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本編
大事な姉に彼氏ができた
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「初めまして。暁、て呼んでね」
私の彼氏、と唯一無二の姉から紹介されたのは恵夢より頭ひとつ背が高くて、ごついと言うわけじゃないが鍛えているのかしっかりとした体幹で胸板も厚い、甘い顔立ちの色男だった。
彼氏ってどういうこと。いつの間に知り合ったの。なんで付き合う前に教えてくれなかったの! 言いたいこと聞きたいこと、数えればキリがない。
呆然と、玄関先に立ち尽くす恵夢に、鳴現は眉を寄せて困った顔をする。そんな顔させたい訳じゃないのに、うまく感情を処理できない自分が憎い。
「恵夢君、だよね? お姉さんからよく聞いてるよ。よくできた可愛い弟なんでしょ?」
にっこり、と浮かべた笑みは女の子であれば見蕩れるだろうが生憎と恵夢は男だ。男から見てもカッコイイとは思うがそれだけだ。それ以上でも以下でもない。ただ姉を奪う憎い男だ。
口を開けば罵倒しか出てこない気がする。そんな無様なところを大好きな姉に見られたくない。ムスッと口を引き結び、靴を脱いで部屋に上がる。姉と男の横をすり抜けて自室に向かった。
「嫌われちゃったかな」と後ろから聞こえた声に苦虫を噛み潰す。嫌いだ、大嫌いだ。姉さんを奪ってく奴なんか大嫌いだ。
部屋に入って、スクールバッグを床に放る。中身が飛び出るとか今更だ。
「なんだよ、アイツ……」
姉さんに彼氏ができるのは初めてじゃない。
鳴現の好みのタイプは綺麗めの、整った容姿をしていることだ。男臭すぎるのは嫌、見ていて幸せになれるのがいいの、だからめぐちゃんは私のタイプどストライクなんだけどなぁ。心底、姉弟で生まれてしまったことを後悔した。けれどそれで姉弟じゃなかったら自分は後悔をするんだろう。
好きなタイプ云々の話であれば、それこそ暁は姉の好みドンピシャだ。けれど、どうせ、一週間ももたないに決まってる。ベッドで不貞寝する恵夢は思う。まさかそれが覆されることになるなんて、思うはずもなかった。
季節は秋。長かった残暑がようやく終わり、十月が始まった。
ここ一カ月の恵夢の機嫌は過去最悪だ。眉間の皺は二割増しで、黒いオーラを振りまいている恵夢に仲の良い友人たちも声をかけるのは躊躇った。
帰りのホームルームも終わり、バッグを持って立ち上がった恵夢を呼び止めたのは隣の席の信野だ。短く刈り上げた黒髪の爽やかスポーツ男子の信野はにかっと笑って「土岐はどれがいいと思う!?」と若干押し気味にページを開いた雑誌を見せてくる。
「……えー、ぶいだんゆうとくしゅう?」
反射的に、見せられたページにデカデカと書かれていた文字を声に出して読んでしまった。
AV男優特集? なんだそりゃ。明らかに高校生が買っちゃいけないような雑誌を持ち込んでる爽やか信野に呆れた視線を送る。
周囲のクラスメイトたちが、まさかそういうのに興味無さそうな恵夢の口からAVなんて言葉が出てくるとは、と驚きをあらわに聞き耳を立てていることには気づかなかった。
「田中とか他の奴にも聞いたんだけど、土岐にはまだ聞いてなかったなって思って」
「ちょーくだらない」
「そんな事言うなって! ほら、なんか今日ずっと機嫌悪そうにしてたから気分転換にと思ってさ!」
どんな気分転換だよ、と小さくぼやきを零して、興味本位にページに目を落とす。
二ページに渡って人気の男優をランキング付けしており、数行のコメントが載せられている。「チャームポイントはアソコの反り♡」目についたコメントに眉根を寄せた。どれもこれも下品なコメントで、こんなものを読んでる信野に軽蔑の目を向けた。
どこまでも冷たく凍った視線に晒された信野は顔を引き攣らせてなお、どれがいいと思う? と聞いてくる。
「僕は、信野は信頼に置ける奴だと思っていたんだけど」
「んだよ、俺たちの仲だろ?」
「どんな仲だよ……。それで? どれがいいっていうのは?」
