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僕は偽物
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ゲオルグに見送られながら、フランシーナは職員室を飛び出した。
この時を逃せば、忙しいエドゥアルドはまた別の仕事へと移ってしまうだろう。彼と目が合った今、どうしても話しかけなければと心が焦る。
どうか彼がいなくなる前に早く、と――フランシーナは学園生活三年目にして初めて、廊下を走った。
ほとんど走ったことなど無い、運動不足な足がもどかしかった。
その先の石階段も駆け降りて、渡り廊下を走り抜けて――みんなが振り返るのも気にならないくらいには、エドゥアルドめがけて全力で走った。
「エドゥアルド様!」
やっとの思いでテラスへ降りると、エドゥアルドの名前を呼んだ。
思いのほか大きな声が出て、ただ事では無い様子に周りがザワつく。
「フランシーナ……」
息を切らしながら駆け寄ったフランシーナに、エドゥアルドは一瞬だけ表情を強ばらせる。
が、すぐ嘘みたいに爽やかな笑顔が作られた。
「……どうしたの、明日は任用試験でしょ。こんなところにいて良いの?」
「え……」
彼から返ってきたのは、突き放すような言葉だった。
ついさきほど、確かに目が合ったと思ったのに。
その時の彼はこれほど他人行儀な顔していなかったはずなのに……あれはフランシーナの気のせいだったというのだろうか。
せっかく勢いの付いた心がわずかに怯む。
そこをなんとか奮い立たせ、やっとのことで口を動かした。
「あ、あの……私、エドゥアルド様と話をしたくて」
「話? 何の?」
「何の……って……」
目の前のエドゥアルドが見せるよそ行きの顔、穏やかすぎる声――
わざわざ何か言われなくとも、彼の態度が物語っている。
これ以上、フランシーナに近付いて欲しくないのだ。
意図的に距離をとられている。胸がズキズキと痛んで、いつものような言葉が出てこない。
何が駄目で、なぜ急に距離を取り始めたのか。エドゥアルドが何を考えているのか――知りたくてたまらなかった。
分かるのは、彼がフランシーナを避けているという事実だけ。
「……エドゥアルド様。私を避けているでしょう?」
「避けてなんていないよ」
「嘘。だってこんなの全然『恋人』らしく無い……もういいんですか。卒業まで、って言っていたのに」
だめだ。こんな言い方では本当に痴話喧嘩だ。一方的にエドゥアルドを責めて、追いすがって、まるで――
「君は、本当の『恋人』にでもなったつもり?」
「え……」
「真似事をしてくれるだけでかまわないのに」
つれないエドゥアルドの言葉に、指の先から身体が冷えていくようだった。
真似事……確かに、彼から頼まれたのはただの『恋人役』で。フランシーナも、自分なりにその役を全うしていたつもりだった。
しかし、いつの間にかその枠をはみ出してしまっていたとでもいうのだろうか。彼の冷たい態度が、自惚れていた胸に突き刺さる。
「こ、この間から……急にどうしたんですか。私、何かしましたか」
「――君は悪くない。僕が悪い」
「え?」
「一緒にいると駄目なんだ。君をどんどん好きになる」
(す、好き……?)
思いがけない告白に、息が止まりそうになった。
「君を好きになればなるほど、僕は自分が嫌になる」
久しぶりに揃う二人の姿を、皆が遠巻きに見守っているのが分かる。
周りから見たら、仲良く話しているようにしか見えないだろう。エドゥアルドの顔には、笑みが張り付いたままであったから。
けれどフランシーナは、その乾いた笑顔がただただ悲しい。
「最初は、君のこと……どうにかして蹴落としてやろう、振り向かせてやろうって、そう思ってた」
そんな本心だって、知らなかった。エドゥアルドはいつも折り目正しく、試験の度に『凄いね』と労いの言葉をくれていたから。
三年間もの間、涼しげな顔の裏側で……妬む心に蓋をして。
「でも、話せば話すほど君との違いを思い知った。真っ直ぐなフランシーナと、見返りを求めて行動する自分、一緒にいるとどうしても比べてしまう。こんな自分が君に敵うわけない――君がこちらを振り向くことなんかないって、今なら痛いほど分かるんだ」
完璧であるはずのエドゥアルドの口からこぼれたのは、恐ろしく自己評価の低い言葉で。
ずっと何も言えなかったフランシーナは、咄嗟にそれを否定した。
「そんなことありません! 私とは違って、エドゥアルド様は素晴らしい方で……」
「そう、フランシーナと僕は違う。君の努力は本物で、僕の努力は偽物だから」
「な、何を仰っているのです……?」
エドゥアルドはどこまでも卑屈な言葉を残したまま、話を切り上げて校舎へ去ろうとする。
慌てて彼の後を追おうと一歩を踏み出しはしたけれど、彼の背中がフランシーナを強く拒絶しているようで、それ以上動けない。
フランシーナが追いかけてこないと分かると、エドゥアルドは少しだけこちらを振り向いた。
「明日は今日よりもっと寒くなるかも。気をつけて……明日の試験、頑張ってね。応援してる」
