてるヤツと、完全に言葉なくしちまったヤツが、何をどうすれば対話なんてできんだよ?」
「それは……」
「団長さんやファルコは、こいつが飛び出して行ったのを『なんで?』って顔で見て、驚いてたよな? でも俺やあいつらは、当然だと思った。対話する気なんてないヤツらが相手なら、無視するか、力で制圧するしかねえだろ?」
「………………」

 いよいよミヒャエルは何も言えなくなっている。そんな団長を冷ややかな目で見るトムに、ティリーはやれやれとばかりに赤い髪を掻いた。

 いずれ女男爵の補佐になるために、トムは『武』よりも『文』に重きを置く道を進んでいる。だがやはり、これまで彼の中に蓄積してきたものは、そう簡単に捨てられないのだろう。

 例えば、誰よりも先に獲物に牙を立てようとするところ。

 例えば、ほんのわずかでもティリーの邪魔をしようとする者を冷たい目で見据えるところ。

 髪を掻くのをやめて、ティリーは張り詰めさせていた空気を、緩めた。彼女はべつに、ミヒャエル=エンデが嫌いではない。敵対する気もなく、少なくとも同じ団にいる以上、薄っすらとした同盟意識くらいはあるのだ。

 ティリーはミヒャエルを助けることにした。

「トム、行くよ」
「……おー」

 今度こそミヒャエルに背を向けて、ティリーはもう姿が見えなくなった三馬鹿とファルコを追う。振り返らなくても、トムがついてくるのがわかった。同時に、ミヒャエルがついてこないのも。

 夕日が差し込む廊下を進む。

 しばらく進んでいる内に、トムが隣に並んだ。

「いじめすぎだよ」
「ん?」
「あの人のこと」
「今度から気をつける」
「だといいけど。少なくともね、敵じゃないんだよ」
「わかってるって」

 彼がそう言うのなら、そうなのだろう。それ以上、追及はしなかった。

 三馬鹿とファルコを追って最初に向かったのは、食堂だ。

 タイロン、チャールズ、ツィロの三人の意見が分かれた時、最終的に意見を通すのはタイロンである。正確に言えば、優先されるのは彼の食欲、だ。空腹時の彼は役に立たないどころか、苛立ちや悲しみを周囲に撒き散らす。体格が立派な分、対処は非常に面倒で、できれば避けたいというのが共通認識だ。

 先ほどタイロンが空腹を訴えて食堂を希望していたのは聞こえていた。そのためふたりは真っ直ぐ食堂へ足を運び――大きなテーブルに忙しく料理を運ぶタイロンと、席につくチャールズ、ツィロ、ファルコを見つけたのである。

 ふたりは彼らのいる席に近付く。大事な話をするという意識はあったようで、テーブルは一番端の壁際にあった。

 ティリーが傍らに来ると、肩を縮こまらせていたファルコが震えはじめる。ブツブツと「ティリー=フェッツナー……赤狼の……」と呟いているのを見る限り、すでに三馬鹿が簡単な自己紹介を終えているようだ。

「よし。じゃあ、はじめようか」

 空いていたファルコの隣の椅子に腰かける。声にならない小さな悲鳴が聞こえた。





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