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三章 湯泉宮と雲嵐の過去
17、旅の終わり
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湯泉宮を出た翠鈴たちは、町を歩いた。
日も暮れかけて、通りは淡い青に沈んでいる。ここでも紅灯籠が軒に連なり、ほんわりと赤く灯っていた。
「いつまでも体が温かいですね」
「しかし南方とはいえ、冬だからな。長居していると湯冷めするぞ」
店先で、細い竹のようなものを絞っていた。圧縮された幹は砕けて、その下に緑っぽい液体が器に入っている。
「飲んでみるか?」
「え? あれ、なんですか? 竹の搾り汁ですか」
光柳に誘われた翠鈴は、おろおろした。
たしかに竹は、食べ物の鮮度を保つ。でも、絞って飲むのは聞いたことがない。
雲嵐が三人分の搾り汁を注文してくれる。
「おいしいですよ」と、翠鈴に手渡してくれるけれど。説明がない。
こういう時は、雲嵐は光柳の意向に忠実だと思う。
種明かしをしてくれないのだ。
「い、いただきます」
苦みを覚悟しながら、恐る恐るひとくち飲む。
翠鈴は目を見開いた。とても大きく。
「甘い、です」
え、なに。これ。新種の竹なのかな。幹が甘いって、どういうこと? 糖分があるってことよね。それとも蜂蜜を混ぜているとか?
さらにもうひとくち。
少しとろりとした液体は、青臭さはあるが。力強い甘さもある。
「ふふふ。そなたでも知らぬことがあるか。これは甘蔗だ」
「砂糖って、、赤っぽかったり黒いものですよ。。砕けば粉になりますが。こんな緑の液体ではありません」
でも、おいしいからもうひとくち。翠鈴は、飲むのが止まらない。
「あの砂糖は、この液体を煮詰めたものだ。南でしか栽培していないから、甘蔗自体は見たこともなかろう」
「これが砂糖に……」
通りを夕風が吹き抜ける。
光柳は雲嵐に「酒が飲みたいな」と話している。通りを行く人の会話は、温泉地特有なのかのんびりしている。
頭上の紅灯籠につけられた房飾りが一斉に風になびき、風の行方を教えてくれた。
前を歩く光柳と雲嵐が笑っている。
後宮で彼らを見かける時は、常に仕事中だ。でも、今は違う。
主従とはいえ幼なじみの関係は、見ている翠鈴までも心が和む。
「光柳さま。この湯泉宮の温泉に連れてきてくださって、ありがとうございます」
「翠鈴?」
「とても楽しいです」
柔らかく微笑んだ翠鈴の表情を、光柳がじっと見つめる。
「楽しいか?」
「はいっ」
「そうか。それは何よりだ」
つられて、光柳も笑みをこぼした。
翠鈴にとって遠出が珍しいのと同じように。光柳にとっても、自分の厚意を素直に感謝されるのは珍しい。
普段から、他人とはあまり関わらないようにしているから。
街歩きをする人が増えたのだろう。何人かが、光柳と翠鈴の間を割って通る。
「迷子になるといけない。ほら」
光柳が手を伸ばした。
翠鈴は一度伸ばしかけた手を、途中で止める。
この手をとったら。つないでしまえば。自覚してしまうのではないか、と思って。
「ためらう理由などないぞ」
光柳の声が、まっすぐに届いた。
翠鈴は一歩踏みだしていた。光柳の手を、ぎゅっと掴む。
舟から降りる時にも彼の手に触れたが。今は、あの時のようにひんやりとはしていない。
翠鈴のてのひらに、光柳のぬくもりが伝わってくる。
「ほら、これで迷わない」
静かに夜が降りてくる。
湯上りの人が多いのだろう。すれ違う人から、ほんのりと温泉のにおいが漂ってくる。
翠鈴は気づいた。
光柳と雲嵐、そして翠鈴自身が同じ湯のにおいをまとっていることを。
姉を喪った子供と、身分を隠してひっそりと暮らすことを余儀なくされた子。そして親に売られた子。
寂しさを友としていた彼らは、もう孤独ではなかった。
◇◇◇
南方は温暖であったが。その間に、都の杷京は雪に見舞われていた。
そして、ひとりの宦官が雪の中に立ち尽くしていた。
手にした傘を差すこともなく。
もっと降ればいい。降って、降りしきって、すべてを白に埋めてしまえばいいと願いながら。
日も暮れかけて、通りは淡い青に沈んでいる。ここでも紅灯籠が軒に連なり、ほんわりと赤く灯っていた。
「いつまでも体が温かいですね」
「しかし南方とはいえ、冬だからな。長居していると湯冷めするぞ」
店先で、細い竹のようなものを絞っていた。圧縮された幹は砕けて、その下に緑っぽい液体が器に入っている。
「飲んでみるか?」
「え? あれ、なんですか? 竹の搾り汁ですか」
光柳に誘われた翠鈴は、おろおろした。
たしかに竹は、食べ物の鮮度を保つ。でも、絞って飲むのは聞いたことがない。
雲嵐が三人分の搾り汁を注文してくれる。
「おいしいですよ」と、翠鈴に手渡してくれるけれど。説明がない。
こういう時は、雲嵐は光柳の意向に忠実だと思う。
種明かしをしてくれないのだ。
「い、いただきます」
苦みを覚悟しながら、恐る恐るひとくち飲む。
翠鈴は目を見開いた。とても大きく。
「甘い、です」
え、なに。これ。新種の竹なのかな。幹が甘いって、どういうこと? 糖分があるってことよね。それとも蜂蜜を混ぜているとか?
