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98 逃れられない呪縛

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「カールを名乗っている貴女の本名がルイーセ・ティーセル男爵令嬢だということを、父はとっくに承知済みですわ。私が貴女に懸想していると知り素性を調べておりましたもの。その上で側近としての働きぶりや慧眼を父も高く評価し『男ならば爵位に関わらず婿に迎え入れても損はない逸材だったのになぁ…惜しい』と嘆いておりましたから。ただ、それとこれとは別だと私には貴女を諦めるよう強く進言されましたが」

 不服気に肩を竦めるエレノアと違い、父親の方は随分とまともな感性をお持ちのようだ。その当たり前の反応にホッと安堵したのもつかの間、彼女は「でも…」と顔を上げる。

「貴女の素性を探るうちに、ティーセル男爵家が過去に辺境伯としての責を負っていた事実と、公にはアーデルハイド王家所有の “国土防衛騎士団”が、今現在もティーセル家の有する事実を知り、考えをコロリと変えましたのよ」

 祖父ジョセフ・ティーセルが王家と対立して以来、国境に領土を構える我が家には王家から直々に国土防衛騎士団が派遣されている、という事になっているらしい。
 真実を知る者はごく少数のはずなのだが、どうやらそれもルマール侯爵に露呈したようだ。

「王国随一の軍師だったと今も賞賛されるジョセフ指揮官が残した“国土防衛指南書”は王宮騎士団長以上でなければ目にすることは敵わないと噂されていたのに、肝心のお宝はひっそりとティーセル家で継承されていたのですもの。その価値は値千金。貴女との婚姻でそれを目にすることが叶うのならと、父も掌を返して私達の婚姻に賛同してくれたのですわ。王家以外に私的軍事力を有する事を禁じられているせいで、国内には優秀な指揮官が余っておらず父もほとほと困っておりましたの。腕が立つだけの烏合の衆が集まったところで役には立ちませんから尚の事。まさか私の愛した御方がその全てを解決する糸口になって下さるなんて………まるで夢を見ているようだわ」

 ……確かに悪夢を見ているようで目眩がする。
 利潤追求の鬼と称されるルマール侯爵ならば法を犯し足枷にしかならない私を切り捨てる手助けをしてくれると思っていただけに大誤算だ。

 しかも生憎な事にルマール侯爵が欲する “国土防衛術指南書”自体にも心当たりがある。
 ジョセフお爺様が生前肌身離さず持ち歩いていた本の事だろうと思うが、夜毎に子供部屋へやって来ては頁を捲り、やれ地形に則した陣形配置の手引きだの、小人数制限時の各個撃破戦略だのと寝物語のように聞かされた記憶がある。この時ばかりはいつも青白い顔をしてベッドの上の住人だった兄様が楽しそうに目を輝かせ、話に聞き入っていた事を併せて思い出した。
 祖父の口癖は『戦争の粗暴さを厭うあまりに、その本質から目を逸らす事勿れ』だったが、これも自ら戦火を招かずあくまでも防衛に特化するという己への訓示だったのかと今になれば感慨深い。まあ、子供の寝物語扱いされていた防衛術指南にそこまでの価値がある事自体を今日初めて知ったのだが。

 しかし、こうなると本気で性別を偽ったまま私はルマール家の婿にされてしまう。何でも良いから彼らの気持ちを変える手立ては無いものか…と暫し頭を捻ったところで「私達では血の繋がった子を生せない。侯爵家に血の繋がった後継を残せない以上、やはりこの婚姻には無理がある」と思いついたのだが。

「フフフ…その程度の些末な問題など気にするまでもございませんわ。この世には子を生せない夫婦など幾らでもおりますし、血の繋がった後継に拘るのでしたら、親族から優秀な男児を養子に迎え入れれば済むだけの話。でも貴女似の子が欲しいと仰るのなら、少々厄介ですがルイス様から子種を頂いて私が身籠ることも可能ですわ。彼なら目を瞑って抱かれればそこまでの嫌悪を抱くこともなさそうですし。ウフフ…我ながら名案。都合の良いことにルイス様と交際しているあの女も、今頃は別の男性から求婚を受けて頷いている頃ではないかしら」