「なんだかんだ言って付き合ってくれるめぐちゃん好き!」
「めぐちゃん言うな、殺すぞ」
そう呼んでいいのは姉さんだけだから、と人ひとり刺殺しそうな瞳に信野は両手で顔を抑えて俯いてしまった。まったく、女々しい奴だ。口に出したら「お前に言われたくねぇよ!」と逆切れされること間違いなしなので言葉には出さずに心にとどめておく。
「男として、どの男優が一番かっこいいかなーって。ちなみに、一番人気はコイツね。ワイルド! 野性味あふれる! 男前! 三拍子そろった超人気男優だぜ」
「あっそ」
興味ないね、と信野が推してくる男優から視線を外して、なんとなしに次のページを捲ってみる。
「あっ」と信野から不穏な声が聞こえたが、気にするような恵夢じゃない。そのままページを捲れば紫やらショッキングピンクやら、やけに厭らしい色合いで「ゲイビ男優ランキング」と書かれていた。
「ゲイビ? AV男優と何が違うの?」
「えっ!? あ、え? ゲイビ知らない?」
驚いた様子の信野に、恵夢は不快に眉間の皺を深める。
シスターコンプレックス、俗に言うシスコンの恵夢は最愛の姉が第一優先。知識としてアダルトビデオの存在を知ってはいても見たことはない恵夢が、さらにマニアック(というのだろうか)なゲイ物を知っているはずがなかった。
自慰すらも週に一度、するかしないかというほど性に淡泊な恵夢は純粋な疑問から「ゲイビって何?」と普段の会話の声音で信野に聞いてしまう。会話に聞き耳を立てていたクラスメイトたちはもちろん、聞こえてしまうわけだ。
クラスの女子はかすかに頬を赤らめてこそこそと内緒話をして、それほど仲良くない男子はこいつまじか、とでも言いたそうな顔で盗み見をしている。
「えー、あー、男同士がヤッてるAV、みたいな?」
「男同士?」
驚愕に片眉を跳ね上げた。なんとも、言いようのない感情が胸に広がる。
姉さんの彼氏。暁が脳裏に思い浮かんだ。そして憎しみを込めて雑誌の、ページを見る。
ゲイビ男優ランキング! 堂々の一位はやっぱりこの人! 椎奈アキ! 魅惑の甘いマスクに腰砕けの声。しかしながらその裏側を覗けば肉食獣のように欲を貪る男!
信じられない。信じたくない。椎奈アキという名前の男優は――どこからどう見ても姉さんの彼氏だった。
「椎奈アキが気になる?」
ハッと、ぬかるみに嵌りかけていた思考を浮上させる。
「……別に」
「百八十八センチの高身長イケメンとかいいよなー。俺ももうちょっと身長欲しかった。あと二センチあれば夢百八十代!」
「……それは、僕に対する嫌味かなにか?」
「アッ。……百六十六だっけ、土岐って。そういえば、二十二センチ差ってセックスしやすい身長差らしいぜ」
それが何、と口に出しかけて椎奈アキもとい暁(恵夢の中では同一人物確定)と自分の身長差が二十二センチだという気づきたくなかったことに気づいてしまう。あまりにも嫌な顔をしていたのだろう。信野が苦笑を漏らした。
「にしても、椎名アキかー」
「勝手に決めないでくれる。……ねぇ、この雑誌ちょっと借りてもいい?」
「俺んじゃねえから別にいいけど」
借りパクはしないから安心して、と雑誌をカバンに入れた。姉は友達と遊びに行くと言っていた。帰れば、嫌でも暁とふたりきりだ。『これ』をネタに詰って、別れさせてやる。
一応、後で姉さんに確認しよう。一ヶ月、確かに持った方だとは思うが姉さんの気持ちは離れ始めてる。付き合いたては毎日のようにベタベタイチャイチャして目の毒、殺意しか抱かなかったがこの一週間、暁は当たり前のように我が家に居座っているが姉さんは友達と遊ぶのに忙しいし、なぜか、どういうわけか二人で夕飯を取っている。本当に何でだ。
高身長イケメン、それなりに頭も良くて、腕っぷしが強いのも確認済み、その上料理までできるなんて勝てる要素がひとつもないと理解せざるを得なかった一ヶ月だった。一ヶ月の後半は姉よりも自分と過ごしていた時間の方が長いんじゃないかと思う。
また明日、とクラスメイトたちに別れを告げて教室を出た。足早に、これでようやく姉さんの隣から悪い虫を排除できると浮かれていた恵夢は、「ごめん土岐」とうなだれ謝る信野に気づくことはなかった。