さらにもうひとくち。
少しとろりとした液体は、青臭さはあるが。力強い甘さもある。
「ふふふ。そなたでも知らぬことがあるか。これは甘蔗だ」
「砂糖って、、赤っぽかったり黒いものですよ。。砕けば粉になりますが。こんな緑の液体ではありません」
でも、おいしいからもうひとくち。翠鈴は、飲むのが止まらない。
「あの砂糖は、この液体を煮詰めたものだ。南でしか栽培していないから、甘蔗自体は見たこともなかろう」
「これが砂糖に……」
通りを夕風が吹き抜ける。
光柳は雲嵐に「酒が飲みたいな」と話している。通りを行く人の会話は、温泉地特有なのかのんびりしている。
頭上の紅灯籠につけられた房飾りが一斉に風になびき、風の行方を教えてくれた。
前を歩く光柳と雲嵐が笑っている。
後宮で彼らを見かける時は、常に仕事中だ。でも、今は違う。
主従とはいえ幼なじみの関係は、見ている翠鈴までも心が和む。
「光柳さま。この湯泉宮の温泉に連れてきてくださって、ありがとうございます」
「翠鈴?」
「とても楽しいです」
柔らかく微笑んだ翠鈴の表情を、光柳がじっと見つめる。
「楽しいか?」
「はいっ」
「そうか。それは何よりだ」
つられて、光柳も笑みをこぼした。
翠鈴にとって遠出が珍しいのと同じように。光柳にとっても、自分の厚意を素直に感謝されるのは珍しい。
普段から、他人とはあまり関わらないようにしているから。
街歩きをする人が増えたのだろう。何人かが、光柳と翠鈴の間を割って通る。
「迷子になるといけない。ほら」
光柳が手を伸ばした。
翠鈴は一度伸ばしかけた手を、途中で止める。
この手をとったら。つないでしまえば。自覚してしまうのではないか、と思って。
「ためらう理由などないぞ」
光柳の声が、まっすぐに届いた。
翠鈴は一歩踏みだしていた。光柳の手を、ぎゅっと掴む。
舟から降りる時にも彼の手に触れたが。今は、あの時のようにひんやりとはしていない。
翠鈴のてのひらに、光柳のぬくもりが伝わってくる。
「ほら、これで迷わない」
静かに夜が降りてくる。
湯上りの人が多いのだろう。すれ違う人から、ほんのりと温泉のにおいが漂ってくる。
翠鈴は気づいた。
光柳と雲嵐、そして翠鈴自身が同じ湯のにおいをまとっていることを。
姉を喪った子供と、身分を隠してひっそりと暮らすことを余儀なくされた子。そして親に売られた子。
寂しさを友としていた彼らは、もう孤独ではなかった。
◇◇◇
南方は温暖であったが。その間に、都の杷京は雪に見舞われていた。
そして、ひとりの宦官が雪の中に立ち尽くしていた。
手にした傘を差すこともなく。
もっと降ればいい。降って、降りしきって、すべてを白に埋めてしまえばいいと願いながら。
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