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28 初めての感情(※シャルル視点)

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 生まれ落ちたその日から、私を取り巻く世界はモノクロームな色で埋め尽くされていた。

 アーデルハイト王国の宰相閣下レニス・グロスター――父親との親子の確執が私の世界から色を奪っていたのだと今なら判る。

 私の名前はシャルル・グロスター。
 グロスター伯爵家の嫡男として生を受けた私の傍には、ふと気が付けば屋敷の使用人しかいなかったように思う。
 産後の肥立ちが悪く、私を生んで直ぐに亡くなった母親と、赤子の私を持て余して全ての世話を使用人任せにした父親。
 愛する妻の命を奪った赤子が憎かったのか、それから父は殆どの時間を王宮の執務室で過ごすようになった。

「お父様に会いたい…。お父様は僕の事がお嫌いなの?」

 まだ幼かった私は、泣きわめいては執事長や乳母に宥められる毎日を繰り返していた。

「旦那様は、奥様を亡くした心の傷が癒えていないのかもしれません。シャルル様の事は大切に思っていらっしゃいますよ」
「シャルル様がグロスター家の嫡男として、しっかり成長なされば、きっと旦那様もお喜びになられます」

 彼らも、私たちの冷え切った親子関係にはほとほと疲れていたのだろう。
 そんなありきたりな慰めに、それでも幼かった私は希望を見出し座学や剣術に随分と精を出した。
 特に座学に秀でていた私を、家庭教師は『流石は宰相閣下のお子様だ』と誉めそやしてくれたものだ。
 それを久しぶりに帰宅した父へと、得意満面で報告した私は幼く―― そして愚かだった。

「お前はグロスター家の嫡男なのだから、出来て当然のことを私に報告する必要は無い。ディミトリ殿下の御為に慢心することなく努力しろ」

 ――そう冷たい目で見下ろした父は、振り返ることも無く書斎へと去って行った。

(…僕は一生懸命に頑張ったのに。やっぱりお父様は僕の事が嫌いだから認めてくれないんだ…)

 その場でポロポロと零れる涙を拭う事も出来ず、その晩は乳母たちに宥められながらベッドへと入った事を今でも覚えている。

 そんな調子で、破綻しかけていた親子関係は、私がある程度成長し、今まで心の拠り所でもあった乳母が解雇されたことで完全に破綻した。

「お前は何れ、グロスター伯爵家を継ぐために相応しい令嬢と添わねばならん。いつまでも子供のように甘えた性根を助長させるような傍仕えは必要ないだろう」

 年老いていた乳母は、私との別れを惜しんで涙を流してはくれたが、孫娘と一緒に生まれ故郷で暮らすのだと、最後は微笑みを見せて去って行った。

(…結局、私よりも血の繋がった家族が大事なのか…。私など誰からも愛されないのだ)

 ――長い時間を掛け、ゆっくりと世界は色褪せ、大切なモノなど何もないモノクロームな世界だけが私を取り巻いていった。
 人生に敷かれた一本の道の上を只、淡々と進むだけの毎日に、何の喜びさえも生まれる余地はない。

 王宮舞踏会の社交デビュタントでは、父の決めた家格の相応しい令嬢とワルツを踊ったが、何度思い返してもその令嬢の顔が朧げにしか思い出せない。
 王宮のサロンで逢瀬を重ね、何度か唇を合わせてもそれは只の行為でしかなく、そこには何の感情も生まれないことを知った。
 その令嬢は会うたびに、私の外見が美しく聡明だと誉めそやすけれど、やがては衰えるだけの外見にどれ程の価値があるというのだろうか。
 虚しさに囚われながら上辺だけの笑みを浮かべると、頬を染め上げる大勢の令嬢たちにさえ吐き気がする。見せかけの笑顔で満足する様な輩の為に心を動かす必要性は感じない。――きっと、私は人を愛するという事が判らない、壊れた人間なのだろう。

 だから、王宮舞踏会場でもディミトリ殿下のお役に立てる人材を探すことだけに、シャルルは重きを置いていた。
 できれば人から嫌悪感を抱かせないタイプが良いだろう。
 口が上手ければ外交官として、学問に長けるならば文官として、今から使える人材を確保しておくことに越したことは無い。
 今年デビュタントの令息は我々と同い年になるため、王立学術院でも学友となる。
 今後、殿下の駒として使える有能な人物であれば、上手く付き合うのが得策だろうと、舞踏会で将来の伴侶を見つけようと血眼になるご令嬢以上の熱量を持って、シャルルは注意深く様子を覗っていたのだ。

 国王陛下に謁見するため、登壇して来るデビュタントしたての貴族令息たちを、間近で観察できる立場なのは、正直ありがたかった。
 しかし、予想以上にぱっとしない人材ばかりで、今回は無駄だったと思っていた矢先に現れたカールに思わず息を呑んだ。
 国王陛下に対峙しても物おじをしない話ぶり、礼儀作法、そして人目を引く外見の全てが殿下の側近として相応しいと思えてならなかった。

(しかし、今まで一度も見たことの無い貴族令息なのが気になる。これだけ人目を引くのに、見落としていたとは考えにくい)

 些か疑問に感じながらも、ディミトリ殿下にカールを推挙し、人となりを見極めるためにお茶会へと招待した。
 しかしカールは王宮への招待を、何故かのらりくらりと躱し続け、やっと参加したお茶会当日も、男色家のドルディーノ子爵に目を付けられるという惨澹たる結果になった。
 カール自身も王宮に不快なイメージを持ったらしく、もう二度と来ないと言い出したのにはシャルルを慌てさせた。これから駒として育てる計画が台無しでは困る。
 だからドルディーノ子爵にはしかるべき措置を取ったし、カールを側近として手元に置きたいというディミトリ殿下の意向をくんだ形で病弱なルイスを盾に王宮へ縛り付けたのだ。

