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嫉妬

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「さて、困った。どうしよう」

風呂場で一人、膝を抱えて自問自答する。
仕事は上手くいっている。子供達も随分と育ってきている。ベリアルとの同居も何の問題もない。

……問題ない事が、問題だ。

黒猫だった頃ならまだしも、人型の、立派な成人男性であるベリアルと同居していて、何の問題もないとは如何なものか。

私は王宮に行く事が多く、もっとすれ違いの生活が待っているかと思っていた。会えても月に数える程だろうと思ったのだ。だからこそ、ベリアルとの同居に同意したのだし。

しかし、蓋を開けてみれば。
何故か、王宮に呼ばれる事は激減し、作業場でも出来る研究的な実務や自宅でも出来る膨大な量の執務が振られる事が増えたのだ。
ベリアルも基本的には日帰りであるし、普通に朝夕の食事は一緒に食べるという事が習慣になった。
黒猫ベリアルの時の様にゆったりとした食事時間は取れないが、お互いに今日の出来事や街の話題で盛り上がり、おはよういってらっしゃいお帰りお休みの挨拶に頬への軽いキスが降ってくるのも、もういい加減慣れてされるがままだ。

……そんな事をしてくる、ベリアルの気持ちも良くわからない。
彼が私に好意を示してくれるのはわかっているが、黒猫だった時のスキンシップの延長かもしれないし、悪魔の基準かもしれないからだ。

自分は自分で、明らかにベリアルを意識しているのはわかっていても、「恋とは脳の錯覚だ」と考えていた過去の自分が「その好きは、本当に?情じゃなくて?」と問いかけてくる。

今の関係が居心地良くて、前にも後ろにも進めない。

ベリアルが好き……大好きであるのは、間違いない。
どうしても、異性として気にしてしまうのも、認める。

しかしそんな相手とずっと同居するのは、心臓が持たない。
ベリアルが微笑み掛ければ、柄にもなくときめいてしまうし、ベリアルが頬にキスをくれれば、嬉しさで心臓が跳ね上がる。抱き締めてくれれば抱き締め返したくなるし、私以外の女性と話していると、モヤモヤしてしまう。

──そう、嫉妬。
黒猫ベリアルにはなかった感情が、今のベリアルには沸き上がるのだ。

黒猫だったベリアルは、昔から良くモテた。
他の猫に囲まれれば「モテモテだね」って笑って言えたし、女の人や女の子が抱っこしても抱き上げても「可愛がって貰えて良かったね」と言えた。

しかし、今のベリアルが女性に囲まれていると、どうしても嫉妬してしまう。ベリアルは私のものではないのに、そんな醜い感情を持つのが嫌だった。今、ルプシーさんがベリアルの腕に自らのそれを絡めたら、私は笑っていられるだろうか?

──今日、街で見かけたベリアルの姿が脳裏に浮かぶ。



***



「貴方よね、あの時私を助けてくれたのは。ありがとう、お礼を言いたくてずっと探していたの」

ジュリアマリア様とお会いした帰り道、伯爵家の馬車で街まで送って頂きお気に入りのカフェで降ろして頂いたところで、ベリアルが女性と話しているのを見掛けた。

「ああ、ついでだったからな。気にするな」
「それで、あの……お礼にお茶でも、如何ですか?」

街娘の様な、けれども何処か異国風の綺麗な女性にベリアルは誘われていた。
ベリアルと街に出て、一人にさせると結構見掛ける光景だ。
いつもベリアルは、こうした誘いに「何故俺が、友人でもないお前とお茶する必要があるんだ?」と素で聞き、大抵撃退していた。
だから今回も、そう言って断ると思っていたのだ。
……ところが。

「あー、じゃあ、マージェのパイを奢ってくれないか?」と、何故か今日に限って言ったのだ。
私の目の前で、ベリアルと、ベリアルに寄り添った嬉しそうな女性は私のお気に入りのカフェに入っていった。

ベリアルが、誰と何処に行こうが、単なる同居人であり雇用主である私にはあれこれ言う資格などない。
だけど、何だか嫌だった。

胸のムカムカがおさまらず、私はカフェに寄る事なく自宅へ戻り、後から帰宅したベリアルが「お土産でマージェのパイがあるぞ」と言われても、素っ気なく「今忙しいから、要らない」と答えたのだ。

