イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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翡翠挽回 中:グリーン編

ハッピーマスタージョブ

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 幾許かの月日が流れた。
 嘉名の肉体は順調に育つ。祖母の顔はそのままに上背も伸び、いつしか彼は少年とは言い難い歳になっていた。若輩ながらもレッドの傍らで側近を務める彼に文句をつける者は、もう誰もいない。この頃の嘉名は人生で一番いい時期に差し掛かっていた。疑いもなく、日々の勤めを遂行する日々。穏やかだった。安らかであった。あの頃、嘉名はまだ白く曖昧な優しい世界の只中にいた。
 ……安穏とした生活に歪みが生まれたのはいつからだったか。
 十七歳、待ちかねた叙任式に遅参する馬鹿が出た。
 「も、申し訳ありません……!!」
 「だから理由を言いなよ。畏れ多くも誓願の儀にさぁ、誰の顔潰したかわかってんの?」
 碧という名をもらい、かつての少年は叙任式で肩を並べる予定であった相手を批難する。
 「返事する奴がいなかったリーダーの気持ち、お前にわかる?事と次第によっては……」
 「まあまあ。ミドリ、ありがとう。でも構わないよ、理由があったのでしょう?青井くん」
 深々と頭を下げていた青年が驚いたように男———ヒーローが第一席、当代のレッドを見上げる。必死こいて走ってきたのだろう式典服には大量の汗が滲み、膝から下は派手に泥汚れが散っている。
 「な、名前を……」
 「勿論知っているとも。候補生養成所から報告は受けている。剣の腕は確かだそうだね。初めまして、赤端ジュンロク……神託を賜り、レッドを務めている者です」
 「あ、ああ……し、ぞ、存じております……!!お、俺は青井と言います。青井清一、今年で十八歳です!お会いできて、こ、ここ光栄で……っ!!」
 顔を真っ赤にのぼせ上がらせる田舎者に嘉名は苛々と舌打ちをした。迂闊にも舞い上がりかけていた青年が肩をびくつかせる。頭一つ分嘉名より大きな図体がいかにも小心者といった具合に左右に揺れた。
 「だから知ってるっつの。大遅刻の理由を聞いてんだよ!!」
 白亜の壁を蹴りつけてすごむと、上背の高い青年がひいと喉を鳴らした。
 「てっ……堤防が!!こ、壊れていて……」
 「はァ?」
 「ま、毎朝走り込みに行く下流で、第二堤が崩れかけていて!!昨日一昨日雨が降ったじゃないですか、貯水湖が溢れかえりそうで、あの、あの……一帯は苗の植え付けも済んだばかりで……っ!急造ですが土手造りの手伝いを……」
 していて。式典に遅れました。喘ぐように呟く彼の顔は真っ青だ。
 嘉名は少女と見紛う美貌を訝しげに歪ませた。
 「堤防ぅ?下流って都市部の下層ってこと?」
 「は、はぁ……そうです。威河です。麓街の」
 「嘘つきが。昇降機でも三時間かかるよ」
 「ほ、本当です!嘘じゃない!宿舎から移動するとき崩落部が見えたんです!じ、時間もありませんでしたが、……市民の救助を優先しました。上空からでないと見えない位置にあって……あのまま放水時間になっていたら集落が一つ沈んでいましたし……」
 麓街は霊峰を取り囲むように複数存在する。威河がかかるとすれば棗の街だろうが、それにしたって距離がありすぎる。
 「飛んででもいかないと間に合わないでしょ。ほっとけよ」
 「そういうわけにはいきません。行きは殆ど落下していけばよかったので……。登りは昇降機のレールを登ってきましたが、想定より時間がかかってしまって……」
 俄に信じがたいという顔を隠しもしない嘉名の脳裏に、ふと先日赤端と交わした会話が過る。確かあそこの長は不作を理由に今年の寄進を拒否していた。偶にでる「不信心者」だ。
 「……へえ。体力自慢ってわけ?たかだか貧乏人の家が沈みそうってだけで、あんたは招集に遅れたんだ」
 「……あ、あの……お言葉ですが、神官殿。家だけではありません。あの規模で水害が起きれば苗が全て流れます。冬の備えが無くなります……。動かせない老人を含めた、多数の市民が逃げ遅れる可能性もありました」
 「叙任式よりも優先すべきことだって言うの?」
 「は、はい。自分はそう判断しました。ヒーローの第一義は人命救助であります」
 いかにも養成所上がりの甘ったるい訓示が、その時は嫌に耳に障った。殴りつけてやろうと腕を持ち上げた時だ。
 ……睨み上げる嘉名を咎めるよう、やんわりと肩を抑える手があった。肩越しに見上げれば柔和な笑顔がこちらを見つめる。
 「それは大変素晴らしいことをした。彼に何一つ否はないよミドリ。そうだろう?」
 「…………はい」
 貴方がそう言うなら。睨め上げる姿勢で凄んでいた青年は身を離し、彼に青井の正面を譲る。
 「これからよろしく、ブルー。君に主のご加護がありますよう。それからこの子は神官ではないんだ、君と同じく使命を課されたヒーローです。……三人で申し訳ないが、叙任式の続きをしましょうか」
 十の試練を全て首位合格したとは思えない田舎者が慌てて膝を折り、頭を垂れる。
 嘉名の隣で、青井清一はブルーに任ぜられた。レッドを見上げる頬は紅潮し、瞳は憧れに光を宿している。採光窓から差し込む陽射しが隣の男と自分を分かっていた。馬鹿な理想主義者だ。ヒーローなんて名前だけのものに何をそんなに熱くなっているのか。薄い影の中で、嘉名碧は考える。
 (……それなら僕は。いったい、何になったのだろう———。)

