シーサイド・ログ

令和8年、7月。
 湘南の海は、かつてのような「灼熱の社交場」というよりは、SNSに最適化された「映える背景」と化していた。
 都内の広告代理店で、クライアントの無理難題に「検討します」という名の逃亡を繰り返していた**浅海 颯(あさみ はやて)**は、30歳を目前にして、突然の無力感に襲われていた。手元には、半年前に別れた彼女との思い出が詰まった、通知の来ないスマートフォン。
 「……バグだよな、これ」
 彼は独りごち、愛車の古いジムニーを走らせた。向かった先は、亡き祖父が遺した三浦半島の端にある古びた海の家兼民宿『シーサイド・ログ』。
 到着した颯を待っていたのは、潮風で剥げかけた看板と、砂浜に座り込んでMacBookを叩く一人の男だった。
 「お、新しいオーナー? 悪いけど、Wi-Fiの調子が最悪なんだわ」
 男は藤原 湊(ふじわら みなと)。大手IT企業をドロップアウトし、フリーのエンジニアと称して各地を転々としている、掴みどころのない自由人だ。
 「勝手に住み着いてるのかよ」
 「家賃の代わりに、このボロ宿のシステム改修を請け負ってる。今のところ、予約システムは『手書きのノート』だけどな」
 颯の神経質な真面目さと、湊の飄々とした軽薄さ。対照的な二人が顔を合わせた瞬間、夏の熱気が一段階上がったような気がした。
 そこへ、一台の電動キックボードが波打ち際を滑るように現れた。
 「ちょっと! そこの二人、宿の再開準備って聞いてるけど?」
 ヘルメットを脱ぎ、汗を拭いながら現れたのは成瀬 渚(なるせ なぎさ)。地元の観光協会で働く彼女は、幼い頃この『シーサイド・ログ』で颯と遊んだ幼馴染だった。かつては追いかけっこをしていた少女が、今では凛とした大人の女性として、強気な視線を颯に向ける。
 「颯、本当に戻ってきたんだ」
 「……ああ、まあ、夏の間だけな」
 「湊さんも! 仕事してないなら、この『海びらき』のポスター、町中に貼ってきて!」
 
 再会した幼馴染、居座る風来坊、そして燃え尽き症候群のサラリーマン。
 
 夜、三人は『シーサイド・ログ』のデッキに座り、コンビニで買ったビールで乾杯した。
 「令和になっても、結局ビールは美味いな」と湊が笑う。
 「明日から、どうするの?」と渚が尋ねる。
 颯は、暗い海を見つめながら答えた。
 「とりあえず……このボロ宿、本気で直してみるよ」
 スマホの画面は相変わらず静かだったが、波の音だけが、かつて忘れかけていた胸の鼓動のように響いていた。
 友情とも恋とも呼べない、何かが始まる予感。
 三人の「ログイン」できない夏が、今、静かに幕を開けた。
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