 役に立てる間は使ってやろう。
 我々に反目するのなら、彼は身分も低いし、その場で切り捨てれば良いだけの話だ。

 それだけの駒のつもりで迎え入れたカールは、ディミトリ殿下に対しても、必要であれば平気で意見を述べるような人物だった。
 好奇心旺盛で、クッキーの作り方も自分で知りたい、やってみたいと何でも行動に移す。
 その上、エルベ領主の長年にわたる脱税まで、王宮使用人の話を元に見抜いてしまう、その働きぶりには瞠目するしかない。
 王宮に長年勤めあげている文官まで汚職されていた事実や、監査の改革にまで発展させることを成し遂げておきながら、褒章を辞退する態度には、舌打ちするぐらいにはシャルルを苛立たせた。
 長年の努力を飛び越えて、短い間に人から愛され信頼されるカールが目障りで、それなのに気になっては目で追ってしまう自分の感情がもどかしくて腹立たしい。

 その上、私が焦がれてやまない父の関心も、カールはあっという間に手に入れた。

 『お前に用は無い』と告げたその口で、カールだけを連れて行こうとする父に、どうしようもなく、やるせない思いが募った。
 彼が戻るのを待ち続けた私に、ディミトリ殿下が気まずそうに告げた『カールは尋問が終わり、既に帰宅したようだ』という言葉がどれ程の絶望だったか…。
 まさか、そこまでカールにとって自分が軽い存在だとは思ってもみなかったし、その事に衝撃を受けている自分も酷く滑稽に思えた。

 精神的な疲労からか、重い体を引きずって家に帰れば、父が書斎で私を呼んでいると使用人から伝えられて随分と驚いたものだ。

(今日のカールとの対話の内容を聞かせてくれるのか?もしや父の不興を被ったとか。…彼が約束を破ったのも何か事情があったのかもしれないし…)

 慌てて向かった書斎で、仏頂面を見せる父が赤い顔をして「私達には対話が足りないようだ。腹を割って話をするために、今日はとことん飲み明かそう」と言い出したのにも度肝を抜かれたが、どうやら父は既に酔っているらしく、吐く息からはワインの香りがふわりと香る。

(これは…王宮で既に酒を嗜んでいるという事か?そうなると、カールも一緒に飲んで酔ったせいで私との約束を忘れた可能性が高いか…?)

 約束を破られたという事実よりも、何か理由があったのではと必死に言い訳を考えるあたり、自分は一体どうしたというのだろう。見えそうで見えない自分の感情が酷くもどかしい。
 その晩、酔った父と沢山の話をして、一緒に飲んだ貴腐ワインは上質なものだったはずなのに、酷く後味が悪かった。


 翌朝、私から隠れるカールを引きずって人目の無い場所で事情を尋ねると、あっさり「父から相談を受けた」と口を割った。

「宰相閣下はシャルルの事を愛しているよ。ただ、接し方が判らず遠巻きにし過ぎただけだ。だからゆっくりでも良いから、お互いに判り合っていけば良いじゃないか」

 そんなことを優しい顔で訳知り顔に言うカールが憎くて――愛おしくて、無理やり腕の中に抱き込んだ。
 思ったよりも細い肩口に顔を埋めると、何故だか甘い香りに心が騒めく。
 カールの柔らかな手が私の髪を撫でるたびに、心の中が暖かいもので満たされていくような気がする。そう思ったら、彼の表情が見たくて堪らなくなった。

 顔を上げ、彼と視線が絡んだ瞬間、どうしようもない衝動に突き動かされて、そのままカールの唇を噛みつくように奪ってしまった。
 柔らかで温かいその唇は、どれだけ貪っても足りる事を知らず、私は夢中になって逃れようとするカールを抑え込んだ。
 ――まさか、目の前に火花が散るほどの頭突きをくらうとは、予期できなかったが。

(…私は、今…カールを相手に何を…していたんだ…)

 我に返った私は、切れた唇に広がる鉄の味に、どうやらとんでもなく不味いことをやらかしたようだと悟った。しかし、やってしまったものは取り返しがつかないし、どう取り繕えば良いのかが判らない。
 咄嗟に口から出た言葉が「何で貴方はそう乱暴なのですか‼おかげで唇に歯が当たって血が出たでは無いですか⁈」とカールのせいにするような台詞だったのだから、我ながら情けない。

 どう抗弁したら良いのか判らず、逡巡している隙に『私はシャルル様の婚約者じゃ無い‼』とカールは身を翻して走り去ってしまった。

(…そんなことは百も承知だ…。カールは私のものではないし、私を愛してはいない…)

 血の滲む唇に手を当てると、ツキリと痛むのと同時に、先ほどまで触れていた熱を思い出すとじわじわと喜びの感情が胸を支配していくのだから、私もどうしようもない男だ。

 宛がわれた婚約者と重ねた唇では一度だって感じたことの無い熱情が、今は心を満たしている。
 冷めることの無い熱が頬を熱くし、何度でも触れて私の物にしてしまいたいと願うのは――罪なのだろうか。
 一度知った熱情を忘れる事は難しく、彼だけが私のモノクロームの世界の中で鮮やかな色彩を放つのだから、もう後戻りできそうにない。

 私の世界が輝きに満ちる時、隣に立つのは彼が良いと…心からそう願った。
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