 気にくわない男だったことは間違いない。青井清一という男は、何より現実をよく理解していなかった。

 「こんばんはグリーン。これよかったら、蜜柑なんだ。もらい物のお裾分けだけど」
 ———嘉名が血溜まりの隣で弓を拭っているとき、青井は休みを返上して市井の民と土いじりをしていた。
 「お疲れ様、グリーン。慰問に行ってたのか?リーダーに頼りにされてるんだな」
 ———嘉名が街長に布施の催促をする一方で、青井は税の軽減を求める嘆願書を「頼まれたから」と協会長へ手渡しする。
 「……はは、その、うん。今日はヒーローショウの仕事があって……そうだよな。きちんとする。俺たちヒーローだもんな、グリーン」
 ———嘉名がテレビカメラに囲まれ華々しくインタビューを受ける傍ら、青井は下層貧民街で金にならない慰問に引っ張り出されていた。

 ……嘉名が手を汚すその隣で。何も知らない彼は、誰よりも真剣にヒーローごっこに興じていたのだ。

 肥大した首都の維持には莫大なエネルギー資源と食糧が不可欠だ。上層に畑は少ない。標高が高すぎるためか作物の実りが悪いのだ。僅かに水耕栽培で育つ葉物を除けば、口に入れるものは全てを下層からの作物で賄うしかない。銀冠都市は霊峰内部の巨大水晶によってその巨体を維持しており、水晶体の加護を受ける為に多くの祭事を催す必要があった。人は増えるが万年金欠状態。上層の蓄えなど微々たるもので、地上から税の徴収が滞るたび都市の端々に綻びが出た。……天国と見紛う真白の鉱床都市は手入れを欠かすと直ぐ表面に赤茶けた錆が浮く。地上を見下ろす外郭はまだしも、聖域に住む上層民達は内部の穢れを善しとしなかった。
 金が要る。だから税を搾る。支配を緩めてはならない。例外を許せば、愚かな下層民は皆それに倣おうとするからだ。
 「人間は欲を制御できない」
 落ち着いた声。思慮深く見下ろす赤銅の瞳。良識を、世界の是非を決定する言葉。
 「だから私たちが管理をする。———ミドリは、よくわかっている」
 主の啓示が存在するならば、赤端の聲に似せたものだろう。レッドは慈悲深く、人格者を体現した男だったから、彼自身を礼賛する者は多く存在する。耳に心地の良い御言葉が下されると、普段啀み合ってばかりの協会員と防衛軍職員が揃って頭を垂れた。直接声をかけられた者で涙ぐまぬ者はいなかった。美しい神の庭で、何不自由なく光に包まれた暮らしができる。射幸心を煽る赤端の神託は自分が選ばれた存在であるという代え難い証明になった。

