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第6話 弁舌家が言うには
しおりを挟む私をからかって大笑いするアーサー様から目を逸らした先では、芝生の広場に人々が集まっていました。人だかりの中心に、台に乗った男性がひとり。
「あれは近頃有名な弁舌家だね。反王政の急先鋒で、言葉巧みに民を煽動しているらしい」
アーサー様の言葉に私も頷きました。
この目で見るのは初めてのことですが、そういった輩が存在することは原作でも履修済ですし、それにこの世界で生きるうちに何度も話に聞いていますから。
「政府は真実が見えていない! 帝国を相手どった防衛費などとうそぶいて徴収した我々の血税は、毎夜の酒に、肉に、果実に姿を変えるばかりだ!」
彼が何か言うたびに、民は拳を掲げて「そうだそうだ」と叫びます。遊歩道を散歩していた親子連れが足を止めました。離れたベンチに座っていた老夫婦が立ち上がり、広場のほうへ歩き出します。
国は防衛費は防衛費として計上し、軍備の増強に充てています。一部の知識層……文字が読めて申請方法を理解しかつ社会的地位のある、例えば学者や銀行家といった人物であれば、その情報を得ることも容易い。
けれど、民がそれを知ることはありません。多くの人は自分にとって都合のいい情報だけを信じるからです。
帝国の脅威に備えて防衛費が倍増し、以前ほど余裕のある生活ではなくなったという家も多いでしょう、それは否定できません。けれどこうして祭りを楽しむこともできているのに!
「帝国は脅威などではない、彼らが攻めてくるなど妄想も甚だしい! これまで帝国に従属した国は疲弊しているだろうか? 否! 産業は発展し飢えや寒さから解放されたのだ!」
さらに熱が増す男の弁舌に、私は肩をすくめました。
従属国の多くは帝国から攻められたのだという前提をスルーしています。発展した産業は軍需ばかり。本当に存在したか怪しい飢えや寒さといった労苦から解放された代わりに、現地の人々は帝国人の僕として働いています。かなり酷い扱いを受けるとも聞きますが……真実はわかりませんし、その環境が幸せか否かも私にはわかりません。
「あれは帝国側の息がかかってるのかしら」
「ああ。彼に限らないけどね、結構いるんだ」
アーサー様は「困ったものだ」と苦笑します。
このヴァルミレー王国はもちろん日本ほどではないけれど、かなり言論に自由がある国です。そう簡単には不敬罪にも問えないのです。でもその自由が帝国側のプロバガンダに使われるだなんて。
「我々の目は曇っていない! 我々は真の敵を見誤ったりしない!」
ハッとして、私は思わずアーサー様の手を取りました。これ以上ここで弁舌家の話など聞いてはいけない。
立ち上がって彼の手を引っ張ると、アーサー様は首を傾げつつも素直に立ってくださいました。
「そ、そろそろまたお祭りのほうに行きましょう?」
「ん? うん、そうだね」
アーサー様の手を引いたまま最も近い出入り口へ足早に歩き始めたとき、私たちの背中を弁舌家の言葉が追いかけて来ました。
「売国王妃を許すな!」
瞬間、アーサー様の手に力が入ります。私は振り返らず、さらに足を速めました。
帝国は我が国とヘリン公国とが手を握るのを恐れているのです。だから王妃を悪の象徴に仕立て上げ、彼女の母国であるヘリン公国と対立させようとしている。あわよくば、我が国の矛先がヘリン公国へ向けばいいとでも思っているかもしれません。
ヘリン公国は地理的に自然の要塞国家となっており、帝国からはなかなか手出しができない。しかしかの国には火薬の原料である硝石の大きな鉱床がある……。一方我が国には肥沃な大地が広がり、農作物の生産量は大陸随一。帝国は我が国とヘリン公国とを争わせ、漁夫の利を狙いたいのです。
「エメリナ?」
出口まであと少しというところでアーサー様が私の名を呼びました。
でも私は振り返ることができません。だって、王妃様は誰よりも我が国を愛して、未来を案じてくださってるんです。帝国の脅威に対抗するための協定に関して、ヘリン公国から反応がなくて最も心を痛めているのは王妃様なんです。
それは前世で原作を読んだときにも、公爵令嬢エメリナとして彼女と接したときにも、痛いほど感じていたことでした。だからこんな風に言われて悔しくて、悔しくて。
俯いたまま立ち止まった私を、アーサー様が背後から抱き締めました。背中があったかくて、彼の持つ果実水から甘い香りが立ち上ります。
「俺の分まで怒ってくれてるんだね」
そう言われて、私はモヤっとしていたものがひとつ掻き消えた気がしました。
そっか。私、王妃様やアーサー様が悪く言われることに腹を立てていたつもりだったけど……お二人が、いえアーサー様が悲しそうに微笑むだけなのが辛くて、だから腹が立つんだって。
「アーサー様が何もおっしゃらないのに、私なんかがすみません……」
首をまわしてアーサー様を振り返ると、彼は腕を緩めて「ありがとう」と微笑みました。果実水を持ったまま器用に私の両肩に手を置いて、身体ごと振り向かせます。
そしてゆっくり彼の顔が近づいて来て……え?
「えっちょちょちょちょっ待っ!」
「あれ? ここはそういうタイミングだと思ったんだけどな」
全力で彼の胸を押し返し、距離をとります。アーサー様はいたずらっ子のような笑みを浮かべて片目をつぶりました。
「けっ、健全な関係でって!」
「それまだ続いてたんだ。マリナレッタだっけ? スラットリー男爵令嬢と相思相愛にならなかったからもういいのかと思ったのに」
「まだです、全然まだまだ続いてますっ!」
んもう! 油断も隙もないんだから!
応援ありがとうございます!
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