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5 京助さんとの会話
しおりを挟む「ところで……あれから調子はどうだ?」
問いかける前に京助さんに尋ねられ、俺は首を傾げた。一体、何の事かわからなくて。
「調子、というと?」
俺が聞き返すと、京助さんは言いにくそうにしながらも俺に尋ねた。
「その……お前の息子、元気になったか?」
京助さんに聞かれて、俺は飲んでいたカフェオレが少しむせそうになる。けれど何とか飲み下し、俺は恥ずかしながら正直に答えた。
「あー、えっと、無事、元気になりました」
……実は会って話した次の日の朝には元気なってたんだよね。あれだけ沈黙を貫いていたのに、俺の体って正直と言うか。お手軽と言うか。
俺はその朝の時の事を思い出す。でも京助さんは俺の話を聞いて、他人事なのに安堵したような顔を見せた。
「そうか。良かったな……実はちょっと気になってたから」
「その節はお騒がせしました」
「いや、男にとっては一大事だからな。よくわかる」
京助さんはコーヒーを飲みながら言った。けれど俺はどう返事をすればいいか、言葉に詰まってしまう。だって恥ずかしくって。
でもそんな俺に気遣ってか、京助さんは話題を変えるように俺に尋ねた。
「それはそうと、夏生は普段から料理をするのか?」
「え? まあ、うちは父と二人暮らしなので。それに子供の頃から両親とも共働きだったので、自然と。でも、どうして?」
「昨日、冷やし中華を作ってきてくれただろう? きゅうりとかハムとか綺麗に切れてたし、卵にも味が付いてたから、普段から料理するんだろうなって思ったんだ」
「それだけで、そう思ったんですか?」
「普段、料理しない奴はあんな風にきちんと作れないよ」
……そうかな? 裏に作り方が書いてるから、誰でも作れると思うけど。
俺はそう思うけど、京助さんは続けて俺に尋ねた。
「じゃあ、家事は夏生がしてるのか?」
「できることは。父は仕事で忙しいので」
俺の父さんは救急医療の医師をしている。だから毎日忙しくて、家に帰ってこない日も多々。そしてその忙しさのせいで、産婦人科の医師をしている母さんとはすれ違いになって別居に至った。まあ母さんのアメリカ研修が重なって、ってとこもあるんだけどね。それに兄さんもついて行っちゃったし。
俺は遠い国に行ってしまった母と兄に少し想いを馳せる。しかし、そんな俺に京助さんは何気なく言った。
「そうか、夏生は偉いな」
京助さんに褒められて俺は少し照れ臭い気持ちになる。
「別に偉いことなんて。俺は俺にできることをしてるだけで」
「自分にできる事をするって簡単なようでいて意外と難しいよ、できない人間の方が多い。それにきっと夏生の親父さんも助かってると思う。俺もそれに助けられた一人だしな」
京助さんは言われて、俺は照れくさくて心がむず痒くなる。高校生にもなって、こんな風に褒められた事なんてないから。
「そう、ですかね」
俺が照れつつ答えると京助さんは「ああ」と短く答えた。でも、その一言が嬉しい。なんだか、自分がしている事を認められたみたいで。
……だからって、褒められる為にしてるってわけでもないんだけど。
俺は一口分、残っていたショートケーキをぱくりと食べて照れくささを隠す。
「夏生、もうひとつ食べるか?」
お皿が空になったのを見て、京助さんは俺に尋ねた。でも、お昼も食べてきた俺はケーキ一つでお腹いっぱいだ。
「いえ、大丈夫です」
俺が答えると京助さんは「そうか」と言い、少し沈黙が過ぎる。なので、俺は何か話題はないかと考えを巡らせ、京助さんに尋ねた。
「あ、そういえば京助さんは何のお仕事をされているんですか?」
「俺の仕事?」
「だって倒れるくらい根を詰めていたから」
