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三章

2、白い犬の飼い主【2】

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「きゃあっ。やめて、何をするの!」

 白い犬が牙を剥いて跳びかかってきます。
 わたしはファルケを守ろうとしましたが、ファルケは果敢にも立ち向かっていきます。
 勝てるはずがないのに。咬まれながらも、決して退こうとしません。

 唸る白い犬の声。そして悲痛なファルケの声。
 舞い上がる土の匂いが濃くなって、茶色くぼやけた視界で子爵が薄ら笑いを浮かべています。

 だめよ、このままでは。
 わたしはとっさに閃きました。

「ファルケ。マティアスさまをお連れして」

 普段なら「わふっ」と呑気に返事をしてくれるのに。ファルケは一目散に騎士団に向かって駆けていきました。
 もちろん白い犬もファルケを追いかけます。

 お願い、頑張って。逃げきってちょうだい。

 ブルンベルヘン子爵は、二匹が去った方角を眺めていました。
 
「ブレンストレーム伯爵は、生意気にも騎士団をお持ちだ。ああ、団長は腑抜けで使えん奴だったな」
「……何を仰りたいの?」

 わたしの問いかけに、子爵はブレンストレームに仕える騎士団が脆弱で、勇気も騎士としての気概もないと話しはじめました。
 聞いていてわたしは唇を噛みしめました。

 マティアスさまが、団長は貴族社会に疲弊してしまったから、休暇をとってもらっていると仰っていましたが。
 もしかして、この男が団長を病に追い込んだのではないかしら。

 そうすればお父さまの護衛も薄くなる。今は副団長がお父さまに付き従っているけれど、

「その娘を捕まえておけ」

 子爵に命じられた従者は、わたしに向かって手を伸ばします。
 わたしはとっさにしゃがみこんで、道の土を掴みました。

 こんなところで素直に掴まっては、お父さまの足を引っ張ることになります。
 ただでさえお体が強くないお父さま。心労をかけることがあってはなりません。

「さぁ、こちらへ。手荒なことはしたくないのです」

 すぐに乱暴に肩か腕を掴まれると思ったのに。その従者はためらっている様子。
 わたしは瞬時に考えを巡らせました。
 マティアスさまがいらっしゃるまで、わたしは決して捕まるわけにはいかないのです。
 どうすれば、時間を稼げるの?

「お心遣いいたみいります」

 わたしは、緊迫した場にそぐわない微笑みをたたえました。もちろん手には土を握りしめています。
 まさか悲鳴や拒絶以外の言葉が掛けられると思っていなかったのでしょう。
 従者は目を丸くして、動きを止めました。

「子爵家に仕える方が、命じられる仕事ではありませんもの。あなたも、おつらいでしょう?」
「え?」
「意に染まぬ、汚れ仕事を断れないなんて。心中お察しします」

 従者は伸ばしていた手を下ろしました。

「なにをぐずぐずしているんだ。その娘を、さっさと馬車に放り込め」
「ですが」
「言い訳などするな。解雇されたいのか。お前など我が子爵家から放り出されては、その日から路頭に迷うというのに」

 子爵はいらいらとステッキで地面を突いています。白い犬は主の周りをくるくると、落ち着きなくまわっています。

 なるほど、分かりました。
 わたしはおっとりしているとか、のんびりしていると思われがちですが。
 普段から図書室の本をよく読んでいるのです。ええ、知識はそれなりにあるのです。
 ただ、腕力や体力、それに実践が伴わないだけで。

 紅茶を淹れるのは下手ですけれど。次代の伯爵としての教育は受けてきているのです。

「路頭に迷うほどのお給金しか与えられていないのに。あなたはこんな汚れ仕事を押しつけられているのですか?」

 従者は、言葉も返しません。けれど、視線が明らかに泳いでいます。あともうひと押しです。

「考えてもみてください。わたしを誘拐すれば、おおごとです。子爵は、誘拐の罪をすべてあなたになすりつけるでしょう。命令を断っても、受けても、子爵はあなたを見捨てて犯人に仕立てあげるつもりです」

 あの白い犬は、狩りの時にファルケが追いかけていた犬です。間違いありません。
 我が家のウサギ棒を奪ったのは、躾がなっていないからではなく、或いは主の命令だったのでしょう。

 まるで犬が勝手に持ち場を離れたかのように周囲に信じ込ませ、ウサギ棒を追うわたしを護衛のマティアスさまから引き離し、行方不明という形にしたかったのかもしれません。
 
 だからお父さまは、狩りの時もマティアスさまを護衛としてわたしの側に置き、まだ年若いわたしを彼と早く結婚させたかったのですね。
 お父さまもマティアスさまも、わたしを守ろうとしてくださる。

 ならば、わたしはこんな所で負けるわけにはいかないのです。
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