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第五章
君に、捕らわる 【12−2】
しおりを挟む俺だって、もう帰る時間だということは、承知してはいた。が、こんな風に彼女との時間を突然断ち切られると、恨めしい気持ちになってしまう。
満面の笑顔で、こちらに駆け寄ってくるソイツ。秋田に罪はない。わかってる。わかってはいるが、秋田を見る目が自然と険しくなってしまうのは仕方ないと思う。
おまけに、もうひとつモヤモヤすることがある。秋田の声を聞いた途端、涼香が俺の手を放したんだ。それはもう、ものすごく急いで。
どういうことだ?
きっと、いきなりの呼びかけにびっくりしたせいだと思いたい。思いたいが……もしかして、俺と一緒に居るのが恥ずかしい? 俺が彼氏だと、恥ずかしい?
なぁ。手を振り払われたら、その倍の強さで囲い込んで離したくない気持ちになるもんなんだけど。君。それ、わかってる?
「――二人とも、お帰りなさい! 病院に行ったって聞いてたから気になってて! ね、どうだったの?」
息を弾ませて寄ってきた秋田が、余裕のない表情で尋ねてくる。
そうか。心配かけてたんだな。気にかけてくれてたのに、邪魔者扱いして悪かったよ。
「あ。心配かけて、ごめんなさい」
「悪かったな。治療と投薬を受けて、明日は安静にするようにとのことだったよ」
「えっ、二人とも?」
そこまでだとは思ってなかったのか。驚いた表情が、俺たちを交互に見てくる。
「あぁ。明日の林業体験は、残念ながら見学することにした」
「えーと、涼香ちゃんはわかるんだけど……土岐くんも? 見学するの?」
「何だ。俺が見学するって言ってるから確認してるのか?」
心底不思議そうに首を傾げられてみれば、秋田の驚きの原因が俺なんだとようやく気づいた。
「無理して参加しても、のちのち良いことは無いだろうからな。今回は、おとなしく見学しとくよ」
「うん、わかった。いつもの土岐くんなら痛いの我慢して無理しそうなのに、と思って少しびっくりしちゃったんだ。土岐くん、何だか雰囲気変わったね。すごく良い感じだよ」
秋田の澄んだ瞳が、穏やかに細められながら、俺を見つめてくる。
「ふっ。お前の言う、良い感じがどんなものかは、よくわからないが。今日一日で、いろいろ考えさせられたしな。少しは変われたと思う」
本当に、そう思う。
——人に対するのと同じように、自分も大切にする。
教えてもらった大事なことは忘れない。
「う、わぁ」
「きゃ……」
ん?
目を伏せて、柄にもなく思い出し笑いなんかしていたら。驚愕というか感嘆というか、何とも表現しづらい声が二人ぶん聞こえてきた。
顔を上げてみると、秋田と涼香が紅潮した顔でこっちを見てる。何だ?
「キャー! 見た見た? 涼香ちゃん!」
「うん、見た! 見たよっ。チカちゃん!」
一瞬の後、俺から視線が外されて。いきなり二人で手を取り合って盛り上がり始めた。何だ? 何が起きてる?
何が何だか、わからない。突然手を取り合って騒ぎ出した二人の姿に、呆気にとられてしまって声もかけられない。が、そろそろ止めないと。
「すず……」
「あっ、痛っ!」
彼女が、痛みで顔をしかめた。
ほら、言わんこっちゃない。手を上下に振ってたせいで、足に負担がかかったんだ。
「大丈夫?」
駆け寄って、重心が傾いた身体を支えてやる。
「だだ、大丈夫! か、かなっ……と、土岐くん! ありがとっ」
すっと、無表情になってしまうのを止められない。なぜ、名字に呼び直した? やっぱり嫌なのか? 俺は、君の彼氏じゃないの?
「すず……」
「涼香ちゃん! 帰ってきてたの?」
「あ、美也ちゃん」
彼女に呼びかけた俺の声は、ホテルから出てきた笹原によって遮られた。
「病院行ってたんでしょ? どうだったの?」
「うん、あのね――」
当たり前だが、笹原も涼香のことを心配してくれていたんだ。いったん、言葉を飲み込んで、そっと離れる。笹原にさっきと同じ説明をする彼女を見守ることにする。
少し身振りを加えて動く小柄な肢体を包むのは、彼女の肌に良く似合っている薄桃色のウェア。雪よりも白い肌を際立たせる、ピンクのニット帽に手袋。喋る度に、サラリと揺れる栗色の髪。表情豊かな榛色の瞳は、ずっと見ていたい色だ。
そして、唐突に思い出す。涼香の様々な姿を。
この瞳を強く煌めかせて射抜かれた、あの時。そこに涙をいっぱい溜めて、俺に向かって走ってきてくれた、あの時も。この子はその気持ちを真っ直ぐに向けてくれてた。
俺は、ちゃんと想われてる。これは信じていい。
けど、いくら信じていても、不安になるものは仕方ないだろう? 言葉ひとつ、態度や目線ひとつで簡単に揺さぶられる。そんな情けない男が俺だ。
だって、好きだから。
――涼香。どうしてこんなに? と思うほどに、君が好きなんだ。
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