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しおりを挟む「理仁先輩、今日の仕事終わりに一杯どうです? 沢山迷惑お掛けしちゃったんで、ご馳走させて下さい!」
「ええ……、今日かよ?」
週の真ん中は過ぎたとは言え、まだ木曜日だ。
まだ明日ももう一日仕事を頑張らなければならないのに、翌日の事を考えて早めに帰らなければいけないのか、と理仁は嫌そうに顔を歪めた。
「そんな事言わずに……! 俺の同期も、理仁先輩と話してみたい、って言ってて、どうっすかね?」
「……それじゃあ最早飲み会になんじゃねーの? 同期って何人くらいいるんだよ」
仕事が少し落ち着いた時間帯。
晃太がそわそわと落ち着かなさそうにしていたと思ったら、突然理仁に話し掛けて来て、冒頭のお誘いをして来たのだ。
理仁は嫌そうな表情を浮かべたまま、何とか断れないかと理由を探すが、忙しさに忙殺された脳みそは良いアイデアを授けてはくれない。
乗り気では無さそうな理仁を見て、晃太は焦ったように「じゃ、じゃあ明日!」と続けて声を掛けて来る。
「明日はどうですか!? 明日でしたら金曜日ですし、俺、今日残業して頑張るんで……! 明日お礼に奢らせて下さいよ……!」
何故だか少しだけ必死な様子の晃太に、理仁は小さくうーん、と唸るとパソコンに向けていた視線を隣の席に座っている晃太に向けて唇を開いた。
「──分かった分かった。あんまり長居は出来ないけど、少しならいいぞ……。ただし、飲みはお前と俺だけでな」
「や、やったあ! ありがとうございます理仁先輩!」
何がそんなに嬉しいのか、晃太は大袈裟に喜んでみせると理仁の気が変わらない内に「終業後に予約取っときますね!」と弾んだ声で告げて仕事に取り掛かる。
理仁は首を傾げながら、「飲みの約束くらいでやる気になるなら安いもんだな」と心の中で考えると、自分も翌日に仕事を残さないように再度パソコンに向き直った。
そうして、迎えた翌日。
晃太は驚くべき集中力でミス一つ無く仕事をこなすと、きっかり定時に上がると言う奇跡的な記録を叩き出した。
「おま……、本気でやれば定時で上がれるんじゃないか……」
「へへっ! 理仁先輩と飲み楽しみにしてたんで!」
嬉しそうに笑う晃太に、理仁はついつい「普段からやっとけよ」と思ってしまうが、可愛い後輩の成長を促してやるのも先輩の役目だ、と思っている。
晃太の事は今後も褒めて伸ばしてやろう、と考えながら理仁はビジネスバッグを椅子から持ち上げると「で、どこに行くんだ?」と晃太に話し掛ける。
晃太は自分のスマホを軽く操作すると、会社から然程離れていない居酒屋を予約した、と告げて来る。
店の情報が載ったスマホの画面を目の前に翳した晃太に、理仁もその画面を眺めながら「ああ、あそこか」とその居酒屋の場所が思い至る。
「そこ、俺何度か行った事あるわ。本当に会社からすぐ近くだな」
「あっ、本当ですか……! それなら良かったです!」
んじゃ、行くか。と理仁が晃太に声を掛けて会社のフロアを後にする。
定時に上がれるのは久しぶりだな、と理仁は少し浮かれた気持ちで会社を出る。
まだ繁忙期は完全には終わっていない為、来週からはまた地獄のような日々が始まるだろうが、もうゴールの先は見えているような状態だ。
だから、今日のようにたまに仕事が綺麗に片付いた際はこうして定時で上がれる事もある。
足取り軽く前を進む理仁の後ろで、晃太はタタタ、と自分のスマホを簡単に操作するとメッセージアプリのグループに「理仁先輩オッケー!」と短く文章を送った。
会社を出て、目的の居酒屋に入り席に通されて少し。
理仁が店のタブレットに視線を落とし、何を頼もうか、と考えていると突然理仁達のテーブルの近くに人の気配がして、次いで声を掛けられる。
「あーっ! 大隈先輩に、飯沼じゃん!」
「こんな所で奇遇ですねっ!」
「ご一緒していいですか!?」
「──……は、?」
キャピキャピとした高い声が聞こえて、自分の名前を呼ばれた事に呆気に取られて理仁が視線を上げれば、確か会社で見た事があるような顔が並んでいた。
「──飯沼」
理仁の低い声音に、名前を呼ばれた晃太はびくり、と肩を震わせると眉を下げて「はは」と力無く笑う。
「失礼しちゃいますねー! 大隈先輩もうちょっと詰めて下さいーっ」
「あっ、ずるい! 私もそっち座る!」
「じゃあ私は飯沼の隣に行こっ」
理仁も、晃太も許可を出してはいないと言うのに、若さゆえの強引さで無理矢理相席状態になってしまった事に、理仁はギロリと晃太を睨み付けると、晃太と同期なのだろう。女子社員達に一度出てくれ、と声を掛けて椅子から立ち上がる。
「飯沼、一本付き合えよ」
「──っ! りょ、了解しましたっ!」
理仁が店内の喫煙室に視線を向けて声を掛けると、晃太は首が取れてしまいそうな程首をガクガクと振って理仁を追うように席を立った。
喫煙室に逃げてきた理仁と晃太は、自分のスーツの内ポケットから煙草を一本取り出すと、口に咥えて火をつける。
ゆらゆらと換気扇に向かって登っていく紫煙を視線で追いながら、理仁は「で?」と恐ろしい程低い声音で問いかける。
「す、すみません理仁先輩……っ。俺、どうしてもあの三人の中のある女性と仲良くなりたくて……! 出来れば付き合いたいなぁ、って思ってるんですけど、あの三人が理仁先輩と話してみたい、って言うんで、つい……」
「俺をダシに使ったって訳かよ?」
理仁はああもう面倒くさい、と言うように瞳を閉じると長い溜息を吐き出した。
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