「ああ、仕事の締め切りをうっかり忘れていてな。俺の仕事は……まぁ」
京助さんは言いにくそうな顔を見せた。なんでだろう? と思っていると、京助さんはボソッと答えた。
「物書き……なんだ」
「ものかき、ってことは作家さんなんですか?」
俺が尋ねると京助さんは「まあ」と返事をした。でも俺の周りには作家を職業にしている人はいなかったから、好奇心が疼く。
「え、どんな話を書いているんですか?」
俺が興味津々で尋ねると京助さんは「あー、まあ」と小さく呻くと、俺をちらりと見てにやっと笑った。
「官能小説」
まさかの答えに俺は言葉に詰まる。
「か、官能小説!?」
「そう、人妻とか美人秘書が出てくるエロい話」
京助さんはあっさりと答えるけど、俺は急に恥ずかしくなってくる。なので、「そ、そうですか」と小さくしか言えない。でもそんな俺を見て、京助さんはクックッと笑った。
「ほんと、真面目だな。冗談だよ」
「へ?」
「夏生は騙されやすいな。気を付けた方がいいぞ?」
京助さんに言われて、俺はからかわれたのだと今更ながらに気がついた。
「なっ、京助さんが言うから俺は信じただけで!」
「時には人を疑う事も大事だぞ? まあ、その素直さは美徳だけどな」
京助さんはそう言いつつも俺の顔を見て、またククッと笑った。そんな京助さんに俺はちょっとムッとする。
……京助さんが言ったから俺は信じただけなのにっ。
そう思えば、それが顔に出ていたのか京助さんは笑いつつも謝った。
「騙して悪かったよ。けど、大したものを書いている訳じゃないから、本についてはあんまり聞いてくれるな」
京助さんは、話はこれまで、と言うように俺に告げた。だから、これ以上は聞けなかった。でも、やっぱり気になる。
……一体、どんな話を書いているんだろう? この本の山は小説を書くときに使う為にあるのかな?
そう思う一方で、もしかしたら本当は官能小説を書いてるのかも、とちょっと思ってしまう。だって何となくだけど、京助さんはそっち方面の経験が豊富そうだから。
けど、そんな事を悶々と考えていると京助さんは俺を見て不思議そうに言った。
「しかし、ちょっと前まで女とヤろうとしてたのに妙なとこでウブだな。もう少し垢抜けてるかと思ったけど……もしかして、例の時も彼女から迫られたんじゃないか?」
あけすけな言い方に俺の方が恥ずかしさを感じてしまう。しかも京助さんの言う通りで。
「そ、それはっ」
「図星か。さしずめ、年上の彼女だったんじゃないか? きっと告白してきたのも相手から。そうだろう?」
……京助さんは探偵か何か!? なんで、わかるだ!?
俺はズバズバと当てるので、俺は否定をすることも忘れてしまう。けれど、反論しない俺を見て、京助さんはちょっと呆れた風に「やっぱりな」と呟いた。
「な、なんでそんなにわかるんですか」
「見ていればわかる」
「見ていればって」
……そんなにわかるもの?! 俺と京助さん、ほとんど会ったばっかりなのに。
俺は不思議で、思わず顔に手を当てる。でも、そんな俺に京助さんは言った。
「まあ、夏生はまだ高校生なんだし、しばらく男女交際は置いといて、もっと学生の時にしかできない事をしたらどうだ? 例えば部活とか……夏生は部活してないのか?」
京助さんはそういえば、と言う風に俺に尋ねた。
「あ、はい。俺、部活とかあんまり興味なくて帰宅部です。それにバイトしたいし」
俺が答えると京助さんは意外とでも言いたげな表情を見せた。
「へぇ、何かしたいバイトでもあるのか? それとも欲しいものがあるとか?」
「その、見たいものがあるんです」
「見たいもの?」
京助さんに聞かれて俺は答えるか迷ったが、さっき答えてもらったので俺も答えることにした。
「その、オーロラを。母が若い頃に見に行ってすごかったって、子供の頃に聞いていたから」
「なるほど。それで自分で貯めて、いつか見に行こうって?」
