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第四章

88話 外れた振り子

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「ミアン……」

 キルケーを消し炭にした彼女は無言で俺を見つめた。
 その紫の瞳は怒りに燃え盛っているようにも、こちらを冷ややかに軽蔑しているようにも見えた。
 湖に閉じ込められていたせいか普段二つに結っている金の髪はストレートに下ろされている。
 他の冒険者と違い彼女だけ、髪も服も濡れていない。得意の炎魔術で乾かしたのだろう。
 そんなことを考えているとミアンは自分が焼き尽くした女の体を足で踏み砕いた。
 その行為に思わず絶句していると地を這うような声で俺の名が呼ばれる。

「アルヴァ、あんたやっぱり魔物が化けた偽物だったのね」
「なっ」

 何故今更その誤解を口にするのか。
 驚きの声を上げる俺をミアンだけでなく他の冒険者たちも冷たい目で見ていた。
 エストやカースたち灰色の鷹団のメンバーもいる。
 皆五体満足そうだがそれを喜べる余裕は俺には無かった。
  
「この女魔族はあんたを魔王と呼んだ。正直今でも魔王なんて信じられないけど……」
「でも、彼女は死の間際さえもアルヴァさんの偽物に対し逃げてと願いました……大切な存在であることは確かでしょう」

 そして魔族にとって大切な存在といえば魔王に決まっている。
 聖女のような雰囲気の女性がミアンの傍らに立ち言う。ヒーラーのエストだ。

「人間に害なす恐ろしい魔族を運良く討伐出来ました。女神様に感謝しなければ」 

 そう手を祈りの形に組みながら銀髪の治癒士は微笑む。
 敬虔な彼女の足元にはキルケーだった灰が撒き散らかされている。
 だがそのことに複雑な感情を抱いている場合ではない。

「感謝するのは少し早いわね、大物が一匹まだ残っているもの」

 炎の女魔術師が狩人のような目でこちらを見据えた。
  二人は、いやこの場にいる冒険者は俺を倒すべき敵だと認識している。
 ミアンとエストの背後には屈強な冒険者たちが付き従っている。
 キルケーの次は俺というわけだ。
 最悪の事態に俺は気絶しそうになった。
 いっそ気を失った状態なら痛みも感じず楽に死ねるだろうか。
 いや、死ぬわけにはいかない。
 今回死んでまたやり直しになった場合灰村タクミの人格と記憶が復活するかはわからない。
 そうしたら又悪役リーダーとしてクロノを追放し、そして孤立して惨めに死ぬことを繰り返し続ける羽目になる。

「違う、俺は魔王じゃない」

 納得して貰えないと理解しつつそれでも否定を口にする。

「じゃあなんで死んだこの女はあんたを魔王呼ばわりしていたのよ」

 低い声でミアンが指摘する。ヒステリックに取り乱しているよりも今の状態の方が強く殺意を感じる。 
 固まっている冒険者たちを確認したがクロノの姿はなかった。つまり魔力封印でミアンを無力化することは出来ないという訳だ。

「それは……俺の外見がどうやら魔王に似ていたかららしい」
「はああ?!」

 紫眼の魔女が鳥のように甲高い声を上げる。
 なんとなく場の空気が白けたように感じた。
 それに気まずさを感じつつもそのまま戦闘意欲を減退させられるなら儲けものだと思う。

「俺だって最初はこの女魔族に湖に沈められそうになったんだ」
「でも魔王に似てるからって理由で助けてもらえたってわけ? 馬鹿馬鹿しい」
「そうだよ、半分自棄になって魔王のふりをしたら嘘みたいに信じてきた」

 信じられないかもしれないけど俺は事実しか語っていない。
 そうミアンの目を見て強く言い切る。
 実際嘘はついていない。俺はキルケーを騙した。
 そして彼女は俺を魔王だと思い込んだまま殺されて死んだ。
 
「魔族がそんな嘘に易々と……でもアルヴァなら女性を騙すのは息をするより簡単なのでしょうか」

 穏やかな表情で毒を吐いてくるエストに俺は溜息で返した。
 しかしそれに野太い声が割り込んでくる。

「つまりあれか?女たらしの赤毛野郎が女魔族まで誑し込んだってことか?」

 声の方を見るとトマス程ではないが長身の屈強そうな体を鎧に包んだ男が嫌みったらしい笑みを浮かべている。
 その短い髪も身に纏った服も濡れているのがわかる。湖に監禁されていた冒険者の一人だろう。
 どこか見覚えはあるような気がするからローレンの街で擦れ違ったことぐらいはあるのかもしれない。名前は思い出せなかった。
 
「お前、顔だけいいクズだと思ってたがそういう利用価値があったんだな!」

 その調子で雌の魔物どもを騙し討ちして来てくれよ。
 実際にはもっと卑猥で侮辱的な言葉を嘲る調子で言いながら肩に濡れた太い腕を回してくる。
 その不快さに一瞬こいつを助けなければよかったという気持ちがわいてきた。

「おい、軽々しくそいつに近づくな。人間のふりをしているだけかもしれんぞ!」

 男の仲間だろうか。少し離れた場所から別の男性冒険者が声をかけてくる。

「心配すんな、こいつが何かしようとした瞬間にこの細っこい首を折ってやるよ」 

 キルケーに騙されて先程まで死にかけていた癖によくここまで傲慢になれるものだ。
 だがここで攻撃的な様子を見せては魔王としての疑いは晴らせない。俺は無言でいた。
 その我慢が功を奏したのかエストが思慮深い様子で言葉を呟く。

「うーん、もし彼が魔王なら今の段階でこの場の人間を皆殺しにしてもおかしくはないでしょうね」

 それをしないってことはやっぱりアルヴァ本人なのでしょうか。 
 のんびりとした口調で紡がれた疑問に俺は内心何度も頭を強く振った。
 しかしそれを否定する声が別のところから上がる。

「シスターエスト、その結論を出すのは少し短絡的ではないだろうか」
「貴方は……金級冒険者のオーリックさん」
「その赤毛の男は魔王の生まれ変わりで、今はまだ全盛期の力を取り戻してないだけかもしれない」

 オーガの子供のように、弱いからと油断して逃がせば成長して襲い掛かってくるぞ。
 そう白銀の鎧姿の男は俺の方に抜身の剣を突きつけながら言い放つ。

「確かに、そうかもしれないわね」
「オーリックが言うならそうかもしれないな……」
「黄金の獅子団の団長、流石に冷静で適格な判断だぜ!」

 彼の発言に対し、冒険者たちが次々と賛同の言葉を口にする。空気が変わったのがわかった。
 まるで自分がこの場の正義で主役だとでもいうように金髪の剣士ははきはきとした口調で台詞を口にする。

「この男が魔王として真の力を取り戻す前に討伐するのが、私たち冒険者の役目ではないだろうか」

 こいつも湖に沈めたままにすれば良かった。
 首に巻かれた腕に力がこめられるのを感じながら俺は心の底からそう思った。
 人間とは、愚かだ。
 
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