それだけを言うと、エドゥアルドは再び背を向け、閑散としたテラスを後にした。
この時を逃せば、忙しいエドゥアルドはまた別の仕事へと移ってしまうだろう。彼と目が合った今、どうしても話しかけなければと心が焦る。
どうか彼がいなくなる前に早く、と――フランシーナは学園生活三年目にして初めて、廊下を走った。
ほとんど走ったことなど無い、運動不足な足がもどかしかった。
その先の石階段も駆け降りて、渡り廊下を走り抜けて――みんなが振り返るのも気にならないくらいには、エドゥアルドめがけて全力で走った。
「エドゥアルド様!」
やっとの思いでテラスへ降りると、エドゥアルドの名前を呼んだ。
思いのほか大きな声が出て、ただ事では無い様子に周りがザワつく。
「フランシーナ……」
息を切らしながら駆け寄ったフランシーナに、エドゥアルドは一瞬だけ表情を強ばらせる。
が、すぐ嘘みたいに爽やかな笑顔が作られた。
「……どうしたの、明日は任用試験でしょ。こんなところにいて良いの?」
「え……」
彼から返ってきたのは、突き放すような言葉だった。
ついさきほど、確かに目が合ったと思ったのに。
その時の彼はこれほど他人行儀な顔していなかったはずなのに……あれはフランシーナの気のせいだったというのだろうか。
せっかく勢いの付いた心がわずかに怯む。
そこをなんとか奮い立たせ、やっとのことで口を動かした。
「あ、あの……私、エドゥアルド様と話をしたくて」
「話? 何の?」
「何の……って……」
目の前のエドゥアルドが見せるよそ行きの顔、穏やかすぎる声――
わざわざ何か言われなくとも、彼の態度が物語っている。
これ以上、フランシーナに近付いて欲しくないのだ。
意図的に距離をとられている。胸がズキズキと痛んで、いつものような言葉が出てこない。
何が駄目で、なぜ急に距離を取り始めたのか。エドゥアルドが何を考えているのか――知りたくてたまらなかった。
分かるのは、彼がフランシーナを避けているという事実だけ。
「……エドゥアルド様。私を避けているでしょう?」
「避けてなんていないよ」
「嘘。だってこんなの全然『恋人』らしく無い……もういいんですか。卒業まで、って言っていたのに」
だめだ。こんな言い方では本当に痴話喧嘩だ。一方的にエドゥアルドを責めて、追いすがって、まるで――
「君は、本当の『恋人』にでもなったつもり?」
「え……」
「真似事をしてくれるだけでかまわないのに」
つれないエドゥアルドの言葉に、指の先から身体が冷えていくようだった。
真似事……確かに、彼から頼まれたのはただの『恋人役』で。フランシーナも、自分なりにその役を全うしていたつもりだった。
しかし、いつの間にかその枠をはみ出してしまっていたとでもいうのだろうか。彼の冷たい態度が、自惚れていた胸に突き刺さる。
「こ、この間から……急にどうしたんですか。私、何かしましたか」
「――君は悪くない。僕が悪い」
「え?」
「一緒にいると駄目なんだ。君をどんどん好きになる」
(す、好き……?)
思いがけない告白に、息が止まりそうになった。
「君を好きになればなるほど、僕は自分が嫌になる」
久しぶりに揃う二人の姿を、皆が遠巻きに見守っているのが分かる。
周りから見たら、仲良く話しているようにしか見えないだろう。エドゥアルドの顔には、笑みが張り付いたままであったから。
けれどフランシーナは、その乾いた笑顔がただただ悲しい。
「最初は、君のこと……どうにかして蹴落としてやろう、振り向かせてやろうって、そう思ってた」
そんな本心だって、知らなかった。エドゥアルドはいつも折り目正しく、試験の度に『凄いね』と労いの言葉をくれていたから。
三年間もの間、涼しげな顔の裏側で……妬む心に蓋をして。
「でも、話せば話すほど君との違いを思い知った。真っ直ぐなフランシーナと、見返りを求めて行動する自分、一緒にいるとどうしても比べてしまう。こんな自分が君に敵うわけない――君がこちらを振り向くことなんかないって、今なら痛いほど分かるんだ」
完璧であるはずのエドゥアルドの口からこぼれたのは、恐ろしく自己評価の低い言葉で。
ずっと何も言えなかったフランシーナは、咄嗟にそれを否定した。
「そんなことありません! 私とは違って、エドゥアルド様は素晴らしい方で……」
「そう、フランシーナと僕は違う。君の努力は本物で、僕の努力は偽物だから」
「な、何を仰っているのです……?」
エドゥアルドはどこまでも卑屈な言葉を残したまま、話を切り上げて校舎へ去ろうとする。
慌てて彼の後を追おうと一歩を踏み出しはしたけれど、彼の背中がフランシーナを強く拒絶しているようで、それ以上動けない。
フランシーナが追いかけてこないと分かると、エドゥアルドは少しだけこちらを振り向いた。
「明日は今日よりもっと寒くなるかも。気をつけて……明日の試験、頑張ってね。応援してる」
それだけを言うと、エドゥアルドは再び背を向け、閑散としたテラスを後にした。
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