「はい、大人になったら。でも……家のこともあるから、週一ぐらいで出来るバイトでも出来たらなって思ってるところです。見つかれば、ですけど」
俺がささやかな夢を告げると京助さんはなぜか少し思案顔になった。そして、少しの間をあけた後に俺にこう尋ねる。
「ちなみにそれって、どんなバイトでもいいのか?」
「どんなバイトでもって、例えばどういう?」
「日曜に三~四時間ぐらいの勤務で、軽い掃除と料理を作るバイトだ。急用が出来たり、試験が近ければ休んでいい。どうだ?」
やけに内容が詳細で俺は不思議に思う。でもバイトの内容はとても魅力的に感じた。掃除と料理は得意な方だし……でも。
「あの、京助さん、それって一体どこで?」
俺が尋ねれば京助さんは床を指差した。なので俺は思わず床を見つめてしまう。でも、京助さんの示した意味は違った。
「ここだ。……夏生が良ければ、うちでちょっとした小遣い稼ぎをしないか?」
思わぬ提案に俺は思わず「え!?」と声を出して驚く。
「勿論、今すぐに決めなくていい。親父さんとよく話してから決めてくれたらいい。嫌なら嫌で構わないし、もしOKならちゃんと雇用契約書も作る」
京助さんはハッキリと告げたけど、俺にはわからない。
「ど、どうして俺に?」
「夏生は普段家事をしているんだろう? それなら頼めるかと思って。それに昨日の有様を見ただろう? 仕事が忙しくなると毎回ああなるから、誰か手伝ってくれたら俺も助かるって前から思っていたんだ」
「でも、それならプロに頼んだ方が」
「それも考えたが、見知らぬ人間には家に入られたくない」
京助さんはきっぱりと言った。余程、他人には家に入られたくないみたいだ。俺はすんなり入れてもらったけど……子供だからかな?
「けど、俺なんかでいいんですか? 俺だってまだ会って三日目ですけど」
「でも、もう見知らぬわけじゃないだろう?」
「まあ、そうですけど」
……けど、本当に俺でいいのかな? バイトとしてはすごく魅力的な話だけど。
俺はうーんと考える。そんな俺に京助さんは声をかけた。
「まあ、夏生がよければって話だ。さっきも言ったが、親父さんにも話して決めてくれたらいい。返事はいつでもいいから」
そう言って俺を急かすことなく、京助さんはコーヒーをゆっくりと飲んだ。そして、それを眺めながら俺は思った。
……この仕事を受けたら週に一回は京助さんに会う事になる。でも、この話を断ったら次は?
そう思ったら、俺の心はすぐに決まった。
「京助さん。俺、やります」
あんまりに俺がすぐに返事をしたせいで、京助さんは今日一番驚いた顔を見せた。
「いや、よく考えてから」
「今、考えました。俺、やります」
俺がまっすぐに京助さんを見て言えば、今度は心配げな顔を見せる。
「お前なぁ、俺が悪い人間だったらどうするんだ? ちゃんと親父さんに話をして許可をもらってから返事を聞くよ」
「父さんには話をします。でも、俺はやりたいです!」
俺はそうハッキリと告げた。そうすれば京助さんは少し呆れつつも、笑って答えてくれた。
「わかったわかった。じゃあ、契約書を作っておくよ。それでいいな?」
京助さんに聞かれて俺は「はい!」と元気よく答えた。
――――それから俺は父さんの許可を得て、週一で京助さんの家に訪れるようになった。でもそうしていく内に自然と京助さんとは親しくなり、今では週一どころか暇さえあれば遊びにくるように。
そして、この数年で京助さんに対して持っていた憧れはいつの間にか恋心に変わり、俺は京助さんに好意を抱いていた。でも、告白する勇気はなくて。
大学生になった俺はただただ京助さんに対する恋心に身を燻ぶらせる毎日を送っていた――――。
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