 うら若き侯爵家令嬢が口にする台詞とは思えない明け透けさに、思わず言葉を失ってしまった。
 いやいやいや、ルイスを種馬扱いする爛れた発想とか、私が子を欲しがっている様に言うなとか、言いたいことは山ほどあれど、一番の問題点はそこではない。

「…まるでマリアーナがどんな目に遭っているのかを知っているような口ぶりだね。何故公にされていない王宮での公務をエレノアが知り得ているのかを教えて貰えないかな」

 考えてみれば今回のバルディーノ教皇の急な表敬訪問はおかしなこと尽くめだった。向こうから断定的に聖女が奴隷のように扱われていると一方的に謁見の日取りを取り付け、最初からマリアーナに会う事だけを目的にしたような頑なな態度の全てが誰かの手引きだとしたら………。
 その答えを持っているのがエレノアなのか、それともルマール侯爵なのかまでは判らず、真意を見抜こうとその瞳を見据えていると、暫く後、彼女は諦めた様に嘆息すると微笑みながら頷いた。

「……浮かれるあまり軽率に口を滑らせましたわ。フフフ……勿論存じ上げております。バルディーノ教皇様があの女に関心を持つよう仕向けたのは私でございますから」

 漠然とその可能性は頭にあったものの、いざ言葉にされると衝撃のあまり二の句が継げなくなる。それを目の当たりにしたエレノアは悪びれもせずクスクスと笑みを零した。

「元々、ルマール侯爵家とバルディーノ教皇庁とは敬虔な信者として懇意な間柄でしたの。先頃、教皇様が齢五十を過ぎられ、いよいよ後継問題でお悩みだと父に愚痴を零されたのを聞き及びまして『アーデルハイド王国で先頃覚醒された聖女様なら“神の花嫁”、そして教皇様の伴侶に相応しい女性だと思われます。近頃では王家から聖魔力を使い外交を成功させるようにとまるで奴隷のように扱われ、御心を痛める聖女様の姿を拝見いたしました。是非、教皇様の御威光で聖女様を悪辣な王家の魔の手からお救い頂き、お二人が身も心も結ばれることを心よりお祈り申し上げます』と申し添えただけの話。これに何の罪がございましょうか?まあ、聖女がうら若き乙女だと知った瞬間、色めき立った教皇様が王家に圧力を掛けたと聞いて、流石は噂に違わぬ助平爺だと笑いましたが。ウフフフフ……しかも聖女を娶れば己の地位も安泰、後継問題も片付くとあらばその熱心さも推して知るべしですけれどね。この縁談を断るのは一筋縄ではいかないと思われませんこと?」

 良心の呵責も後悔の念も感じさせないエレノアの非情ぶりに一気に血の気が引く。

 ―――事ここに至るまで、彼女自身を甘く見積もっていた事に歯噛みする思いだ。
 彼女は虎視眈々と計画を練り、逃げ道を塞いでいたというのに呑気に良い友人になれるかもと考えていた己のマヌケさを恨む。

 バルディーノ教皇庁は世界各国に信者を持つ信仰宗教国家であり、他国の重鎮や王族とも長年深い結びつきを持っている。それ故、教皇が一たび“神の託宣”を理由に婚姻を強行しようとすれば、その噂は海を越え、瞬く間に世界中を席巻するだろう。
 それを撤回するには教皇側を納得させる相応の理由が必要となる。アーデルハイド王国のみが抗ったところで、諸外国が教皇側に付けば状況は悪化の一途をたどるだろう。
 そこまで判っていて、教皇を焚きつけたのだとすればエレノアがマリアーナに向ける憎悪の激しさは如何ばかりのものか。想像するだけで身震いが出る。

「マリアーナに何の恨みがあってそんな事を………」

「この程度で済ませたことをむしろ感謝して欲しいぐらいだわ。本当ならいつも貴女の傍に居て、微笑みかけられるあの女が憎くて堪らない。八つ裂きにしてやっても飽き足りないもの。それを異国に追いやるだけで赦すのだから、慈悲深いとは思いませんか」

