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三章

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 夏になった。暑い日々を過ごしていると、アーネストも耐えられなかったらしい。寝室に来るなり服を脱ぎだして、アンをどぎまぎさせた。

「アーネスト様、着替えでしたらご自身の部屋でお願いします」

 あっという間に上半身裸になった彼は、いつもの無表情で、額に汗を流していた。

「今日は風が強くて埃っぽくてな。さっき風呂に入ってきたんだが、この通りだ。水浴びにすればよかった」

 脱いだ服で汗を拭っている。アンも扇子を広げて仰いでみたりした。

「冷たいものでも飲みますか?」
「さっき飲んできた。窓開けていいか」
「ええ勿論」

 アーネストが開けていくのを、アンも反対から開けていく。夜風は熱気で生ぬるかったが、風呂上がりのアーネストには効果てきめんだったようだ。開けた窓の近くに立ってそこから動かない。

 彼が体を冷やしている内に、アンはこっそり部屋から出て、使用人に新しい服と冷たい飲み物を持ってくるように伝えた。優秀な使用人は直ぐに必要なものを持ってきてくれた。

「アン」

 アーネストに呼ばれ、使用人から受け取った服と飲み物をとりあえずテーブルに置いて、窓際へ向かう。

「どうなさいました」
「暑いな」
「ええ本当に」
「避暑地に行かないか?」

 誘いにアンは彼の顔を見やる。上半身裸の姿を見るのが恥ずかしく、直ぐに外へと目を背ける。
 
 日中は、アーネストの仕事が忙しく顔を合わせないから、寝室でしか会う機会が無い。それでも春からこの夏にかけて、二人は心を寄せてきた。

 とは言っても療養中のアンはまだ彼と体を重ねていない。同じベッドでただ共に眠るだけ。こうした姿を見慣れてないから、目のやり場に困ってしまう。

 そんな気など知らないアーネストは、提案の答えを待っている。アンは慌てて口を開いた。

「避暑地ですか」
「ああ。高地の山荘がある。俺が所有しているから、二人だけで過ごせる」
「この国にそんな場所が?」

 ユルール侯国は平坦な土地で、山など無いはずだが。

「ロワール国にある」
「敵国ではありませんか」
「昔の話だ。今は同盟国だし、この土地を奪う前から所有していたから、問題は無い」

 問題無いとは言うが、今はユルール侯爵とその夫人が、ロワール国に入国するとなれば、それなりの知らせが必要だろう。挨拶も無しに国境を越えたら、それこそ大問題だ。

「ロワール国に通達はするんですよね?」
「一応な。妻の療養だと言えば、向こうも宮廷に顔を見せろなどとは言ってこんだろう」
「それを聞いて安心しました」
「妻を見せびらかしたい気持ちもあるんだがな」

 冗談を言っていると思って、深くは気に留めなかった。

「外交の為には、一度は国境を接する国を訪問するべきなのでしょうが、私では難しいですから」
「外交官の仕事だ。気にするな」

 体が冷めてきたらしい。アーネストは一番近い窓だけを閉じて、テーブルに置いておいた着替えを羽織った。水も一気に飲み干すと、息をつく。

 ボタンを留めて、袖口を折り曲げる。腕まくりした姿。筋張ったたくましい腕に、これまでアンは何度か抱えられてきた。今もその予感がして、アンは彼に向き直って腕をわずかに広げる。

 すると彼は、小さく吹き出した。

「期待してるのか?」
「違うのですか?」
「いいや?違わない」

 腰から持ち上げられ、膝裏をすくわれる。抱き上げられて、唇を合わせる。

 そのまま彼がくるりと回ると、遠心力でアンの靴がすっぽ抜けてしまった。かかとのない靴だから、余計に落ちやすかった。

 気づいているのかいないのか、素知らぬ顔でアーネストはアンをベッドに降ろした。
 靴下に指を入れられて、アンが止める間もなく、それも脱がされる。

「アーネスト様」
「寝るのに靴下なんかいらんだろう」
「自分で脱がしますから」

 と言っても聞いてくれない。彼は意地悪く笑うと、もう片方の靴下も脱がした。素足になって、シーツの冷たさが心地よい。足の甲にアーネストの手が這う。

「冷たいな」
「貴方様が熱すぎるんです」
「気持ちいい」
「やめてください。汚いですから、あんまり触らないで」

 アンの言葉を受けて、次は手を握られる。冷たい手と熱い手。触れ合うと温度が混ざり合って、同じになる。
 額同士を突き合わせる。息がかかるほどに近づいて、まつげが頬をかすめる。
 二人だけの世界だった。他は何も無かった。
 風がんで、静かな夜だった。
 
「アーネスト様、わたし、元気になりました」

 回復するまで待つと言った。アンは心を通わせた日から毎日、庭を歩いて、ひたすら体力をつけようとした。できるだけたくさん食事を取って、それだけじゃない、少しでも彼の妻であろうとして、この国の新聞や雑誌に目を通して、世の中を知ろうとした。顔はもうどうにもならないが、黒髪の手入れにも力を入れた。
 この夏に至るまで、アンは努力を重ねた。結ばれて、本当の夫婦となるために。

 その努力を知っているだろうに、アーネストはまだだと言った。

「もう少し元気になってくれ」
「元気です」
「大事にしたい俺の気持ちも理解してくれ」
「はやく妻になりたい私の気持ちもご理解ください」
「もうなってる」

 頬と頬が合わさる。これは直ぐに終わって、耳をやわく噛まれる。名をささやかれ、吐息が耳にかかって体が震える。

「……いじわる」
「ははっ」

 背中を軽く叩かれる。慰めにもならない慰めを受けて、自分の為なのだからとアンは無理やり納得することにした。

「諦めます」
「積極的なのは俺としても大歓迎なんだがな」
「はしたない女とさぞお思いでしょう」
「これでか?もっと強請ねだって欲しいくらいだ」

 彼はアンの髪を梳いて、口づけした。毎日するから、この黒髪をよほど気に入ってくれているのだろう。

「もう寝よう。たくさん寝ればその分早く回復する」
「もう元気ですってば」
「そうだな」

 横になる。あたたかな体温に包まれると、直ぐにアンは眠くなってしまう。彼の言いつけを守って、目を閉じる。早く眠ればその分一日が早く過ぎ去る。その日を迎えるのを待ち遠しく思いながら、いつか来るその日が夢に現れますようにと、アンは眠りについた。

 


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