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第2章

閑話その2・婚約者の思い出

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「――お前が、俺の婚約者になるメルローズか。……。ふん、顔立ちはまあまあだな。少しばかり目つきが気に入らんが、直視しなければ我慢できるか。
 ……よし、合格だ。俺の引き立て役として、傍に侍らせてやってもいいだろう。いいかメルローズ、今後、次の王になる俺の下僕として、しっかり俺に尽くせよ。分かったな」

 この、頭と性格の悪さが随所に滲み出た妄言こそ、最初に2人きりで顔を合わせた際、アーサー殿下がこのわたくし――五大公爵家の娘、メルローズ・クルーガーに対して発したお言葉です。
 皆様のご想像の通り、わたくしが最初に受けたアーサー殿下の印象は、正直申し上げて、最悪という表現すら生温く思えるものでした。

 初めて会った婚約者に対して、最初に行うのが顔の品定めですか。
 不躾に人の顔をジロジロとご覧になり、ご自身の好みに照らし合わせ、容姿にダメ出しをなさった挙句、「引き立て役として侍らせてやってもいい」だなんて。
 これまで一体、どのような教育を受けてこられたのでしょう。
 そもそもわたくしは、殿下の下僕として選ばれた訳でもなければ、次代の王妃として選ばれた訳でもございません。
 いずれ臣籍降下なさる殿下を生涯に亘ってお助けし、女王陛下から賜るであろう新たな大公家を維持する為の、補佐役として選ばれたのです。
 聞けば昨今は、アーサー殿下と同じく、頭の中が危険水域であらせられたエドガー殿下も、すっかりよい方向へお変わりになられたとの事。

 事実、先日リアン家の紹介で久し振りにお顔を合わせた際の殿下は、まるで別人のようでした。
 言葉遣いがよろしくないのは相変わらずですが、それでもエドガー殿下のお言葉と振る舞いには、今まで微塵もなかったはずの、第三者に対する気遣いと優しさのようなものが、確かに根付いているように感じましたから。
 これも聖女様がお与え下さった、お慈悲とご加護の賜物なのかも知れません。

 我らがノイヤール王国の、王位継承順や家の相続を定めた法は長子相続が基本。
 第一王子のエドガー殿下がご健勝である限り、第二王子のあなた様が次の王になる目など皆無なのですよ?
 ……なんて、口に出してご説明した所で、あなた様の大層残念な造りをなさった頭では、どうあがいてもご理解頂けなかった事でしょう。
 であれば当然、あなた様のような問題児を王命によって押し付けられ、今後、死ぬまでお傍で仕えねばならないのだという現実に対し、当時のわたくしがどれほどの絶望感を抱いたのか、という事もまた、全くご理解頂けなかった事でしょうね。


 王家と我が公爵家の間で、正式な婚約の儀が取り交わされて半年も経つ頃には、わたくしはアーサー殿下のお人柄に、ほとほと嫌気が差しておりました。
 最初にお会いした時、大層偉そうな態度で仰られていたように、アーサー殿下にとって婚約者とは、いいように従えられる下僕であり、身を飾り立てて威を示す為の、装身具のようなものという認識だったのでしょう。
 そのようなお考えを持った方でしたので、婚約者としての交流もほぼございませんでした。手紙や贈り物を一切頂けないばかりか、時折出席する、パーティーやお茶会でのエスコートも粗雑そのもの。
 酷い時には、エスコート自体して頂けない事も多々ございましたし、気に入らない事があればすぐ不機嫌になり、人の足に蹴りなど入れてこられます。
 おかげで、ふくらはぎに痣ができた事も、一度や二度ではございませんでした。

 しかも、自分のやっている事が褒められた行いではないと自覚していて、わざわざ人の目につかない所で、わたくしに対してそのような暴力行為をなさる。
 大変質が悪いと言えましょう。
 そのくせ、わたくしが殿下を敬っているとか、殿下を心から愛しているとか、そういった訳の分からないお話を、根拠もなく妄信しておられたと言うのですから、ため息しか出ません。

 学園に入学してからも、見目のいい下位貴族のご令嬢数名を度々お傍に侍らせては、こちらをニヤニヤ笑いながらご覧になられていましたが、わたくしがそれに嫉妬しないと見るや腹を立て、「冷血だ」とか「可愛げがない」とか、それはもう頭の悪いお言葉で罵られたものです。
 当然、そんな寝言になど付き合い切れませんから、項垂れて落ち込んでいる振りをして、全て聞き流しておりましたが。

 エドガー殿下の事も、単純に「不出来ゆえに王宮から追い出された無能な兄」と信じて疑っていないご様子でした。
 エドガー殿下の一時的な王籍からの除外は、死を賜るほどの無礼を働いておきながら、慈悲のお心で温情をかけて下さった、聖女アルエット様へのご恩返しと罪滅ぼしの為、エドガー殿下ご自身が並々ならぬお覚悟で申し出られた事です。
 その事に関する説明は、双子の弟であるアーサー殿下にもしっかりとなされていた……はずなのですが、それがなぜ無能ゆえの放逐、などという考えに至ったのか、わたくしには到底理解できそうにありませんでした。
 ですが、その事に関して、ようやくわかった事があります。

 全ては、将来アーサー殿下を傀儡の王に仕立て上げ、甘い汁を吸おうと画策していた、教育係数名の愚行によるものでした。
 どうやら彼らは、昔から殿下を甘やかし放題に甘やかし、自分の頭でものを考えないよう誘導したり、アーサー殿下への伝達事項を、故意に捻じ曲げたりしていたようなのです。
 ただ――だからといって、アーサー殿下に何の非も罪もない訳ではございません。
 王家の子息の教育とは、ほんの2、3人で行うものではないのです。
 次代の王となるべく、もしくは王を支えるに相応しい知識・教養を身につけさせるべく、10人以上の者達が、現王の名において教育係の任を与えられるのですから。
 当然、日に日に増長していく殿下に対して苦言を呈し、諌める教育係もまた、幾人も存在していました。
 そんな者達を疎んじて自身の傍から遠ざけ、都合のいい事や耳障りのいい事ばかりを口にする者達だけを、傍らに残した。
 きっとその判断こそが、アーサー殿下が犯された最大の罪なのでしょう。


 時折、屋敷の外を眺めながら1人静かに刺繍をしていると、遠くから葬送の鐘の音が聞こえてきました。恐らく、処刑されたアーサー殿下をお送りする為のものでしょう。
 当初、わたくしのお父様やお母様は、大神殿での葬儀を執り行う事にすら、嫌悪の感情を持っておられたようですが、「かの者の魂が、悪意に穢れたままこの地へ舞い戻らぬよう、魂鎮めの意味を込めた葬儀を行うべきである」という、教皇猊下とアルエット様のお言葉を考慮し、渋々ながら折れたようです。

 わたくしも、教皇猊下とアルエット様のご意見には賛同しております。
 だって、あのおバカさんが、救いようのないおバカさん丸出しなまま、わたくしの生きているこの世へ戻って来るなんて、ゾッとするではありませんか。
 また勝手な思い込みと判断で、剣など向けられては堪りませんもの。

 ――アーサー殿下。もしこの世に再び生を賜る事が叶った際には、多少なりとも人の言葉に耳を傾けるようになられませ。でないと、またご自身でご自身の首を絞め、生きる時間を無駄に短くしてしまいますわよ――

 わたくしは、遠目に見える大神殿の屋根の一角を眺めながら、心の中でアーサー殿下へお贈りする最後の言葉を呟きました。

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