京助さんと夏生

神谷レイン

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6 思い出して、現在

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「―――はぁ、あれから三年かぁ」

 俺は過去の事を思い出し、一人呟く。

 ……そういえば京助さん、あの時は大した話は書いてないとか言ってたけど、大ウソつきだよなー。本当はベストセラー作家の春野秋雪なのに。

 俺は本の間に挟まっていた新刊を思い出す。
 実はあの後、本屋に買いに行ったけれどやっぱり未販売で。だから『おかしいな。俺、見間違えたかな?』と思った。
 だが、それから少しして京助さんが俺の好きな作家・春野秋雪で、置かれていたのは発売前の見本だったのだと判明。それはもうびっくりしたものだった。

 ……わかった時には興奮して思わず問い詰めたっけ。京助さんは恥ずかしそうにしてたけど。

 俺はその時の事を思い出して、くすっと笑う。でも、同時にベッドから京助さんの香りがして段々堪らなくなってきた。

 ……うぅー。このままベッドにいるのは危険だ。部屋を出て、顔を洗いに行こ。

 俺は気持ちを切り替えて、のそっとベッドから降りると部屋を出た。

「お、ちょうど呼びに行こうかと思ってたところだ。素麺ができたぞ」

 京助さんはカウンターキッチンのそばにおいてあるダイニングテーブルに食器やお箸をセッティングしながら言った。

「うん、わかった。ご飯の前にちょっと顔洗ってくる」

 俺がそう告げると京助さんは「ああ」と答えた。
 そして俺は勝手知ったるや、洗面所にそのまま直行して蛇口をひねると、勢いよく出る水を両手ですくってバシャバシャッと顔をよく洗った。そうすると、煩悩が水と共に落ちていく。

 ……よし! 平常心、平常心!

 そう心の中で唱えて、俺は鏡に映る自分を見つめる。そしてタオルでごしごしっと無造作に顔を拭いてから、リビングへ戻った。
 すると京助さんはすでにダイニングテーブルの席に座って、麦茶を飲みながら夕方のニュース番組を見ていた。その横顔に煩悩がまた生まれそうになる。だが、なんとか堪えた。

「ごめん、お待たせ。素麺、おいしそう」

 俺はテーブルに用意された素麺を見て、思わず呟く。氷水の中で冷やされた素麺は涼し気で、ガラスの器に注がれた麺つゆに、小皿には薬味の葱とわさびが置かれていた。そして小ぶりの塩にぎりがふたつ、俺には用意されていた。
 きっと素麺だけでは物足りないと俺を気遣って、わざわざ握ってくれたんだろう。こういうさり気なさにまた煩悩が生まれそう。

「夏生、どうした?」
「ううん、なんでもないよ。ご相伴に預かります」

 俺はそう言ってようやく席に着いた。そして俺達は自然と手を合わせ「いただきます」と、夕飯を食べ始めた。
 葱をたっぷり、わさびをちょっとだけ溶かした麺つゆに素麺をくぐらせて食べれば、よく冷えた素麺がちゅるりと喉を通っていく。 

 ……おいしい。やっぱり日本の夏は素麺だなぁ。

 俺はそう思いつつ、無言でちゅるちゅると素麺を食べていく。でもそんな折、つけっぱなしのテレビからアナウンサーの声が聞こえてきた。どうやら夏の花火大会の特集をしているようだ。

「花火大会、もうそんな時期なんだね」

 テレビに視線を向けつつぽつりと呟けば、京助さんは俺に尋ねた。

「夏生は友達と夏祭りとかに行かないのか? 大学も夏休みだろ?」
「ん? 今のところ、そういう話はでてきてないかな」

 俺は友達とのやり取りを思い出して答え、逆に尋ねてみた。

「そういう京助さんは?」
「仕事で忙しい」

 京助さんは素麺を食べながら短く答えた。でも、その台詞に俺は顔を顰める。

「きょーすけさん、いっつもそればっかり。たまには外に出た方がいいよ?!」
「何言ってるんだ、外に出てるだろ。一昨日だって」
「それってスーパーへ買い出しに行っただけじゃん!」
「別にスーパーだけじゃ」
「あとは時々ジムに行くだけじゃん。京助さん、ちょっとインドアすぎだよ。たまには外の空気も吸わなきゃ」

 俺は注意するように言うけど、京助さんはしれっとした顔を見せた。

「インドアじゃない物書きがいるか」
「そうかもしれないけどー」

 俺は返事をしつつ、京助さんがちょっと心配になる。だって京助さんってば本当に家から出ないんだ。作家と言う仕事柄なのはわかるけど、スーパーとジムの往復のみっていうのは、やっぱり良くないと思う。なので、俺は閃いた。

「じゃあさ、俺と一緒に花火大会にいこ!?」
「は?」

 京助さんは素麺を食べようとしてたけど、その手を止めて俺を見た。

「来週ある花火大会、一緒に行こうよ!」
「どうして俺と。そういうのは友達と行った方が楽しいだろ」
「俺は京助さんを誘ってるんだけど」
「こんなおじさんと一緒に行ったって、何にも楽しくないぞ」
「そう言って、面倒くさいから家から出たくないんだ」

 俺が指摘すると京助さんは目を逸らした。つまりは図星ってことだ。

「なんでも面倒くさがってちゃダメだよ。たまには息抜きしなくちゃ。それにほら、小説のネタ? にもなるかも。ね、だから来週一緒に行こうよ。場所だってそんなに遠くないんだし! ね?!」

 俺がちょっと強引に誘えば、京助さんは少し考えた後、はぁっと息を吐いた。

「わかったよ……。俺と一緒に行っても楽しいとは思えないけど」
「本当?!」

 誘ったのは俺だけど、出不精な京助さんがまさかOKを出してくれるとは思っていなかったので、ちょっと驚いて声を上げる。すると京助さんは片眉を上げた。

「なんだ、社交辞令だったか?」

 京助さんに尋ねられて俺は首をぶんぶんっと振る。

「そんなわけない! 行くって聞いたからね!?」
「ああ。来週、予定を空けとく。でも、俺と一緒で楽しめるか?」
「もちろん! 俺、楽しむ自信がある!」

 俺が元気よく答えると京助さんはふっと笑った。

「はいはい、わかったよ」

 京助さんはそう言って、止めていた手を動かして素麺を食べた。そして俺も塩にぎりをもぐっと頬張る。でも、心の中は人様に見せられないほど浮足立っていた。

 ……きょ、京助さんとお祭りデートだーッ! やったーーーーっ!!

 さすがに声には出さないけど、俺は心の中で何度も叫び、飛び跳ねた。 







 ―――――でも、京助さんと一緒に行けることがあんまりにも嬉しくって、俺は気がついていなかった。
 出不精な京助さんが俺が誘ったからと、一緒に行ってくれるなんておかしいって事に。普段だったら『友達と行った方がいい』と言って、取り合ってくれないのに。


 それが最初のサインだと、俺はわからなかったんだ。
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