 その声音に見え隠れするのは私への妄執と、マリアーナに対する憎悪の念で。その異常な妄執で漸く過去の過ちを思い出した私は本当に愚か者だ。

 以前、恋人を作るつもりはないと告げた時、エレノアは取り巻きを使って私と恋人関係だと噂を流したことがあった。その手口と人間性に嫌気がさした私は「マリアーナを愛している。たとえ報われなくとも彼女以外を愛するつもりはない」とキッパリ彼女を拒んだ。それ以降、エレノアから接触された事はない。思い当たるのがそれぐらいしかない以上、それが原因だと推して知るべしだろう。
 本当に口は災いの下とはよく言ったものだ。

「……エレノアがもし以前の私の言葉のせいでマリアーナを憎んだのだとしたら、恨まれるべきは私だよ。もう互いに友人だとしか思っていないし、彼女を恨む必要なんてどこにも無いだろう?それでも赦せないと嘆くのなら私が責任を取り、貴女の目の前から消えるよ。王立学術院を自主退学し、領地に引き籠れば、煌びやかな社交界とも無縁の存在になるしね。だから…マリアーナを救ってくれないか」

 バルディーノ教皇庁と懇意な関係を結ぶルマール侯爵家の口添えがあれば、教皇も大人しく引き下がる可能性があるだろう。もうこれ以上私の嘘に巻き込み彼女を苦しませたくないと願う気持ちで告げた一言は、むしろエレノアの悋気に触れてしまったようだ。

「なにか誤解されているようですが、もうお目通りが叶った以上は我がルマール侯爵家でも嘴を挟む余地などございませんわ。後は野となれ山となれ……フフフ事態がどう動くのか見ものだと思いませんか?ああ、それと私は貴女を手放すつもりなど毛頭ございません。もし退学をお望みなら、直ちに妃殿下と貴女の罪を問う稟議書一式を王宮議会に宛て提出いたします。生き証人の貴女がいる限り、言い逃れは不可能。稟議が可決されれば、妃殿下は理事の地位をはく奪され王宮議会における承認権限も失権でしょうね。信用の失墜が今後どの程度他国との外交に影響を及ぼすかも楽しみですわ。妃殿下の後ろ盾を失い、孤立無援となったカール様は恐らく“ノブレス・オブリージュ”の精神を侵した罪を問われ、学術院を退学処分、更に未婚令嬢にも拘らず身分を偽り貴族令息のフリをした咎で、然るべき立場の貴族が身元引受人となり保護観察処分が妥当かしら。勿論、我がルマール侯爵家が名乗りを上げますわ。貴女も望み通り学術院を退学でき、私は生涯を貴方のお傍で過ごせる。…こんな結末をお望みでしたら、私は一向に構いませんわよ?」

 エレノアが口にした“Noblesse・oblige ―ノブレス・オブリージュ”とは高貴なるものの責務を指す。貴族として生まれ、財力や権力を持つものはその保持の為に責任が伴うという貴族の誇りであり精神を指す言葉なのだが、対外的にそれを穢したと彼女は詰っている訳だ。
 確かに高位貴族ほど誇りも矜持も高いものだが、王宮議会議員の殆どが高位貴族である以上、同じ判断を下す未来は想像に難くない。

 ……八方塞がりとはまさにこの事だろう。

 自主退学の道を選べば妃殿下と共に罪を問われて醜聞の監禁END、それを回避できても卒業と同時にルマール侯爵家に婿入りさせられ、ルイスを巻き込んだ婚姻END………完全に詰んだ。

 嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎるも、一向に上手い手立てが思いつかず溜息ばかりが零れる。
 いつも人に助けられ、窮地を乗り越えるたびにまた新たな試練に襲われて…こうして助けてくれた人たちまで苦しめる結果になるのもやはり私が“忌み子”のせいなのか。

 どうしようもなく心が弱気になって零れたのは「なんでエレノアは私に拘るの?…何の価値も無いのに…」という泣き言だけだった。

「私の想いを平然と“拘り”だと仰るカール様に王宮舞踏会で初めてお会いした日に運命を感じたからと言えばこの想いを受け止めて下さるの?たとえ王太子殿下の正妃の座と天秤にかけられても私はカール様を選びますわ。価値は貴女ではなく私が決めます。ねえ、この想いを受け止めて下さるでしょう?」