私の彼氏、と唯一無二の姉から紹介されたのは恵夢より頭ひとつ背が高くて、ごついと言うわけじゃないが鍛えているのかしっかりとした体幹で胸板も厚い、甘い顔立ちの色男だった。
彼氏ってどういうこと。いつの間に知り合ったの。なんで付き合う前に教えてくれなかったの! 言いたいこと聞きたいこと、数えればキリがない。
呆然と、玄関先に立ち尽くす恵夢に、鳴現は眉を寄せて困った顔をする。そんな顔させたい訳じゃないのに、うまく感情を処理できない自分が憎い。
「恵夢君、だよね? お姉さんからよく聞いてるよ。よくできた可愛い弟なんでしょ?」
にっこり、と浮かべた笑みは女の子であれば見蕩れるだろうが生憎と恵夢は男だ。男から見てもカッコイイとは思うがそれだけだ。それ以上でも以下でもない。ただ姉を奪う憎い男だ。
口を開けば罵倒しか出てこない気がする。そんな無様なところを大好きな姉に見られたくない。ムスッと口を引き結び、靴を脱いで部屋に上がる。姉と男の横をすり抜けて自室に向かった。
「嫌われちゃったかな」と後ろから聞こえた声に苦虫を噛み潰す。嫌いだ、大嫌いだ。姉さんを奪ってく奴なんか大嫌いだ。
部屋に入って、スクールバッグを床に放る。中身が飛び出るとか今更だ。
「なんだよ、アイツ……」
姉さんに彼氏ができるのは初めてじゃない。
鳴現の好みのタイプは綺麗めの、整った容姿をしていることだ。男臭すぎるのは嫌、見ていて幸せになれるのがいいの、だからめぐちゃんは私のタイプどストライクなんだけどなぁ。心底、姉弟で生まれてしまったことを後悔した。けれどそれで姉弟じゃなかったら自分は後悔をするんだろう。
好きなタイプ云々の話であれば、それこそ暁は姉の好みドンピシャだ。けれど、どうせ、一週間ももたないに決まってる。ベッドで不貞寝する恵夢は思う。まさかそれが覆されることになるなんて、思うはずもなかった。
季節は秋。長かった残暑がようやく終わり、十月が始まった。
ここ一カ月の恵夢の機嫌は過去最悪だ。眉間の皺は二割増しで、黒いオーラを振りまいている恵夢に仲の良い友人たちも声をかけるのは躊躇った。
帰りのホームルームも終わり、バッグを持って立ち上がった恵夢を呼び止めたのは隣の席の信野だ。短く刈り上げた黒髪の爽やかスポーツ男子の信野はにかっと笑って「土岐はどれがいいと思う!?」と若干押し気味にページを開いた雑誌を見せてくる。
「……えー、ぶいだんゆうとくしゅう?」
反射的に、見せられたページにデカデカと書かれていた文字を声に出して読んでしまった。
AV男優特集? なんだそりゃ。明らかに高校生が買っちゃいけないような雑誌を持ち込んでる爽やか信野に呆れた視線を送る。
周囲のクラスメイトたちが、まさかそういうのに興味無さそうな恵夢の口からAVなんて言葉が出てくるとは、と驚きをあらわに聞き耳を立てていることには気づかなかった。
「田中とか他の奴にも聞いたんだけど、土岐にはまだ聞いてなかったなって思って」
「ちょーくだらない」
「そんな事言うなって! ほら、なんか今日ずっと機嫌悪そうにしてたから気分転換にと思ってさ!」
どんな気分転換だよ、と小さくぼやきを零して、興味本位にページに目を落とす。
二ページに渡って人気の男優をランキング付けしており、数行のコメントが載せられている。「チャームポイントはアソコの反り♡」目についたコメントに眉根を寄せた。どれもこれも下品なコメントで、こんなものを読んでる信野に軽蔑の目を向けた。
どこまでも冷たく凍った視線に晒された信野は顔を引き攣らせてなお、どれがいいと思う? と聞いてくる。
「僕は、信野は信頼に置ける奴だと思っていたんだけど」
「んだよ、俺たちの仲だろ?」
「どんな仲だよ……。それで? どれがいいっていうのは?」
「なんだかんだ言って付き合ってくれるめぐちゃん好き!」
「めぐちゃん言うな、殺すぞ」