……ベリアルは何も悪くないのに、好意を無下にするなんて。


自分の顔に、ぱしゃん、と湯船のお湯を両手で掬ってかける。

醜く歪んでいく気持ちと、問題のない同居。
どんどん私の中で折り合いが付かなくなる前に、ベリアルに退去して貰おうと思っても、それすら上手く儘ならない。

「はぁ……」

私がため息を付いたところで、コンコン、と風呂場の扉がノックされた。
「はい?」
「ユーディア、長くないか?大丈夫か?」
「ごめん、大丈夫。今出るね」

しまった長湯しすぎた。
慌てて湯船で立ち上がった時、グニャリと視界が歪む。
「えっ……」
ザブン!と波しぶきと音をたてて、私はその場に倒れ込んだ。

「おい!開けるぞ!?……ユーディア、大丈夫か!?」
ベリアルが直ぐ様風呂場のドアを開け、駆け込んで来る。
「ユーディア……!?おい!おい!!」
私は、焦ったベリアルの声を遠くに聞きながら、意識を手放した。



***



コクン、と何かを喉に流されて嚥下した。
唇から何かが離れるのと同時に、瞳を開ける。

「ベリアル……」
「焦ったぞ、ユーディア。あと悪い、棚にあった回復薬勝手に使った」
膨大な執務をまわすために、栄養ドリンクさながら回復薬を自分用に置いていたが、ベリアルも良く気付いたなぁと思いながら御礼を言う。
「ううん、それは良いの。ありがとう」

起き上がろうとしても、ベリアルの顔が近くにあって起き上がれない。
いつからだろう、ベリアルの瞳をみても、先輩にそっくりだと思わなくなったのは。
先輩を思い出すと、ベリアルそっくりだと思う様になったのは。

肩がスースーしているのに気付き、視線を下げれば、私は素っ裸だった。
悲鳴をあげる直前で、ひゅ、と何とか息を飲み込み、胸元の毛布を両手でずり上げる。

着替えたいのにベリアルが出て行く様子はないので、チラリと顔を見れば、ベリアルはニヤニヤ笑っていた。

「……何?」
「いや。可愛いなぁと思って」

ベリアルのストレートな物言いに、顔が赤くなるのを感じた。

「今日、してたろ?嫉妬」
「……え?」
「今日、俺が女とカフェに入っていくの見て、嫉妬したよな?」
「……私に気付いてたの?」
「当然。あれだけ近くてユーディアに気付かないとかあり得ない」
「なら、どうして……」
私以外の女の人と、と言おうとして続けられなかった。
「ん?お前の弟子達が言ってたから。何で未だに単なる同居人なんだって怒られて、それは俺が聞きたい、こっちは沢山アピールしてるって言ったら、ユーディアはアピールなんかじゃ動かない、嫉妬させて自分の気持ちに気付かせろ、と」
「……はい?」
「いやー、今まで嫉妬なんてされた事ないから自信なかったが、本当にしてくれるとは思ってなかった」
「……私、やっぱり焼き餅妬いてた?」
「しっかり妬いてた。悪魔だから、嫉妬とか、負の感情には敏感なんだよ俺。ユーディアの嫉妬は最高だった。どす黒くなくて、真っ赤で綺麗だったよ」
ひいいいい!!恥ずかし過ぎて毛布を頭まで被る。

「ユーディア、ユーディア、顔見せて?」
毛布ごしに甘く囁かれて、胸がどくどく鳴る。
「ユーディア、好きだよ。俺も、嫉妬してくれる位には好かれてるって、自惚れても良いか?」

ああ、もう駄目だ。
もう、偽れない。
私は、そろそろと毛布から目元まで顔を出して、涙目になりながら言葉を紡いだ。
「……自惚れじゃないよ、大好きだよ、ベリアル……」
「ユーディア!」
満面の笑みを浮かべたベリアルは、私の毛布を下げて、両手で私の顔を包む。
そして、そっと……初めて唇に、キスを落とした。
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