 こんな運命はいらないと突っぱねる事も出来ないぐらいの激しい妄執。愛を囁かれているはずなのに、そこに私の意思を挟む余地など無い。これはエレノアにとって最早決定事項でしかないのだろう。
 それに、彼女の言葉から想起されたのはこの世界が乙女ゲームのシナリオに沿って動いている事実とエレノア・ルマール侯爵令嬢は本来ならディミトリ・アーデルハイド第一王子の婚約者兼ヒロインの敵役だったと告げたマリアーナの言葉だった。
 確か、王宮舞踏会の場でディミトリ王子との婚約が決まったエレノアが、王立学術院でヒロインを相手取り恋の鞘当てを繰り広げるとか言っていた気がする。
 ………つまり、王宮舞踏会で彼女が一目惚れするべき人物は私ではなく、ディミトリ殿下だったという事になるわけだ。何をどう間違ってこんな事になったのだろうか。

 こんな事になるのなら、やはり王宮からの召喚状を無視して兄様と二人大人しく領地に引き籠っておけば良かったと後悔しても後の祭りで。“バグ”の私が令息の真似事をしたせいでゲームが始まる前からシナリオを改変していたと考えると頭が痛い。
 いや………可能性だけなら“妃華”の魅了がエレノアを惑わせたという事も有り得るかもしれない。まあ、今更原因を追究したところで手の施しようがない事だけは事実だけれど。

 この時の私は精神的に限界を迎えつつあった。
 だからまた日を改めて話し合おうとエレノアに告げたのに、身を寄せて来た彼女は畳み掛けるように腕を掴んで体を引き寄せる。

「そんな悲しそうな顔をなさるのは止めて?私が虐めているようではありませんか。フフ…そう言えば、カール様は何故高位貴族ほど双子を“凶兆”だと疎むのか、その理由をご存じかしら?」

 ねっとりとした声で囁く眼差しからは仄かな棘と甘い毒が感じられる。耳を塞いでしまいたいのに、笑いながらエレノアはその毒を流し込んできた。

「その理由は多々あれど、やはり所有する領土の権利争いのせいでしょうね。容姿も年齢も差がない双子のどちらを選ぶかは親の一存ですもの。一人は親の庇護の下で全てを享受し、一人は厄介払いされる未来しかないのですものね」

 意図が掴めず相槌さえ打てない私に「お気づきになられませんか?」とエレノアは口角を上げる。

「私は只、ティーセル家の窮状を憂えているのですわ。本来なら令嬢の貴女は他家に嫁ぐ以外の未来はなかった。それなのに令息の真似事をした事で王太子殿下の目に留まり、知名度まで上げたのですもの。そのおかげでティーセル家の後継は貴女で間違いないだろうと、皆が噂していることをご存じかしら?もし期待を裏切りルイス様が跡目を継げば『優秀な兄弟を追い落とした惨めな後継』と社交界でも悪意を持って噂される事でしょうね。その時ルイス様は貴女を憎むのかしら?やはり凶兆の“忌み子”のせいだとご両親は嘆くのかしら」

 それを防ぐために、私が貴女を救って差し上げますわとニンマリ笑った顔は私には悪魔の囁きにしか感じられなくて。

「カール様はルマール侯爵家で後継の座につき、ルイス様が当初の予定通りティーセル家を継げば万事丸く収まりますもの。周囲もこれならば納得せざるを得ないでしょう? ……私の傍こそが貴女の幸せだとお気づきになって」

 それこそ詭弁だと語気を荒らげてやりたいのに、それが出来ないのは貴族社会にはその側面があることを知ってしまっているからに他ならない。
 戯言ではなく、私の行動がどれだけ家族にも影響を及ぼすのか考えが至らず、衝動のあまり動いたツケが回って来たのだとすれば、後継問題で後ろ指を指される兄様はどんな思いで今迄私と接してきたのだろう。

 それだけでも耐えがたいほどの屈辱を味わっているのに、エレノアの言葉は幼い頃の傷まで抉る。
 かつてロイヤルガーデンの園遊会で貴婦人から“忌み子”と蔑まれた遠い記憶がまざまざと甦った。
 
 ―――忌み子、凶兆、この娘が居なければもう一人の子は健康だったかもしれないのにお気の毒。

 あの日、忌まわしい記憶として封じたはずの想いが呪いのように何度も蘇っては私を苦しめるのだ。恐らく、この国で―――エレノアの傍で過ごす限り、私はその呪縛に囚われ続けるのだろう。
 

 永遠に。 
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