そう呼んでいいのは姉さんだけだから、と人ひとり刺殺しそうな瞳に信野は両手で顔を抑えて俯いてしまった。まったく、女々しい奴だ。口に出したら「お前に言われたくねぇよ!」と逆切れされること間違いなしなので言葉には出さずに心にとどめておく。
「男として、どの男優が一番かっこいいかなーって。ちなみに、一番人気はコイツね。ワイルド! 野性味あふれる! 男前! 三拍子そろった超人気男優だぜ」
「あっそ」
興味ないね、と信野が推してくる男優から視線を外して、なんとなしに次のページを捲ってみる。
「あっ」と信野から不穏な声が聞こえたが、気にするような恵夢じゃない。そのままページを捲れば紫やらショッキングピンクやら、やけに厭らしい色合いで「ゲイビ男優ランキング」と書かれていた。
「ゲイビ? AV男優と何が違うの?」
「えっ!? あ、え? ゲイビ知らない?」
驚いた様子の信野に、恵夢は不快に眉間の皺を深める。
シスターコンプレックス、俗に言うシスコンの恵夢は最愛の姉が第一優先。知識としてアダルトビデオの存在を知ってはいても見たことはない恵夢が、さらにマニアック(というのだろうか)なゲイ物を知っているはずがなかった。
自慰すらも週に一度、するかしないかというほど性に淡泊な恵夢は純粋な疑問から「ゲイビって何?」と普段の会話の声音で信野に聞いてしまう。会話に聞き耳を立てていたクラスメイトたちはもちろん、聞こえてしまうわけだ。
クラスの女子はかすかに頬を赤らめてこそこそと内緒話をして、それほど仲良くない男子はこいつまじか、とでも言いたそうな顔で盗み見をしている。
「えー、あー、男同士がヤッてるAV、みたいな?」
「男同士?」
驚愕に片眉を跳ね上げた。なんとも、言いようのない感情が胸に広がる。
姉さんの彼氏。暁が脳裏に思い浮かんだ。そして憎しみを込めて雑誌の、ページを見る。
ゲイビ男優ランキング! 堂々の一位はやっぱりこの人! 椎奈アキ! 魅惑の甘いマスクに腰砕けの声。しかしながらその裏側を覗けば肉食獣のように欲を貪る男!
信じられない。信じたくない。椎奈アキという名前の男優は――どこからどう見ても姉さんの彼氏だった。
「椎奈アキが気になる?」
ハッと、ぬかるみに嵌りかけていた思考を浮上させる。
「……別に」
「百八十八センチの高身長イケメンとかいいよなー。俺ももうちょっと身長欲しかった。あと二センチあれば夢百八十代!」
「……それは、僕に対する嫌味かなにか?」
「アッ。……百六十六だっけ、土岐って。そういえば、二十二センチ差ってセックスしやすい身長差らしいぜ」
それが何、と口に出しかけて椎奈アキもとい暁(恵夢の中では同一人物確定)と自分の身長差が二十二センチだという気づきたくなかったことに気づいてしまう。あまりにも嫌な顔をしていたのだろう。信野が苦笑を漏らした。
「にしても、椎名アキかー」
「勝手に決めないでくれる。……ねぇ、この雑誌ちょっと借りてもいい?」
「俺んじゃねえから別にいいけど」
借りパクはしないから安心して、と雑誌をカバンに入れた。姉は友達と遊びに行くと言っていた。帰れば、嫌でも暁とふたりきりだ。『これ』をネタに詰って、別れさせてやる。
一応、後で姉さんに確認しよう。一ヶ月、確かに持った方だとは思うが姉さんの気持ちは離れ始めてる。付き合いたては毎日のようにベタベタイチャイチャして目の毒、殺意しか抱かなかったがこの一週間、暁は当たり前のように我が家に居座っているが姉さんは友達と遊ぶのに忙しいし、なぜか、どういうわけか二人で夕飯を取っている。本当に何でだ。
高身長イケメン、それなりに頭も良くて、腕っぷしが強いのも確認済み、その上料理までできるなんて勝てる要素がひとつもないと理解せざるを得なかった一ヶ月だった。一ヶ月の後半は姉よりも自分と過ごしていた時間の方が長いんじゃないかと思う。
また明日、とクラスメイトたちに別れを告げて教室を出た。足早に、これでようやく姉さんの隣から悪い虫を排除できると浮かれていた恵夢は、「ごめん土岐」とうなだれ謝る信野に気づくことはなかった。
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