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第二章

第44話 クロノの秘密

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 クロノの手は怪力の持ち主とは思えない程細かった。
 ミアンほど華奢ではないがそれでも成長途中の子供の体だ。
 けれど戦士としての能力は既に俺を凌駕している。本人が気づいていないだけで。

「お前は無能なんかじゃない」
「え……」
「剣にも魔術にも才能がある、きっと誰よりも強くなれる」

 俺の言葉にクロノが驚いた表情をする。彼女の大きな赤い瞳が更に見開かれる。
 今口にした台詞は本来ならノアのものだ。
 パーティーから追放され自分の価値を見失ったクロノへの力強い激励。
 そして英雄として冷静な視点から見た事実。
 クロノ・ナイトレイはノア・ブライトレスを超える魔法剣士になる。 
 時に英雄、時に勇者と呼ばれる偉大な存在に。
 目の前にいるボーイッシュな少女がそうなるとは未だ半信半疑だけれど。
 俺の疑念を見抜いたのかクロノは小さく首を振った。

「それは……誤解です。ボクはそんな凄い人間じゃありません」
「今はまだ最強じゃなくても、鍛えればどんどん強くなる筈だ」

 自信無さげに言う少女におれはそう返す。
 英雄であるノアに師事すればクロノは剣も魔法もメキメキと成長していくだろう。
 だが俺の言葉を彼女が受け入れることはなかった。

「アルヴァさんが励ましてくれるのは嬉しいです。でも……」
「でも?」

 快活なクロノが言葉を言い淀む。待っていられずに追及した。
 けれど彼女の口から出たのは予想外の言葉だった。
 
「ボクの父親はある国の騎士団長です、そんな彼から十年近く剣の訓練を受けてきました」

 だから体力だけは自信があるんです。そう苦し気に微笑む少女に俺の思考は追いつかない。
 そんな設定はあっただろうか。内面を押し殺しながら必死に前世の知識を辿る。

「お前の父親が騎士団長……?」
「はい、母とは正式な夫婦では無かったけれど。それでも我が子として扱ってもらえていた筈です」 

 でなければ多忙な父に直々に稽古をつけて貰えるわけがないのだから。
 そう懐かしそうな表情でクロノは語ったが、次第に声は暗くなった。
 
「でもボクはそんな父の期待を裏切りました。剣の才能なんて全く無かったんです」

 ある日いつものように訓練場へ行ったクロノを待っていたのは木剣を構えた父親ではなかった。
 会話もろくにしたことのない父の本妻と、数人のメイドたち。
 問答無用で屋敷へ連れていかれ拾った猫のように体中を洗われたのだとクロノは告げた。
 事情も分からないまま逆らわずにいた彼女をメイドたちは着替えさせ髪を梳った。
 そして鏡に映ったのは初めて見るドレス姿の自分。

「奥様は父にボクのことを頼まれたと仰っていました。……剣士ではなくレディとしての作法を叩き込んでくれと」

 そして今後剣の訓練は受けなくていいと言われたのです。
 クロノは落ち着いた様子だったがその表情は虚ろだった。

「多分見切りを付けられたのだと思います。これ以上鍛えても大成はしないと。でもボクは諦められなかった」

 淑女として生きろと言われてもどうしても剣士になりたかった。冒険者になりたかった。
 そしてなぜかそうなれるという自信があった。少女は呟くように言った。

「子供の頃、何度も同じ夢を見たんです。ボクが冒険者として世界中を旅する夢を」

 山賊を倒し、魔物を倒し、悪い竜を倒す。そして色んなダンジョンに潜り仲間と宝を探す。
 夢のようでしたとクロノはうっとりと微笑む。

「でも冒険をしていたボクは、男の子でした。だから夢の中でも夢だとわかったんです」

 それでも憧れは植え付けられた。強く勇敢な剣士になりたいと願った。
 どんな辛い訓練にも耐えて、少年のように振舞うようにした。

 夢の中の自分に近づけるように。クロノは思い出すように目を閉じる。

「だからレディとして生きろと言われた時、ショックだったけれど今なんだと思ったんです」

 家を出る理由が出来た。ここは自分の居場所じゃない。夢の中と同じように自由な旅に出よう。
 不思議なくらい躊躇いはなく書置き一つ残して自分は家を捨てた。
 そして今の街まで辿り着いた。少女はここまで語ると溜息をついた。

「つまるところボクは家出小僧なんです。でも子供で、隠し事と嘘にまみれて、お金も持ってなくて、剣の才能もない。そんなボクと一緒に冒険をしてくれる人なんていませんでした……」

 
 鍛錬の過酷さと一人で生きていく為の辛さは全く違った。安心して休める場所を確保することさえ一苦労だった。
 旅の中でクロノは初めて苦しい程の飢えを知り、人に騙されることを知ったと言った。
 自分がどれだけ恵まれた環境で暮らしていたかを初めて理解した。そうクロノは笑う。奇妙に大人びた笑みだった。

「アルヴァさんに拾ってもらった時、ボクは友達だと思ってた女の子に騙されたんです。彼女の知り合いに売られそうになって、必死で抵抗して逃げてきました」

 えげつない出来事を淡々と話す少女の瞳は何故か徐々に穏やかになっていった。
 俺はその理由がわからないまま話を聞き続けるしかない。  

「あの沢山の雪が降った日、この街に辿り着いて倒れていたボクをあなたは蹴りましたよね」
  
 道の真ん中でくたばってんじゃねえ、邪魔だ小僧って。そう楽しそうに笑うクロノが逆に恐ろしい。
 アルヴァ・グレイブラッド。なんというか安定の屑過ぎる。倒れている子供を蹴るな。いや子供でなくても蹴るんじゃない。
 そんな出来事を素晴らしい思い出のようにうっとりと語る少女はどこか狂気を感じさせた。

「あの時、この人に縋ろうって決めたんです。何でもするって足にしがみついて。ふふ、おかしいですよね」

 アルヴァさんは男でボクは女なのに。街に逃げ込む前に女として襲われそうになったばかりだったのに。
 あなただけはそういう目でボクを見ないって、見下す冷たい瞳になぜか確信出来たんです。真っ直ぐな視線には熱が宿っていた。

「でもボクの勘は当たった」
「それは……」

 アルヴァもまた小説の設定に知らず縛られていたからだろう。
 クロノが男の冒険者になりたがったように彼はクロノを異性として見ることができなかった。それだけの話だ。
 だがその理由を彼女に話すことはどうしても出来なかった。

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