 「———あ、あの!!僭越ながら!意見具申いたします!!」
 だから目障りだ。波打ったよう空気の凪いだ、皆穏やかに言葉を慎むのが当然の議事堂。質疑など申し立てるだけ時間の無駄だというのに、こいつがいつも会議の時間を伸ばす。協会長が眉を寄せ、大理石の机を叩く。
 「何かね。また君か、熱心が過ぎるね青井君」
 「済みません。しかし先ほどの御言葉ですと、巣津の街への課税が三割増ということになってしまいますが……」
 「嫌な言葉を使うものじゃない。下層民を搾取しているように聞こえるだろう」
 「申し訳ありません。で、ですが……」
 「いいかね、もう一度言うが、首都への寄進が滞っていた市街に対しては、その等級に比して心付けを許すと議会は決定を下したのだ。強制はしていない!!養成所上がりには難しかったかな?わかったら……」
 「?しかし、この触れ書きの内容だと……寄付の額に応じて防衛順位の再編成が行われることになっています。あ、もしかして刷り損じがあったんでしょうか!?失礼致しました、小官に配布されたものではありますがこちらを、」
 「よい!同じ資料を読んでいる!!」
 机を殴りつける協会長を前に、異端の青が首を傾げる。
 「それ、では……ご納得頂けます、よね……?これは実質的な増税案です」
 会議に雁首揃えた銀冠都市のお歴々の表情が凍りつく。緊張が走った。皆の視線は困惑に揺れ惑い、着地点を求めてある方向に集約する。
 「———私の部下が失礼した、協会長。誤解しないで頂きたいが、ブルーは敬虔な信徒です。民草を想う神意を汲んで発言している」
 「い、いえ……。わかっておりますよレッド。理解していますとも」
 親に叱られた子供のように、協会長が頭を振る。
 「しかし確かにこの文言では布施の強制をしていると誤解を与えかねません。……ペナルティと捉えられかねない部分は修正したほうがよいのでは?」
 「ええ、早急に!!———おい、お前!修正案を!」
 怖気が走る視野の狭さだ。慈悲をふりまく赤端の隣で嘉名は渋面を隠せない。出なくてもいい会議に首を突っ込んで出来レースの協議を滅茶苦茶に引っかき回す愚かしさ、本当に会議室で議論が行われると考えている浅はかさ。きらきらとした目は正義を遂行していると主張して憚らない。
 リーダーは慈悲深い。一度や二度の不手際で神の怒りには触れないが———、絶対にこの人は、積み重ねた業を忘れたりしない。

 「ブルーのことを頼まれてくれますか。彼は辺境で育った子だ、教義を理解していないフシがある。苛められてしまうかもしれないからね」
 だからそうした。会議の時間を報せなかったり、日用品を隠したり。
 「熱心な支援者の警護を頼みたい。手の空いているヒーローに打診して欲しい」
 だからそうした。評判の悪い民間企業代表の『夜間警護』にブルーをつけた。行き過ぎた夜遊びと稚児趣味で有名な金持ち共の護衛として、あの馬鹿は疑いもせずついていく。
 「そろそろ不浄を糾さねば。———ミドリはその点、よくわかっている」
 だから……そのようにした。ネットに出回り始めていた動画を広報部伝いに新聞社へ送りつける。首都のネットニュースは当然として、下層民の新聞各社もこのゴシップに飛びついた。隠し撮り動画に映っていた淫行爺は一人残らず都市を追われ、下層を引き回された。上層の風紀は保たれ、貧乏人共のガス抜きも兼ねて一石二鳥。

 火消しはとても簡単だった。嘉名はサイバー対策班管理者の権限を利用し、動画の送付先リストを開く。コネ登用の無能役人を使うまでもない。ブリックパックのフルーツ牛乳をすすりながら青年はキーボードを叩く。無感情に頬杖をつき、濁った目で関係各所に削除申請を出す。
 「あーやだやだ……ダルすぎでしょ。っとにさあ、逆らわなきゃ……」
 うっかり溢れかけた言葉を飲み込んで、嘉名碧は口元を覆った。これだからパソコン作業は一人でやらなきゃいけないんだ。薄暗い私室で三面モニターが切り替わる度、ブラックアウトした画面に曽祖母の顔が映り込む。……疲れてくると、それが時々×××××に切り替わって気分がくさくさした。
 (———ヒーローになりたい!!)
 「うるさいよ。……お前のせいだからな」
 無様にも見せしめにされた同僚の動画を一つずつやっつける。
 ほらな、だから———ヒーローなんて。どこにもいやしないんだ。
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